青い鳥はつぶやかない 堅物地味子の私がベリが丘タウンで御曹司に拾われました
 こうなったら自分を捨ててでも嫌われるしかない。

「私、同級生に指摘されるまで脇毛の処理もしてなかったような女ですよ」

「今でも?」

「いえ、さすがに今は」

「俺はそんなこと気にしないけど」と、蒼馬は肩をすくめた。「ありのままの君がいい」

 ――いやいや、良くないでしょ。

 身だしなみとか、清潔感って、社会人としても大事だと思う。

 だから、高校で指摘してくれた同級生には感謝してるもん。

「うちは両親とも教師で忙しくて、あまり家のこととか、私のこととか、構ってもらえなかったんですよ。だから、そういうことが当たり前だって知らなくて」

「当たり前か。それなら俺も同じようなものだろ。経験のないことなんていっぱいある。さっきも言ったようにふつうのデートを経験したことはないし、免許はあるけど自分で車を運転したこともない」

「え、そうなんですか?」

 見たこともないようなスーパーカーでも乗り回しているのかと勝手に思い込んでいた。

「フェラーリでも運転してる姿が似合いそう?」

「ええ、まあ」

「立場上、車の運転はさせてもらえないんだ。事故を起こしたら大変だからね」

 いったん目を伏せてそうつぶやくと、蒼馬は視線を天井に向けながら指を折り始めた。

「他にも不自由なことはいっぱいあるよ。電車に乗ったことはないし。一人で出かけたこともない。常に誰かに見張られているんだ」

 もしかして、今も?

 ふと見回すと、一階のロビーに黒い服の男性が立っていて、史香と視線が合いそうになると急に目をそらしていた。

 グラスを置いた蒼馬が改まった姿勢で頭を下げる。

「頼むよ。一生に一度の思い出を作らせてほしい」

「でも、なんで私なんですか。ふつうの人間が珍しいからですか」

「里桜に言われたことを気にしてるの?」

「そういうわけでは」

「何度も言うけど、一目惚れなんだ。他に言いようがないよ」

 蒼馬がそっと手を差し伸べてくる。

 引っ込めようとした時にはテーブル越しに手を握られていた。

 ――なんでだろう。

 不思議と嫌な感じがしない。

 そもそも自分は人と触れ合うことが苦手だ。

 仕事中に気軽に肩に手を置いて話しかけてくるような人の神経が理解できない。

 なのに、今の自分は心に安らぎを感じている。

 ――もっと触れて欲しい。

 そんなふうに思った瞬間、我に返った史香は飛び退くように手を引っ込めた。

「それとも、何度でも言われたい?」

 ――はあ?

 いやいや、違いますから。

「君に一目惚れしたんだ。本当だよ」

 元々そんなに強くないのに急に酔いが回ってきて顔が熱くなる。

「お互い、将来に備えて練習しておくっていうのも悪くないだろ」

 そんな機会が来るとは思えないけど。

「リハーサルってことでいいじゃないか」

 視線は媚薬だ。

 決してお酒に酔ったからではない。

 史香はうなずいていた。

 窓の外に目をやった蒼馬が腰を浮かせた。

「車が来た。場所を変えよう」

 促された史香は催眠術にかかったかのように立ち上がっていた。

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