青い鳥はつぶやかない 堅物地味子の私がベリが丘タウンで御曹司に拾われました
◇
史香はタクシーでいったん自分のアパートに戻ると、もう一度シャワーを浴び直し、着替えてから出勤した。
「先輩、おはようございます。もう大丈夫なんですか」
後輩の菜月とエレベーターで一緒になる。
なんとなく目を合わせにくい。
入院は二晩だけで、最後は蒼馬と甘い時間を過ごしていたなんて話せるわけがない。
「心配かけてごめんなさい。仕事も大変だったでしょ」
「それがなんだか変なんですよ」と、菜月が唇をとがらせる。「課長がみんな定時で帰れとか言い出して」
――え?
「どうして?」
「それが全然意味分からないんですよ」
あなたは仕事全般分かってないでしょうけど、と喉から飛び出しそうになるのを押さえる。
進捗についても聞きたかったけど、他社の人もいる公共の場所では話せる内容ではなかった。
オフィスに入ってから史香は課長のところへ挨拶に行った。
「課長、おはようございます。大変申し訳ございませんでした」
「ああ、退院できて良かったな」と、課長が椅子から立ち上がる。「まだ休んでいても良かったんだぞ。落ち着くまで」
「いえ、もう、なんともありませんから」
「まあ、そう無理しなくてもいいから」
なんだか気をつかわれすぎているのか、背中がむずむずする。
今までこんな対応はなかった。
いつも綱渡りの進行で、自分のように病んで辞めていった社員ばかりだったのだ。
「どうかしたんですか、課長」
「いや、何も気にすることはないんだ」
気になって仕方がない。
「もしかして、プロジェクトが中止になったとか?」
「いや、そういうことじゃないよ」と、広いおでこを覆う前髪をかきあげる。「我が社も上場が近いということで、コンプライアンスとか、そういったことに注意すべきと上からのお達しがあってね」
ああ、そういうことだったのか。
「社員の健康管理も重要だというわけだ」
それにしても、奥歯に物が挟まったような言い方が気になる。
史香の視線に観念したのか、課長が声を落とす。
「黄瀬川君の入院について我が社に知らせてきたのが道源寺グループの御曹司だったのは聞いてるか?」
「ああ、ええ、まあ」
その本人と一夜を過ごしたなんて言ったら、課長が入院してしまうかもしれない。
「道源寺と言えば、うちの親会社の取引先で以前から社長同士の交流もある。社員が過労で倒れたのを救護して入院させたなんて言われたら、社長も立場がないだろ」
ああ、だから、昨日電話で話した時からもう様子がおかしかったのか。
「とにかく、当分の間、定時で退社してくれ」
「でも、それでは進捗が」
「人員の手当はするから」
そんなことで解決するとは思えない。
菜月のようなメンバーなら、また一から教えなくてはならないし。
――はあ。
なんかため息しか出ない。
そんな史香の様子を心配そうに課長が見ている。
「あ、大丈夫です。もう元気ですから」
肘を折り曲げてありもしない力こぶをたたいて見せると、史香は自分の席に戻った。