敏腕教育係は引きこもり御曹司を救えるか?
30階に着く頃。エレベーターを使った移動なので大した運動はしていないはずなのに、学はハアハアと息切れのような呼吸を繰り返していた。阿久津は心配しながらも彼の覚悟を信じ、慣れないVIP用の裏道を進んでいく。

そして現れた、第一関門。

「ヒッ……! 人間がいる……」

山を初めて下りてきた野生動物の発言のようだが、学の言葉である。30階に着いて廊下を進むと、庭園スペースへの入り口と思われる扉と、傍に立つ警備員のおじさんが人に目に入ったのである。

「警備員さんね。当然、ここの住人とその関係者しか入っちゃいけないから入り口でカードの確認があるみたいだね。オートロックだったら良かったんだけど」
「確かに、そうですね……」

阿久津や家族以外で、10年ぶりくらいに見る他人だ。それは確かに緊張する。

「受け答えは私が全部やるし、学くんは横に立ってるだけでいいよ。何も悪いことなんてしてないんだから、堂々としてて」
「は、はい……」

そこからはお互い無言になった。庭園への扉まであと10歩、というところで警備員と目が合った。

「おはようございます」

阿久津が言うと、学もか細い声でそれに続いた。相手に聞こえているかは分からないが、まあとりあえず挨拶できたなら上々だ。阿久津は「よくできました」と言うかわりに学に笑顔で目配せする。

「おはようございます。ビルにお住まいの方ですか?」

警備員も愛想良く挨拶してくれた。

「はい。47階の佐伯です」
「……ああ! 佐伯様ですね。よくお越しくださいました。すみません、一応決まりでカードキーを拝見することになってまして、すみませんが一度拝借させていただいてもよろしいですか?」
「あ、はい。もちろんです」
「頂戴します」

普通の愛想の良さから、「47階の佐伯」と名乗っただけでさらに上のVIP待遇になった気がする。佐伯家ってやっぱり凄いのだなと実感する。隣の学を見ると、そんなこと気にしている余裕も無いほど、大きな体を強張らせてじっとしていた。富山の実家で飼っているシベリアンハスキーのタロウを病院に連れて行った時のことを思い出した。

警備員はカードリーダーのようなもので阿久津のカードを読み取ると、頷いてそれを返却した。

「確認できました。それでは佐伯様、ゆっくりとお楽しみください。何か膝掛けやお飲み物など必要でしたら私にお申し付けください」
「ありがとうございます」

素敵なサービスだが、これ以上の人との接触は学が耐えられなさそうなので頼むことは無いだろう。

「現在、他にお客様はいらっしゃらないので貸切状態ですよ」
「ああ、本当ですか。それは嬉しい」

阿久津が言うと、隣の学がホッとため息を漏らしたのが聞こえた。

さあ、中に入ろう。
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