敏腕教育係は引きこもり御曹司を救えるか?
「今日から臨時で人材育成部に配属される、佐伯学くんだ。以前はデザイン会社で働いていたそうなので、広報物などの作成なども頼んでほしいとのことだ」
「佐伯学です。早く仕事に慣れるよう、頑張りますのでよろしくお願いいたします」

阿久津は、新入社員として挨拶する学を社員一同の側から見守っていた。毎日夜遅くまで2人で練習した甲斐あってか、挨拶や笑顔はきちんと出来ている。それでも阿久津は心配で堪らず、固唾を飲んで見守っていた。

「それでは、佐伯くんの教育係はいつも通り阿久津さんについてもらいます」
「はい課長。承知いたしました」

阿久津は学と初めて会った体で紹介される。ここまでは佐伯社長、山下課長、そして阿久津だけの内輪で決まっていた話だ。



◇◇◇



三友商事で働くことについて、学と話し合った夜。彼は阿久津にこう言った。

「父さんの思惑は分かってます。息子をとりあえず恥ずかしくない地位につけたいと。そして現在自分が社長を務めている三友商事であればある程度人事が思い通りになるから、捻じ込みたいんですよね」

そこまで理解しているとは、意外だった。

「うーん、確かにお父さんはそんなようなことを言ってたけど、学くんが言う通りする必要は全く無いからね」

阿久津としては、学がやりたくも無い仕事に就かされることと同じくらい、正規の手段で入社しない、いわゆる「コネ入社」になることも危惧していた。万が一、学が社長の息子であることがバレたら、縁故採用であることを揶揄されて色々言われるのは学本人である。

そんなことを考えていたら、それを察してか学がこんなことを言った。

「三友商事に入るには、本来ものすごい努力と学歴が必要らしいですね。TOEICや学生時代のボランティア経験をそのためにやる人もいるくらいだと。そんなに頑張った人たちの中に、僕が入るのは場違いだし、入りたくても入れなかった人からするとズルいと思います」
「……うん。それは、学くんの言う通りかもしれないね」

実際は、社長クラスでなくとも幹部クラスの社員の子どもや親戚の縁故採用の噂は絶えない。そういう噂のある人でも、一生懸命働く人やそのポジションにあぐらをかいて仕事に手を抜く人と、色々いる。だが、本人の資質は別として最初に必ずコネ入社であるという色眼鏡で見られてしまう。阿久津は、そうした好奇の目に繊細な学を晒したくなかった。

「それに関しては、嫌悪感は正直あります。引きこもりニートが何言ってんだって感じかもしれないですけど。でも、後ろ指を指されないで堂々と自分の実力で就いた職の方が良いって、僕も思います。昔の僕なら多分、父さんへの反発心もあって突っぱねてたと思います」

でも、と学は続ける。

「それでも、僕は心から尊敬している人と働いてみたい。阿久津さんが普段何を見て、どんな仕事をしているのか、知りたいと思ってしまいます。阿久津さんと一緒に働けたら、僕ももっと変われるかもしれないと。……身勝手でごめんなさい」

まさかの「阿久津がいるから」という理由による志望動機に阿久津本人は面食らった。相変わらず、学は少し盲目的に阿久津に懐いているというか、心酔しているというか。

「私は、私なんてうちの会社では出世頭でもなんでもない、しがない平社員だよ。社内にはもっと凄い人がいっぱい……」

言いかけたところでふと言葉が止まった。

そうか。今、学に必要なことは、さまざまな年代、性格、立場の人と関わることだ。そして、我が三友商事にはそうした多様性のある人材が豊富だ。彼が人とのコミュニケーションを学ぶならうってつけの場所だろう。もちろん、いくら社長の息子とは言えど、引きこもりからいきなりサラリーマンとして働くことは簡単なことではない。

だが、学が三友商事で働きたいという意思があり、社長もそのつもりで調整を進めている今、単なる教育係の阿久津に反対をする権利はもはや無かった。

なんだかスッキリしない部分もあるにはあるが、学には間違いなくプラスに働くだろう。

以上が、学が三友に入社するに至った経緯である。
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