乳房星(たらちねぼし)−1・0
【酒は大関】
時は、夕方6時過ぎであった。
ところ変わって、東村南の国道沿いにあるナイトショップいしづちの店内にて…
(カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ…チーン…)
私は、できたてのお弁当2食とワンカップ大関2本を購入したあとレジで精算した。
(ブブーッ!!…ブロロロ…)
ナイトショップで食事調達を終えたあと、私は歩いて唐子浜パークへ向かった。
時は、夜8時過ぎであった。
またところ変わって、唐子浜パークの中にあるホテルの和室にて…
和室のテーブルの上には、ワンカップ大関とからあげ弁当が置かれていた。
和室にいる私は、からあげ弁当をサカナに酒をのんでいた。
和室の窓には、色とりどりのカクテル光線に照らされている夜の海水浴場が写っていた。
海水浴場《ビーチ》は、遠方《よそ》の大学の大学生たちのグループと若いカップルさんたちとちいちゃいお子さんを連れているギャルママたちのグループと家族連れのみなさまたちでにぎわっていた。
派手なサーフパンツをはいている男子大学生たちが海でサーフィンを楽しんでいた…
桟敷席には、水着姿の家族連れたちとちいちゃいお子さんを連れているギャルママたちのグループと若いカップルさんたちがいた。
外に設置されているスピーカーからバックグラウンドミュージックといろんなCMが流れていた。
和室にいる私は、ひとりで夕食を摂っていた。
この2日間、私は警察署の留置場で過ごしたので身体がひどく疲れていた。
きょうは、お風呂に入ってごはん食べたら早くねよう…
(ザザーン…チクタクチクタクチクタク…ザザーン…)
時は、深夜11時20分頃であった。
枕もとに置かれているスタンドのうすぐらい灯りが灯る部屋に、おだやかな波の音と柱についている振り子式の掛け時計の振り子の音が聞こえていた。
ふとんに入っている私は、ラジオを聴きながら2本目のワンカップ大関をのんでいた。
イヤホンからNHKラジオ第一放送で放送されている『夢のハーモニー』が聴こえていた。
私は、ぼんやりとした表情で考えごとをしていた。
私・コリントイワマツヨシタカグラマシーは、1947年11月30日にカナダ・プリンスエドワード島で多国籍多民族の男子で生まれた。
その後の生い立ちは、故人が遺《のこ》した公正証書《ユイゴンショ》に記《しる》されたとおりの人生を過ごした。
1歳の誕生日の翌朝、私はママと別れた。
その後、私は育てのマァマと一緒に2歳の夏までプリンスエドワード島で暮らした。
1950年以降、私はちいちゃいけどめちゃめちゃ高度な教育を受ける日々を過ごした。
1950年秋・アメリカ・ハーバード大学の大学院に入学…
並行して、1953年秋から1957年夏までフィンランド国防大学…
1957年秋から1961年夏までイギリス王立国防大学…
それとまた並行して、アメリカ合衆国内にある複数の理系工科系の大学の大学院…
…に在籍した。
1962年夏にすべての大学・大学院を超優秀な成績で卒業した。
1962年夏から1963年春までの準備期間をへて、1963年3月末に来日した。
1963年4月から1966年3月まで陸上自衛隊少年工科学校…
1966年4月から1970年3月28日まで防衛大学校…
……にそれぞれ在籍した。
2校とも、超優秀な成績で卒業した。
防衛大学校の卒業式を終えたあとすぐに渡米した。
1970年3月30日から夏までの間は、アメリカ海兵隊のブートキャンプでみっちりしごかれた…
その後、1970年9月から1981年6月30日までアメリカ国防総合大学に在籍した。
国防総合大学内にある大学・大学院全部に在籍して勤勉ひとすじの暮らしを送った…
1981年6月30日にアメリカ国防総合大学を超優秀な成績で卒業した。
6月30日までの間に、仕事に必要な資格5000億種類・修士博士号合計5000億号・アメリカ軍の三軍すべての大尉までの階級を取得した。
仕事に必要な資格5000億種類と修士博士号合計5000億号と三軍の大尉までの階級証とイワマツ家・イワマツグループの財産一式と陸自の男子校と防衛大学校に在籍していた時に支給された大金(95パーセント分は郵便貯金口座に貯蓄されている)大番頭《おおばんと》さんたち連帯後見人30万人のもとに預けられている…
あれがないと、私は仕事ができない…
どうすればいいのだ…
はやく大番頭《おおばんと》はんたちを見つけなきゃ…
(チクタクチクタク…)
時は、深夜11時55分頃であった。
柱についている振り子式の時計の振り子の音が部屋に聴こえていた。
イヤホンから放送終了前のNHKニュースから四国地方の明日の天気予報が聴こえていた。
このあと、午前0時の時報〜国歌斉唱〜タイトルコールで放送終了となる…
(この当時、NHKラジオは深夜0時で放送終了していた…)
『JOZK…NHK松山第一放送です…』
(ピンポンパンポーン…)
イヤホンからタイトルコールのあと、オルゴール音が聴こえた。
私は、ぼんやりとした表情で天井を見つめながら考えごとをしていた。
もし…
大番頭《おおばんと》はんたちが見つからなかったら…
私は…
どう対処すればいいのか…
私はこの時、とんだ災難に遭った日の午前中の出来事を思い出した。
話は【いぬのおまわりさん】のエピソードが始まる前のことであった。
7月29日の朝方だったと思う。
場所は、今治桟橋の前の新町商店街にあるマリン(早朝喫茶)にて…
私はあの日、今治桟橋でママと再会したあとマリンに連れて行かれた。
ママはあの時、私に対して『よーくんに紹介したい人がいるのよ…』とウキウキした表情で言うた。
ママに言われた私は、ひどくコンワクした。
ママと私は、店内にある奥の席でママの知人夫婦・口総《くちすぼ》たまよ・努《つとむ》の夫婦と大学生くらいの娘さんの3人と向かいあって座っていた。
ママは、私にたまよ・務《つとむ》の夫婦の娘さんを紹介した。
「よーくん紹介するわよ…ママの旧友《シンユウ》の長女さんの口総詠美《くちすぼえいみ》さんよ。」
詠美《えいみ》さんは、優しい声で私にあいさつをした。
「詠美《えいみ》です…よろしくね。」
私は、ひどくコンワクした表情でママに言うた。
「ママ。」
「あら、よーくんどうしたの?」
「ママ…ぼくはまだ結婚を考えていないのだよ〜」
「よーくん、ママはよーくんがよろこんでいる顔が見たいのよ…」
「それはいくらなんでも困るよ~」
たまよは、過度に優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん。」
「はい?」
「私たちは、すぐに結婚しなさいとは言うてないのよ。」
「私は、結婚を考えていないのですよ~」
私は、ひどくコンワクした表情でたまよに言うた。
たまよは、過度に優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん、詠美《えいみ》はまだ大学4回生よ。」
「4回生…」
「結婚する時期は、まだ先のことよ。」
「それじゃあ、どうしたらいいのですか?」
「だから詠美《えいみ》が30歳になったらするのよ…」
「そうは言うけど…」
「ヨシタカさんは、意中の女性《ひと》は他にいるの?」
「(よーくん、ものすごく困った表情で言う)意中の人はいるのかって…」
「ヨシタカさんに意中の女性《ひと》がいるのだったら、詠美《えいみ》の結婚相手は選び直すから…きょうこさん…ヨシタカさんは他に好きな女性《ひと》はいるの?」
ママは、ヘラヘラ嗤《わら》いながら『よーくんは、近くにガールフレンドはいなかったのよ〜』とたまよに言うた。
私は、ものすごくあわてた表情でママに言うた。
「ママ!!」
「よーくんどうしたのよ?」
私は、ひどくおたついた表情でママに言うた。
「ママ…ぼく…意中の女性《ひと》がいるのだよ~」
「えっ?」
「えっ?じゃなくて…ぼくの意中の女性《ひと》ができたのだよ!!」
ママは、きょとんとした表情で『どこにいるのよ?』と私に言うた。
私は、ものすごくあわてた表情でママに言うた。
「ママ!!今度の日曜日にガールフレンドを連れてくるから…コーコーの時に知り合ったかわいい女の子だよ…」
「本当なの?」
「ママ!!」
「よーくん、落ち着いてよ〜」
「落ち着いてるよ!!」
「口総《くちすぼ》の奥さまは、よーくんがずっとがまんしていたからいいよと言うてるのよ〜」
「いいよって…どう言うことだよ!?」
「だから、恋をしてもいいよと言うてるのよ〜」
「恋をしてもいいよと言うけど…」
「よーくんは今まで勤勉ひとすじでがんばったので、神さまがごほうびを与えますといよんよ~」
わけの分からないことを言うなよ…
ママは、あの日の出来事をきれいに忘れたのかよ…
故人《こじん》が遺《のこ》した公正証書《ユイゴンショ》をホゴにしたらどうなるのか…
…と言うことが分からないのかよ…
…と私は言おうとした。
たまよは、優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん。」
「はい?」
「どうかなさいましたか?」
「どうかなさいましたかって…」
「ヨシタカさんは、ほんとうに意中の女性《ひと》はいるの?」
たまよの問いに対して、私はひどくコンワクした。
たまよは、優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん…私たちは他に好きな女性《ひと》がいなかったら、うちの詠美《えいみ》はいかがですか…と言うてるのよ〜」
どこぞのファストフード店の店員みたいな言葉を言うなよ!!
私はこの時、怒りが噴出しそうになった。
たまよは、ものすごく気色悪い声で私に言うた。
「ヨシタカさん、うちの詠美《えいみ》は女子大にいるので周りに男の人がいないのよ…コンパもサークル…楽しいことは全部がまんして勤勉ひとすじに取り組んでいるのよ…ねえあなた…」
たまよに言われた夫は、気乗りしない声で『ああ…』と答えた。
それは本当なのか…
…とうたがいたくなった。
たまよは、より気色悪い表情で私に言うた。
「ヨシタカさん…詠美《えいみ》とデートしたいのだったら、セッティングしましょうか?」
「デートのセッティングって…」
ママは、困った表情で私に言うた。
「よーくん、お願いしていただいたら?」
「ママ!!」
「詠美《えいみ》さんとデートがしたいと言うたら、たまよさんが全部セッティングしてくれるのよ…」
それはいくらなんでも気が引けるよ…
私は、ものすごく困った表情でつぶやいた。
ママは、優しい声でたまよに言うた。
「たまよさん、よーくんと詠美《えいみ》さんのデートのセッティングをお願いします。」
たまよは、のんきな声で『任せてよ~』と言うた。
その後、たまよが一方的に取り仕切る形でデートのセッティングをした。
これにより、私と詠美《えいみ》さんは8月2日頃にデートすることが決まった。
ママとたまよが勝手にデートの日取りを決めた…
なんで私は、好きでもない女と交際して結婚しないといかんのぞ!!
詠美《えいみ》さんも詠美《えいみ》さんで、ママと両親に対してヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコ…とヒクツになっているじゃないか!!
(ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク…)
私は、のみかけのワンカップ大関を一気にのみほしたあとふとんの中に潜り込んだ。
早く朝が来てくれ〜
早く逃げないと…
私は…
ママと口総《くちすぼ》の家の家族たちに…
やられてしまう…
時は、8月1日の朝7時頃であった。
私は、出発準備を整えたあとショルダーバッグとゆうべナイトショップで購入したお弁当を持って旅に出た。
私は、お弁当を食べたあと唐子浜のバス停から小松町役場行きのバスに乗って旅に出た。
小松町役場前のバス停でバスを降りた私は、それから10分後に到着した松山市駅行きの特急バスに乗り込んだ。
バスは、桜三里《とうげ》を越えたあと川内詰め所〜愛大病院を経由して松山市中心部へ向かった。
(ボーッ!!ボーッ!!ボーッ!!)
時は、午後4時過ぎであった。
私は、三津浜港から柳井港行きの防予汽船フェリーに乗って海を渡った。
フェリーは、夕方6時半頃に柳井港に到着した。
(ブロロロ…)
夜8時半頃であった。
私は、ヒッチハイクした長距離トラックに乗って西へ向かった。
トラックは、国道188号線〜国道2号線〜国道190号線を通って山陽小野田市へ向かった。
トラックは、深夜11時半頃におのだサンパーク(ショッピングセンター・サンパークおのだとも言う)の正面玄関前に到着した。
そこでトラックを降りた私は、ショルダーバッグを持って再び歩き出した。
私の気持ちは、ひどくあせっていた…
一刻も早く大番頭《おおばんと》はんたちを見つけないとたいへんだ…
イワマツ家・イワマツグループの財産一式と仕事に必要な資格5000億種類と修士博士号合計5000億号とアメリカの三軍の大尉までの階級証がないと仕事ができないし、生きていくこともできない…
ママが決めた詠美《おんな》と結婚するのはものすごくイヤだ…
口総《くちすぼ》の夫婦とママは、私にしあわせになれと言うけど…
それは、私が望んでいる幸せではない!!
私のしあわせは…
ママのものではない!!
私自身のものだ!!
これ以上勝手なことされたらものすごく困る!!
急がなきゃ…
残された時間は限られている…
急がなきゃ…
急がなきゃ…
…………………
ところ変わって、東村南の国道沿いにあるナイトショップいしづちの店内にて…
(カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ…チーン…)
私は、できたてのお弁当2食とワンカップ大関2本を購入したあとレジで精算した。
(ブブーッ!!…ブロロロ…)
ナイトショップで食事調達を終えたあと、私は歩いて唐子浜パークへ向かった。
時は、夜8時過ぎであった。
またところ変わって、唐子浜パークの中にあるホテルの和室にて…
和室のテーブルの上には、ワンカップ大関とからあげ弁当が置かれていた。
和室にいる私は、からあげ弁当をサカナに酒をのんでいた。
和室の窓には、色とりどりのカクテル光線に照らされている夜の海水浴場が写っていた。
海水浴場《ビーチ》は、遠方《よそ》の大学の大学生たちのグループと若いカップルさんたちとちいちゃいお子さんを連れているギャルママたちのグループと家族連れのみなさまたちでにぎわっていた。
派手なサーフパンツをはいている男子大学生たちが海でサーフィンを楽しんでいた…
桟敷席には、水着姿の家族連れたちとちいちゃいお子さんを連れているギャルママたちのグループと若いカップルさんたちがいた。
外に設置されているスピーカーからバックグラウンドミュージックといろんなCMが流れていた。
和室にいる私は、ひとりで夕食を摂っていた。
この2日間、私は警察署の留置場で過ごしたので身体がひどく疲れていた。
きょうは、お風呂に入ってごはん食べたら早くねよう…
(ザザーン…チクタクチクタクチクタク…ザザーン…)
時は、深夜11時20分頃であった。
枕もとに置かれているスタンドのうすぐらい灯りが灯る部屋に、おだやかな波の音と柱についている振り子式の掛け時計の振り子の音が聞こえていた。
ふとんに入っている私は、ラジオを聴きながら2本目のワンカップ大関をのんでいた。
イヤホンからNHKラジオ第一放送で放送されている『夢のハーモニー』が聴こえていた。
私は、ぼんやりとした表情で考えごとをしていた。
私・コリントイワマツヨシタカグラマシーは、1947年11月30日にカナダ・プリンスエドワード島で多国籍多民族の男子で生まれた。
その後の生い立ちは、故人が遺《のこ》した公正証書《ユイゴンショ》に記《しる》されたとおりの人生を過ごした。
1歳の誕生日の翌朝、私はママと別れた。
その後、私は育てのマァマと一緒に2歳の夏までプリンスエドワード島で暮らした。
1950年以降、私はちいちゃいけどめちゃめちゃ高度な教育を受ける日々を過ごした。
1950年秋・アメリカ・ハーバード大学の大学院に入学…
並行して、1953年秋から1957年夏までフィンランド国防大学…
1957年秋から1961年夏までイギリス王立国防大学…
それとまた並行して、アメリカ合衆国内にある複数の理系工科系の大学の大学院…
…に在籍した。
1962年夏にすべての大学・大学院を超優秀な成績で卒業した。
1962年夏から1963年春までの準備期間をへて、1963年3月末に来日した。
1963年4月から1966年3月まで陸上自衛隊少年工科学校…
1966年4月から1970年3月28日まで防衛大学校…
……にそれぞれ在籍した。
2校とも、超優秀な成績で卒業した。
防衛大学校の卒業式を終えたあとすぐに渡米した。
1970年3月30日から夏までの間は、アメリカ海兵隊のブートキャンプでみっちりしごかれた…
その後、1970年9月から1981年6月30日までアメリカ国防総合大学に在籍した。
国防総合大学内にある大学・大学院全部に在籍して勤勉ひとすじの暮らしを送った…
1981年6月30日にアメリカ国防総合大学を超優秀な成績で卒業した。
6月30日までの間に、仕事に必要な資格5000億種類・修士博士号合計5000億号・アメリカ軍の三軍すべての大尉までの階級を取得した。
仕事に必要な資格5000億種類と修士博士号合計5000億号と三軍の大尉までの階級証とイワマツ家・イワマツグループの財産一式と陸自の男子校と防衛大学校に在籍していた時に支給された大金(95パーセント分は郵便貯金口座に貯蓄されている)大番頭《おおばんと》さんたち連帯後見人30万人のもとに預けられている…
あれがないと、私は仕事ができない…
どうすればいいのだ…
はやく大番頭《おおばんと》はんたちを見つけなきゃ…
(チクタクチクタク…)
時は、深夜11時55分頃であった。
柱についている振り子式の時計の振り子の音が部屋に聴こえていた。
イヤホンから放送終了前のNHKニュースから四国地方の明日の天気予報が聴こえていた。
このあと、午前0時の時報〜国歌斉唱〜タイトルコールで放送終了となる…
(この当時、NHKラジオは深夜0時で放送終了していた…)
『JOZK…NHK松山第一放送です…』
(ピンポンパンポーン…)
イヤホンからタイトルコールのあと、オルゴール音が聴こえた。
私は、ぼんやりとした表情で天井を見つめながら考えごとをしていた。
もし…
大番頭《おおばんと》はんたちが見つからなかったら…
私は…
どう対処すればいいのか…
私はこの時、とんだ災難に遭った日の午前中の出来事を思い出した。
話は【いぬのおまわりさん】のエピソードが始まる前のことであった。
7月29日の朝方だったと思う。
場所は、今治桟橋の前の新町商店街にあるマリン(早朝喫茶)にて…
私はあの日、今治桟橋でママと再会したあとマリンに連れて行かれた。
ママはあの時、私に対して『よーくんに紹介したい人がいるのよ…』とウキウキした表情で言うた。
ママに言われた私は、ひどくコンワクした。
ママと私は、店内にある奥の席でママの知人夫婦・口総《くちすぼ》たまよ・努《つとむ》の夫婦と大学生くらいの娘さんの3人と向かいあって座っていた。
ママは、私にたまよ・務《つとむ》の夫婦の娘さんを紹介した。
「よーくん紹介するわよ…ママの旧友《シンユウ》の長女さんの口総詠美《くちすぼえいみ》さんよ。」
詠美《えいみ》さんは、優しい声で私にあいさつをした。
「詠美《えいみ》です…よろしくね。」
私は、ひどくコンワクした表情でママに言うた。
「ママ。」
「あら、よーくんどうしたの?」
「ママ…ぼくはまだ結婚を考えていないのだよ〜」
「よーくん、ママはよーくんがよろこんでいる顔が見たいのよ…」
「それはいくらなんでも困るよ~」
たまよは、過度に優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん。」
「はい?」
「私たちは、すぐに結婚しなさいとは言うてないのよ。」
「私は、結婚を考えていないのですよ~」
私は、ひどくコンワクした表情でたまよに言うた。
たまよは、過度に優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん、詠美《えいみ》はまだ大学4回生よ。」
「4回生…」
「結婚する時期は、まだ先のことよ。」
「それじゃあ、どうしたらいいのですか?」
「だから詠美《えいみ》が30歳になったらするのよ…」
「そうは言うけど…」
「ヨシタカさんは、意中の女性《ひと》は他にいるの?」
「(よーくん、ものすごく困った表情で言う)意中の人はいるのかって…」
「ヨシタカさんに意中の女性《ひと》がいるのだったら、詠美《えいみ》の結婚相手は選び直すから…きょうこさん…ヨシタカさんは他に好きな女性《ひと》はいるの?」
ママは、ヘラヘラ嗤《わら》いながら『よーくんは、近くにガールフレンドはいなかったのよ〜』とたまよに言うた。
私は、ものすごくあわてた表情でママに言うた。
「ママ!!」
「よーくんどうしたのよ?」
私は、ひどくおたついた表情でママに言うた。
「ママ…ぼく…意中の女性《ひと》がいるのだよ~」
「えっ?」
「えっ?じゃなくて…ぼくの意中の女性《ひと》ができたのだよ!!」
ママは、きょとんとした表情で『どこにいるのよ?』と私に言うた。
私は、ものすごくあわてた表情でママに言うた。
「ママ!!今度の日曜日にガールフレンドを連れてくるから…コーコーの時に知り合ったかわいい女の子だよ…」
「本当なの?」
「ママ!!」
「よーくん、落ち着いてよ〜」
「落ち着いてるよ!!」
「口総《くちすぼ》の奥さまは、よーくんがずっとがまんしていたからいいよと言うてるのよ〜」
「いいよって…どう言うことだよ!?」
「だから、恋をしてもいいよと言うてるのよ〜」
「恋をしてもいいよと言うけど…」
「よーくんは今まで勤勉ひとすじでがんばったので、神さまがごほうびを与えますといよんよ~」
わけの分からないことを言うなよ…
ママは、あの日の出来事をきれいに忘れたのかよ…
故人《こじん》が遺《のこ》した公正証書《ユイゴンショ》をホゴにしたらどうなるのか…
…と言うことが分からないのかよ…
…と私は言おうとした。
たまよは、優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん。」
「はい?」
「どうかなさいましたか?」
「どうかなさいましたかって…」
「ヨシタカさんは、ほんとうに意中の女性《ひと》はいるの?」
たまよの問いに対して、私はひどくコンワクした。
たまよは、優しい声で私に言うた。
「ヨシタカさん…私たちは他に好きな女性《ひと》がいなかったら、うちの詠美《えいみ》はいかがですか…と言うてるのよ〜」
どこぞのファストフード店の店員みたいな言葉を言うなよ!!
私はこの時、怒りが噴出しそうになった。
たまよは、ものすごく気色悪い声で私に言うた。
「ヨシタカさん、うちの詠美《えいみ》は女子大にいるので周りに男の人がいないのよ…コンパもサークル…楽しいことは全部がまんして勤勉ひとすじに取り組んでいるのよ…ねえあなた…」
たまよに言われた夫は、気乗りしない声で『ああ…』と答えた。
それは本当なのか…
…とうたがいたくなった。
たまよは、より気色悪い表情で私に言うた。
「ヨシタカさん…詠美《えいみ》とデートしたいのだったら、セッティングしましょうか?」
「デートのセッティングって…」
ママは、困った表情で私に言うた。
「よーくん、お願いしていただいたら?」
「ママ!!」
「詠美《えいみ》さんとデートがしたいと言うたら、たまよさんが全部セッティングしてくれるのよ…」
それはいくらなんでも気が引けるよ…
私は、ものすごく困った表情でつぶやいた。
ママは、優しい声でたまよに言うた。
「たまよさん、よーくんと詠美《えいみ》さんのデートのセッティングをお願いします。」
たまよは、のんきな声で『任せてよ~』と言うた。
その後、たまよが一方的に取り仕切る形でデートのセッティングをした。
これにより、私と詠美《えいみ》さんは8月2日頃にデートすることが決まった。
ママとたまよが勝手にデートの日取りを決めた…
なんで私は、好きでもない女と交際して結婚しないといかんのぞ!!
詠美《えいみ》さんも詠美《えいみ》さんで、ママと両親に対してヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコヘコ…とヒクツになっているじゃないか!!
(ゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴク…)
私は、のみかけのワンカップ大関を一気にのみほしたあとふとんの中に潜り込んだ。
早く朝が来てくれ〜
早く逃げないと…
私は…
ママと口総《くちすぼ》の家の家族たちに…
やられてしまう…
時は、8月1日の朝7時頃であった。
私は、出発準備を整えたあとショルダーバッグとゆうべナイトショップで購入したお弁当を持って旅に出た。
私は、お弁当を食べたあと唐子浜のバス停から小松町役場行きのバスに乗って旅に出た。
小松町役場前のバス停でバスを降りた私は、それから10分後に到着した松山市駅行きの特急バスに乗り込んだ。
バスは、桜三里《とうげ》を越えたあと川内詰め所〜愛大病院を経由して松山市中心部へ向かった。
(ボーッ!!ボーッ!!ボーッ!!)
時は、午後4時過ぎであった。
私は、三津浜港から柳井港行きの防予汽船フェリーに乗って海を渡った。
フェリーは、夕方6時半頃に柳井港に到着した。
(ブロロロ…)
夜8時半頃であった。
私は、ヒッチハイクした長距離トラックに乗って西へ向かった。
トラックは、国道188号線〜国道2号線〜国道190号線を通って山陽小野田市へ向かった。
トラックは、深夜11時半頃におのだサンパーク(ショッピングセンター・サンパークおのだとも言う)の正面玄関前に到着した。
そこでトラックを降りた私は、ショルダーバッグを持って再び歩き出した。
私の気持ちは、ひどくあせっていた…
一刻も早く大番頭《おおばんと》はんたちを見つけないとたいへんだ…
イワマツ家・イワマツグループの財産一式と仕事に必要な資格5000億種類と修士博士号合計5000億号とアメリカの三軍の大尉までの階級証がないと仕事ができないし、生きていくこともできない…
ママが決めた詠美《おんな》と結婚するのはものすごくイヤだ…
口総《くちすぼ》の夫婦とママは、私にしあわせになれと言うけど…
それは、私が望んでいる幸せではない!!
私のしあわせは…
ママのものではない!!
私自身のものだ!!
これ以上勝手なことされたらものすごく困る!!
急がなきゃ…
残された時間は限られている…
急がなきゃ…
急がなきゃ…
…………………