かつて女の子だった人たちへ
月曜、令美はニット帽を目深にかぶり、目立たない服装で家を出た。
やってきたのは敬士の務める日唐エナジー株式会社。弓はもう退職しているので会う心配はない。真新しい大きな自社ビルは吹き抜けのエントランスに受付の機械が二台並んでいる。敬士の部屋にあった名刺を頼りに部署に連絡を入れた。敬士に会わなければならない。多少強引なことをしても。
内線は敬士宛てに繋がったはずだったが、別の男性社員が出た。『少々お待ちいただけますか』と言われ、エントランスにいくつかあるベンチで待った。やってきたのは敬士とそう年も変わらないだろう男性社員だ。令美は無意識にニット帽をずり下げ、顔が見えないようにした。

「ええと、松田は先週水曜から出社していないんです」

そんな馬鹿な。令美は敬士の位置情報をチェックしている。しかし、よくよく考えてみれば、先週はほとんどチェックしていない。会社に鞄を置いて浮気をしているという手口に気づいてからはまったくだ。

「失礼ですが、彼女さんですか?」

尋ねられ、令美は小さくうなずき、「同棲しています」と告げた。

「私物とか、鞄なんかもオフィスにあるんですが、本人とは連絡がつかなくてですね。ええと、こんなことを言うのは憚られるんですが、彼に金を貸している同僚が社内に相当数いまして」

弓が言っていた言葉を思い出す。果たして弓がここまで予見していたかはわからないが、敬士が消えたのは令美とこじれたからだけではなさそうだ。
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