青天に蔽う

一話/社視点

「俺、女になろうと思ってんだよね。手術とかしてさ。」

同級生、青英故(あおえ ゆえ)の衝撃の告白を聞いてからニ週間。俺は変わらず、友人として、順当な距離で隣を歩いていた。

青い夏、嘘だったんかいと言いたくなるような寒空。朝六時はなんとなく薄暗く、夜の匂いが地面に立ち込めている。

俺は立花社(りっか やしろ)。高校二年、園児と見間違えるくらい元気に廊下を走っていた男子達も、マイノリティやポエミーな自我に悩まされる時期だ。来年は進路とかあるから余計に。それは俺だって例外ではない。

少し前を歩いているのは、故。青英故。
高校の入学説明会で席がたまたま隣だったのち、クラスも同じだった。それからの縁で、今もこうやって友人をしている。

故はとりわけ顔が綺麗な男だった。そこら辺の女子より細いし、大人しそうなのに、話してみると返してくる言葉選びが面白い。
色んなことに詳しいし、会話のテンポもいい。愛嬌があると思えば、嫌なことに関しては正直ビビるくらい激しく言い返す。

悪いやつではないが、癖が強すぎる。そういう関係で、基本的に同性からは一歩引かれている。

初っ端、「男って嫌いなんだよね。頭おかしい馬鹿が多いじゃん」と言われた時には驚いたが、俺は人の偏見に関して深く突っ込まない、非常に当たり障りのない性格なので、故の面白い一面を好んでいた。

俺は淡白な性格だと思う。
誰とも仲良くできるけど、ほんとに浅い。相手を否定する事を言わないのは、正直言って興味がないからだ。
否定するより、肯定できるところで語り合えた方がいいし、楽しいと思う。
ただ基本ヘラヘラしてるから、厄介なやつに粘着されたり、見下されたりもする。

高一の初め、まだ故とそんなに距離が縮まって無かった頃、席が前後ろだったから、休み時間になると故にちょっかいをかけていた。

「青英、世界史のノート取った…?俺完全に寝てた…」
「最初の授業で寝るのお前くらいだよ」
「えっ…ノート見せてくれんのか…ありがたいなあ…」
「マジで見せん。自業自得です」

「故、故〜何してんの!?ゲーム!?」
「うわっ…」

同じクラスの体育会系っぽい女子が、故と俺の間に突進してきた。故が後ろを向いていたから、俺の机ごと揺れる。

「えっなにそのアプリ、パズル?マジ陰キャだな〜外でろよ男子〜」
「うるさい。これマジ面白いから。神ゲーだからね。…あ、これ、一応友達…」

「ああ、そうなんだ。同じクラスだよね、俺立花社。よろしくね。」
故から紹介されたので、顔を向けて話しかける。

「えってかさ、この前のLINEグル返信くれてなくない!?マジでらむち泣いてた〜」

「えっマジそうなんだけど、何で返してくれないの?」

(おっ……ガン無視…………)

陽キャ女子軍団と交流がある故に尊敬心を抱きつつ、完全に俺をスルーする流れにアウェイになってしまう。
なんとなく気まずいが、ここで粘ってもしょうがないので、机だけ返してもらおうと声をかけるが無視され意気消沈。

「自販機でなんか買ってくるわ」
と小声で伝え、席を立とうとした瞬間、ひやっとするほど冷たい声が飛んできた。

「は?なんで立花が席どくの?」

「えっ………」

(えっ………)
俺の心の声と女子達の声が一致する。
故はこちらに視線をやった後、きつく女子達を睨み付けた。

「そこ立花の机なんだけど。勝手に話し始めるなら違うとこでやってくんない?立花に迷惑なのわかんない?」

「ゆ……故くんこわ、故くんだっていっつも勝手にうちらの会話入ってくるじゃん…」

「俺こんな迷惑なことしてたんだ?今までごめんね。でも今は内輪だけでしゃべってるわけじゃないし、てか、立花の事無視してんじゃん。失礼でしょ、普通に」

本気の剣幕で容赦なく刺す故。女子がちょっと泣きそうだ。え?何俺を庇ってくれてる?

「あっ……いや…その、違……」
「も、もういいよ!マジ冗談通じない、つまんない!」

彼女達は顔を真っ青にしながら泣きそうな女子の腕を掴んでどしどしと歩いていく。
静まり返る教室。突っ立っていた俺はふと我に返り、慌てて故にお礼を言った。

「うわ、ありがとう青英…」
「は?ありがとう?」
「いや、俺にきいつかってくれてありがとう。びびったわ、お友達なのにごめんな。」
「いや…俺が不快なだけだから、あーいうの……」

座りなよ。と目で催促した後、故はもうスマホに目を落としていて、なーんも無かったかのように話し出した。

「てか世界史の黒岩、めちゃくちゃ立花のこと見てたよ。終わりだなお前」
「まじかあ……」

(男嫌いって言ってたし、実際うざがられてると思ってたけど……)

「何見てんの?」
「いや、青英ってダチ思いなんだなあって…」
「いや立花は…別に友達じゃないけど…男だし…」
「ええ!?かなし!」
「友達とか関係なく、常識ないやつ嫌いってだけ。立花のこと大嫌いでも、好きな女の子でも同じことしたよ。」

(か、かっけえ………)

友達じゃないのが悲しいのは置いておいて、故の筋の通った考え方に俺はかなりときめいてしまった。

「うわ〜〜絶対友達になりてえな〜」
「うわあ、男からのラブコール、嬉しくな…」

見下されても無視されても、俺は自分のことならヘラヘラして終わらせてしまう。不快より面倒が勝つし、面倒と思った頃には飽きてしまう。
大抵の人がそうだと思って生きてきたから、大して好きでもない俺の為に怒った故のことが、ずいぶん眩しく感じられた。

それがすごい嬉しかった。

そのまま、時折り言葉で刺されながらもなんだかんだ一緒に居るうちに、故の事が好きになっていた。

故は、内輪に入れた人間にはだいぶ優しい。常識ない事したり、地雷を踏んだらちゃんと怒るし、その後引き摺らない。
同じクラスの女子ズともその後和解していた。ついでに俺も普通に仲良くなった。
男嫌いは仲良くなってからも常々聞いていたし、同性から距離を置かれているのもあって、女子の友達が多いのは知っていたが……

(そもそも女になりたいのか…)

しかし、故の恋愛対象は女の子だったと思う。
俺は見識が狭いので良く知らないが、女の子になって女の子と恋愛したいんだろうか。

まあ何にせよ、俺が深く突っ込むことではない。
故が顔の綺麗な男だろうが手術して女の子になろうが誰と恋愛しようが、故であることに変わりはない。

「社(やしろ)さあ、公民の範囲問題やった?」
「やってないなあ。プリント自体学校に置いてきたし…」
「は?今日テストだけど」
「俺人の名前覚えんの苦手だからなぁ…やっても頭に入んないから、捨ててる。」
「はあ…ぼけっとしすぎじゃないの。俺の名前も2年になるまで覚えてなかったし…」

「そうだっけ。故は覚えてたと思うけど」

覚えてたけど、下の名前で呼ぶの勇気いったんだよ。お前マジで男嫌いだから、名前で呼ばれんの無理って言ってたじゃん。

「マジお前、適当な」

故の呆れたような笑い方が好きだ。馬鹿が嫌いな故に、許されてるような気がしてしまう。
非常に自意識過剰で申し訳ないが、故が俺とだけ男友達でいるのは、特別だからじゃないんかって思いたくなっちゃうんだよね。俺はさあ、好きだから。

「はあ…てか社さあ、梨沙さんから土曜誘われた?」
「橘梨沙(たちばな りさ)?文化祭のお疲れ会だっけ。橘じゃなくて田中から誘われた」
「俺…梨沙さんからLINE来ててさあ……人混みもクラスの奴らもマジ無理だけど、これいくしかないっしょっていうか…………」

故が男でも女になっても何の問題もない。
どっちであろうと俺は故が好きだし、故は女の子が好きだから、この関係性が変わることはない。
でも、故、お前が女になって、好きあってた女の子がお前を受け入れなかった時、お前、耐えられんの?

「まじ?よかったねえ。故来るなら嬉しいよ、決心着いたら教えて。」

俺はせこいからさあ、そうなっても何も言わず、お前の友人でいると思うよ。

にこにこしながら土曜の予定を立てる故の話を穏やかな顔をして聞いている。故は目的地までの道がわかんないから、俺が迎えに行く事になった。

「助かる。梨沙さん誘ったんだけどさあ、道わかんないっつって。女子で行くって約束してたらしくて、しんどいわー。女子になりてえ」

「まじ?つらいなあ。でも誘えたのすごいじゃん。そういう積極性あるよなあ」

実の所、橘からは直接誘われたし、故を誘うなら俺が連れてくるからと話をしてあったから、遠慮してくれたんだろう。
マジで何も知らん故はあーマジ、梨沙さんと○ューロランド行きてえ…誘おうかな…などぼやいている。

「マジで抱きしめられたまま寝てえ〜……」

故は女の子に対しては異常に甘えたがりだ。
それが良いと言う反面、彼女になった子達は大抵、異常なほどの甘え…というか、子供っぽい一面に引いて逃げてしまう。
橘は優しくて落ち着いた性格だから、故からしたらドンピシャなんだろうけど。橘、年上が好みなんだよな。数学の教師と付き合ってたし。言わないけど。

「俺は受験がヤバくて恋愛の余裕ないなあ…」
「じゃあ尚更テス勉やんなきゃじゃん。俺は進学するつもりないから楽勝」
「就職かあ。それはそれで大変ですなあ」
「手術するからさー、金貯めたいの」
「そっかあ、えらいですなあ…」

ワンテンポ置いて、少し立ち止まる。地面の色はまだ暗い。空が暖色がかってくるのは、登校した後だろう。

「社さあ…わりとなんか、普通でびびるわ…まあ社って感じだけど」
「なに、女になること?」
「んー、まあ、そう。もっとなんか…あるかと思ってたけど、正直」


故の目が俺をじっと見据える。
肝心な事伝える時、絶対目を逸らさないんだよなあ。

「別に、故は故だし。女の子になったら友達やめるん?」
「……いや、それはないけど。」
「じゃあ良かった。男でも女でも、故が生きやすくなるってだけで、俺と故は変わらないんじゃん。どっちでもいいよ。」
「お前…マジで適当だな……」

故は笑っているが、適当じゃないんだな。本気で言ってるよ。俺はお前がどっちだったっていい。故が好きだから、故が故であるなら良いよ。

故は俺みたいにせこくないから、いつか全部丸ごと故の事、好きになる女の子は絶対にいると思うけど。
それこそ、お前の甘え癖も含めて。

でも俺、お前のこと受け入れられる女性なんて現れなきゃ良いと思ってる。報われない分、できる限りそんな未来を見たくない。だから、女になっても俺と友達辞めないんなら、それでいいよ。

俺はせこいから、今まで通りちゃんと邪魔するし。

「……まあ、応援ありがとう」
「おー、がんばりな〜」

故の指先が赤い。ポケットからカイロを差し出したら、男の体温はいらんと指を隠された。
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