敏腕教育係は引きこもり御曹司を救えるか?
「思ってたのと違ってたらごめんなさい。阿久津さんと特定できないように完全に似せないようにはしましたが、嫌だったらすぐに削除します」
そう言って学は奥の引き出しから1枚の用紙を取り出した。彼はそれを丁寧にケースに入れていた。
「ありがとう。それじゃあ、拝見します」
一度深呼吸をして、阿久津はその絵を手に取った。
まず目に入ったのは、ドロドロした、汚染されていそうな池か沼のような場所。そこに沈みかけている誰かがいる。顔までどっぷり浸かっているので、男か女かも判別できない。確かなのは、その沼に沈んでしまえば命の危険がありそうなほど毒毒しい色をしているということ。
「タイトルは、『地獄に女神』です」
地獄に、女神。彼の言う女神は、その絵の主役として描かれているようだった。
彼が描く女神は、阿久津が普段想像するヴィーナスなどの優雅な女神像とは随分と違っていた。その女神は、右手に大きな槍を持っている。表情も笑顔というよりは凛々しい印象を受けるような、唇をきっと結んで強い意志を感じるものだ。どちらかというと西洋というより東洋の女神なのだろうか。観音様が着ているような露出控えめの服装に、背中から後光を放っている。
女神の黒い髪は長く風になびき、造形も多少盛ってあるように見えるが、面影は確かに阿久津に似ているようにも見えた。
「私がモデルになったのは、この女性?」
「そうです」
なるほど、どうりでモップを右手に持ったポージングをさせられていたわけだ。実際の絵では、これは槍に変わっている。
その勇ましい女神は白い衣が汚れることも厭わず沼に脚を突っ込んでいる。そして、沼に沈みかけている誰かに手を伸ばしている。その腕の筋肉のつき方には、阿久津もなんとなく見覚えがあった。よく鏡で見る、自分の腕によく似ている。部活で鍛えたせいでなかなか細くならない肩から二の腕にかけてのライン。
「学くんの思う私のイメージって、こうなんだ」
「はい。……ごめんなさい」
「いやいや、何故謝るの。私まだ何も言ってないって」
「怒ってませんか?」
「うん全然。何故こうなったのかは気になるけど」
むしろ、失礼かもしれないが笑みが溢れそうになっているくらいだ。女性の絵のモデルなんていうと、儚げに微笑む肖像画をイメージするが、学が描いた阿久津の絵は武器まで持って、とにかく勇ましい。
「良かったです。中には、女性の脚を泥だらけにしたり、武器を持たせて描くなんておかしいってコメントもありました。だから、失礼にあたるんじゃないかってそこで初めて気づいて……」
「私が失礼じゃないって思ってるんだから、失礼じゃないよ。正直言うとね、私らしくて好きかも」
これは学に遠慮しているわけではなく、阿久津の本心だった。仮にも柔道をやっていた身としては、強そうに描かれることを誇りに思うところもあった。
阿久津が怒っていないことに安心した学は、今回の絵について語り始めた。
「この女神が持っている槍は、阿久津さんの勇気を表しました。知らない引きこもりの僕にも臆せず接してくれたことなどを思い出して描きました。
それから、女神の足元が泥で汚れているのは、散らかっていた僕の家に躊躇わず入ってきてくれたことを表しています。汚れていても、その姿は気高く、美しいんです。僕としては、この2つのモチーフには感謝と尊敬の気持ちを込めています」
「なかなか、小っ恥ずかしいことを言うねえ」
誉め殺しとも言える言葉の数々に、珍しく阿久津の方が赤面してしまった。
「この絵をアップしたらネットの人たちからもとても反響があって。このアカウントを開設して以来最高のいいねがつきました」
「え、どれどれ、どんな感じ?」
照れていることを悟られないように、わざと陽気に学のスマホの画面を覗き込む。
「おおむね好意的な反応ですが、もちろん否定的な意見もあります。どうぞ、自由にスクロールして見てください」
「ありがとう」
そう言って学は奥の引き出しから1枚の用紙を取り出した。彼はそれを丁寧にケースに入れていた。
「ありがとう。それじゃあ、拝見します」
一度深呼吸をして、阿久津はその絵を手に取った。
まず目に入ったのは、ドロドロした、汚染されていそうな池か沼のような場所。そこに沈みかけている誰かがいる。顔までどっぷり浸かっているので、男か女かも判別できない。確かなのは、その沼に沈んでしまえば命の危険がありそうなほど毒毒しい色をしているということ。
「タイトルは、『地獄に女神』です」
地獄に、女神。彼の言う女神は、その絵の主役として描かれているようだった。
彼が描く女神は、阿久津が普段想像するヴィーナスなどの優雅な女神像とは随分と違っていた。その女神は、右手に大きな槍を持っている。表情も笑顔というよりは凛々しい印象を受けるような、唇をきっと結んで強い意志を感じるものだ。どちらかというと西洋というより東洋の女神なのだろうか。観音様が着ているような露出控えめの服装に、背中から後光を放っている。
女神の黒い髪は長く風になびき、造形も多少盛ってあるように見えるが、面影は確かに阿久津に似ているようにも見えた。
「私がモデルになったのは、この女性?」
「そうです」
なるほど、どうりでモップを右手に持ったポージングをさせられていたわけだ。実際の絵では、これは槍に変わっている。
その勇ましい女神は白い衣が汚れることも厭わず沼に脚を突っ込んでいる。そして、沼に沈みかけている誰かに手を伸ばしている。その腕の筋肉のつき方には、阿久津もなんとなく見覚えがあった。よく鏡で見る、自分の腕によく似ている。部活で鍛えたせいでなかなか細くならない肩から二の腕にかけてのライン。
「学くんの思う私のイメージって、こうなんだ」
「はい。……ごめんなさい」
「いやいや、何故謝るの。私まだ何も言ってないって」
「怒ってませんか?」
「うん全然。何故こうなったのかは気になるけど」
むしろ、失礼かもしれないが笑みが溢れそうになっているくらいだ。女性の絵のモデルなんていうと、儚げに微笑む肖像画をイメージするが、学が描いた阿久津の絵は武器まで持って、とにかく勇ましい。
「良かったです。中には、女性の脚を泥だらけにしたり、武器を持たせて描くなんておかしいってコメントもありました。だから、失礼にあたるんじゃないかってそこで初めて気づいて……」
「私が失礼じゃないって思ってるんだから、失礼じゃないよ。正直言うとね、私らしくて好きかも」
これは学に遠慮しているわけではなく、阿久津の本心だった。仮にも柔道をやっていた身としては、強そうに描かれることを誇りに思うところもあった。
阿久津が怒っていないことに安心した学は、今回の絵について語り始めた。
「この女神が持っている槍は、阿久津さんの勇気を表しました。知らない引きこもりの僕にも臆せず接してくれたことなどを思い出して描きました。
それから、女神の足元が泥で汚れているのは、散らかっていた僕の家に躊躇わず入ってきてくれたことを表しています。汚れていても、その姿は気高く、美しいんです。僕としては、この2つのモチーフには感謝と尊敬の気持ちを込めています」
「なかなか、小っ恥ずかしいことを言うねえ」
誉め殺しとも言える言葉の数々に、珍しく阿久津の方が赤面してしまった。
「この絵をアップしたらネットの人たちからもとても反響があって。このアカウントを開設して以来最高のいいねがつきました」
「え、どれどれ、どんな感じ?」
照れていることを悟られないように、わざと陽気に学のスマホの画面を覗き込む。
「おおむね好意的な反応ですが、もちろん否定的な意見もあります。どうぞ、自由にスクロールして見てください」
「ありがとう」