私が一番近かったのに…
「よかった。遅刻してなかった…」

彼女が遅刻したとしても、俺は特に気にしなかったと思う。男性は女性を待つものだと昔、親父から教わったからである。
女性を待つことができる男でなければ、男として廃る。今ならその言葉の意味がよく分かる。
好きな女を守るためなら、男は幾らでも強くなれる。力ではなく、心が強くなくてはならないのだと。

「あのさ、そろそろ下の名前で呼んでもいいかな?」

今更かもしれないが、勝手に呼び捨てにすることはできなかった。
馴れ馴れしいと思われたくなかった。ちゃんと彼女に許可を頂いてから、下の名前で呼びたかった。

「いいですよ。私も和樹さんって呼んでもいいですか?」

もちろん、彼女に和樹って呼んでほしい。好きな女の子に、自分の名前を呼んでもらえるのは嬉しい。

「うん、いいよ。和樹って呼んでくれると嬉しいな」

幸保は頬を赤く染めていた。小さなことでも反応を示してくれる彼女のことが、とても可愛く思えた。

「行こっか。まずは水族館に…」

幸保は首を小さく縦に頷いた。俺はそっと彼女の手を取り、繋いだ。
嫌がる素振りも見せないので、そのまま手を繋いで水族館まで歩いた。


           ◇


水族館に着いてからも、ずっと手を繋いでいた。
彼女がいた頃、手なんてよく繋いでいたのに、今までで一番ドキドキした。
せっかく水族館に来たというのに、ゆっくり見ることはできなかった。
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