良子
第1章 雪の中の天使
ぼくは北村真一。 九州は福岡から真冬の岩手県盛岡市に引っ越してきた。
降り立った花巻空港はすっかり雪に覆われていた。
妹たちの結婚詐欺に潰されそうになっていたぼくは友人 高山博則の誘いも有って盛岡市に飛んできたのだった。
1月14日土曜日、薄着のままで盛岡へ向かったぼくは疲れ切っていた。 妹たちの下手な芝居に踊らされて財布は空になっていた。
「あいつらはお前の命まで狙ってくるぞ。」 高山はぼくのことを真剣に心配してくれていた。
それもそうだろう。 杉田さやかという名前に踊って100万の借金をし、藤田房江という名前に踊って詐欺を吹き掛けた男に貢いでいたのだから。
サラ金だけでも数百万、その全てを自己破産で処理したのはいいのだが、一人暮らしの寂しさは夜ごとに募るばかりなのである。
一度、高山の団地に落ち着いたぼくは民間のアパートへ引っ越した。
風呂は無く、食事は全て高山の世話になっている。 物も無くガランとした部屋である。
引っ越して二日目の夜、ぼくは高山に誘われて彼が行きつけにしているスナックへ向かった。
中央通りの外れ、黄河というラーメン屋の二階でひっそりとやっているスナック ぶすっこ。
入ってみるとカウンターの向こう側にママの良子は立っていた。 客は居なくてホステスの裕子も暇そうにしていた。
せいぜい17人も入れば満員という小さな店である。 ぼくらは水割りを飲みながら話していた。
最初の頃、良子はずっとカウンターの向こう側に居た。 有線が静かに聞こえている。
客が入ってくる気配も無い。 どうやら知る人ぞ知るという感じの店のようだ。
「北村さんは何処の生まれなの?」 裕子が聞いてきた。
「福岡だよ。」 「え? 私も福岡なんだけど。」
聞いてみると生まれは同じ筑豊だった。 不思議な出会いも有るものだ。
「こいつねえ、ママと名字が同じなんだよ。」 「え?」
高山の話に良子は驚いて振り向いた。 「ほんとだよ。 なあ、北村さん。」
「あらあら、北村さんっていうの? 私も北村だよ。」 それが良子と話した最初だった。
その付き合いが2010年6月まで続くのである。 ぼくらは何となく気を許して酔い潰れてしまった。
その帰り道、滝沢村【当時】に向かうバスの中で寝込んでしまったぼくらは滝沢までやってきてしまった。 「ん? 起きろ!」
かなり乗り過ごしたことに気付いた彼は激怒してぼくを叩き起こした。 「てめえが起こさないから乗り過ごしただろうが。」
訳も無く噴火する高山、、、。 引っ越したばかりで空気にすら慣れていないぼく、、、。
酔った頭で考えもまとまらないのに一方的に攻められ続ける屈辱の中でぼくは歩き始めた。
もうすっかり真夜中である。 しかも真冬の東北である。
「歩け! 歩かないと死ぬぞ!」 めちゃくちゃな発破を掛けられながら高山と二人で夜の道を歩く。
その途中、コンビニの辺りまで来ると「乗せてあげましょうか?」と声を掛けてくる女の子が居た。 すると、、、。
「ほっとけ! 何をされるか分かんねえから相手にするな!」と高山が怒鳴った。
考えてみろ。 真冬の夜道を寄った頭で弱視と全盲の男がフラフラと歩いているんだ。
優しい人なら助けたくなるのは当たり前だろう。 野心とか欲望とかそんなのは抜きにして。
それでも高山はその親切を拒んだんだ。 ぼくはどうも彼を受け入れる気にはなれなかった。
でもさ、今は彼に従うしか無いんだよ。 自分を抑えながら高山と一緒にまた歩き始めた。
今から考えてもあれは無謀だったな。 だって滝沢ニュータウンから盛岡市にまで歩いて戻ったんだもん。
盛岡市に戻ったところで彼は馴染みのタクシーを呼び付けた。 ホッとした瞬間だった。
でもね、彼はこの夜の失敗を「北村が俺を起こさなかったから悪いんだ。」と会う人全てに話したんだ。
「いやいや、引っ越して間もない人なんだろう? そこはあんたがきちんとしないから悪いよ。」と言い返す人も居たのだが、、、。
さてさて、彼の団地から民間のアパートへ引っ越したまではいいが、その部屋は何となく空気がよどんでいた。 後で明らかになるのだが実は幽霊の溜まり場になっていたのだ。
何も無い部屋に布団を敷いて誰も居ない部屋で夜を過ごす。 食事は高山に作ってもらっている。
それだけならいいのだが、高山は毎晩の飲み会にぼくを突き合わせたのだった。 「東北の冬は寒いんだから飲んでないと死ぬぞ。」
6時まで鍼灸師の仕事をした彼は夕食の準備をしながらテーブルに酒を並べていく。 焼酎 ブランデー ウイスキー 日本酒、、、。
「どれでもいいから好きなやつを飲め。」 ご機嫌に勧めてくれるのは嬉しいのだが、その飲み会は午前4時まで続くのである。
ぼくも酒は好きだが、10時間飲み続けるのはさすがに疲れる。 それで飲むのを休もうとすると、、、。
「貴様、俺の酒が飲めねえのか! だったら九州へ帰れ!」と勝手に噴火してしまう。 完全なアル中患者だったのだ。
そうかと思えば仲良く話していても意見が違えば途端に噴火する。 どうしようもないやつだった。
ぼくが高山と知り合ったのは大阪である。 互いに大阪府立盲学校音楽課に在籍していた時である。
ぼくは21歳、高山は20歳だった。 あの頃は毎日のように連れ立って歩いていた。
それから15年が経って再開したのだ。 高山は鍼灸師として開業していたし、ぼくは老人ホームを転々としていた。
「お前はどうせ技術も無いし何もやっていけないんだから空気でも食べて遊んでろ。」 彼はとことんまでぼくを軽蔑していた。
それだから会うたびに「お前の考え方は全て間違っている。 俺の言うとおりにやれ。 嫌なら九州へ帰れ。」と言い捨てるのである。
毎晩、酒でボロボロにされた挙句にとことんまで追い詰められるのである。 半年くらい経った頃には鬱病になりかけていた。
「よしよし。 仲のいい先生にマッサージの同意書を書いてもらってこい。」 そう言うものだから知り合いの内科医に同意書を書いてもらうと、、、。
「これでお前はマッサージが出来る。 さあ、今日からお前の特訓だ。」 そう言って高山は自分のマッサージをぼくにやらせたのである。
おかしな話、同意書を貰った患者が同意書を要求したマッサージ師にマッサージをやるのである。
つまりは施術者がやるのではなくて患者がマッサージをやるのだ。 それ自体、おかしな話だし本当ならやってはいけないことだ。
さらには「今日、お前の口座に盛岡市が金を振り込んでくれてるはずだから下ろして飲みに行こうぜ。」とニヤニヤしながら言うのである。 彼の人格は歪み切っていた。
何処まで歪んでしまえば気が済むのだろうか? あの頃は純粋だったはずなのに、、、。
でも彼の言動は日に日に歪み切っていくのである。 それから1年半後、ぼくらは大喧嘩をして決別したのだが、、、。
そもそも、自分が誰に対しても優位に立っていなければ安心しない人間だった。 知人は彼を修羅だと見ていたくらいにね。
その冬、ぼくは高山の紹介で出張マッサージの業者と知り合った。 カナン治療院である。
以前は高山も働いていたという治療院だ。 出張だから夜の仕事である。
主な出張先はホテルだが、時々は民家にも行くことが有る。 老人ホームしか経験の無いぼくには辛かった。
待機時間は車の中で過ごすのだが、ずっと座っているものだから部屋に帰ってくると疲れてしまって、、、。
降り立った花巻空港はすっかり雪に覆われていた。
妹たちの結婚詐欺に潰されそうになっていたぼくは友人 高山博則の誘いも有って盛岡市に飛んできたのだった。
1月14日土曜日、薄着のままで盛岡へ向かったぼくは疲れ切っていた。 妹たちの下手な芝居に踊らされて財布は空になっていた。
「あいつらはお前の命まで狙ってくるぞ。」 高山はぼくのことを真剣に心配してくれていた。
それもそうだろう。 杉田さやかという名前に踊って100万の借金をし、藤田房江という名前に踊って詐欺を吹き掛けた男に貢いでいたのだから。
サラ金だけでも数百万、その全てを自己破産で処理したのはいいのだが、一人暮らしの寂しさは夜ごとに募るばかりなのである。
一度、高山の団地に落ち着いたぼくは民間のアパートへ引っ越した。
風呂は無く、食事は全て高山の世話になっている。 物も無くガランとした部屋である。
引っ越して二日目の夜、ぼくは高山に誘われて彼が行きつけにしているスナックへ向かった。
中央通りの外れ、黄河というラーメン屋の二階でひっそりとやっているスナック ぶすっこ。
入ってみるとカウンターの向こう側にママの良子は立っていた。 客は居なくてホステスの裕子も暇そうにしていた。
せいぜい17人も入れば満員という小さな店である。 ぼくらは水割りを飲みながら話していた。
最初の頃、良子はずっとカウンターの向こう側に居た。 有線が静かに聞こえている。
客が入ってくる気配も無い。 どうやら知る人ぞ知るという感じの店のようだ。
「北村さんは何処の生まれなの?」 裕子が聞いてきた。
「福岡だよ。」 「え? 私も福岡なんだけど。」
聞いてみると生まれは同じ筑豊だった。 不思議な出会いも有るものだ。
「こいつねえ、ママと名字が同じなんだよ。」 「え?」
高山の話に良子は驚いて振り向いた。 「ほんとだよ。 なあ、北村さん。」
「あらあら、北村さんっていうの? 私も北村だよ。」 それが良子と話した最初だった。
その付き合いが2010年6月まで続くのである。 ぼくらは何となく気を許して酔い潰れてしまった。
その帰り道、滝沢村【当時】に向かうバスの中で寝込んでしまったぼくらは滝沢までやってきてしまった。 「ん? 起きろ!」
かなり乗り過ごしたことに気付いた彼は激怒してぼくを叩き起こした。 「てめえが起こさないから乗り過ごしただろうが。」
訳も無く噴火する高山、、、。 引っ越したばかりで空気にすら慣れていないぼく、、、。
酔った頭で考えもまとまらないのに一方的に攻められ続ける屈辱の中でぼくは歩き始めた。
もうすっかり真夜中である。 しかも真冬の東北である。
「歩け! 歩かないと死ぬぞ!」 めちゃくちゃな発破を掛けられながら高山と二人で夜の道を歩く。
その途中、コンビニの辺りまで来ると「乗せてあげましょうか?」と声を掛けてくる女の子が居た。 すると、、、。
「ほっとけ! 何をされるか分かんねえから相手にするな!」と高山が怒鳴った。
考えてみろ。 真冬の夜道を寄った頭で弱視と全盲の男がフラフラと歩いているんだ。
優しい人なら助けたくなるのは当たり前だろう。 野心とか欲望とかそんなのは抜きにして。
それでも高山はその親切を拒んだんだ。 ぼくはどうも彼を受け入れる気にはなれなかった。
でもさ、今は彼に従うしか無いんだよ。 自分を抑えながら高山と一緒にまた歩き始めた。
今から考えてもあれは無謀だったな。 だって滝沢ニュータウンから盛岡市にまで歩いて戻ったんだもん。
盛岡市に戻ったところで彼は馴染みのタクシーを呼び付けた。 ホッとした瞬間だった。
でもね、彼はこの夜の失敗を「北村が俺を起こさなかったから悪いんだ。」と会う人全てに話したんだ。
「いやいや、引っ越して間もない人なんだろう? そこはあんたがきちんとしないから悪いよ。」と言い返す人も居たのだが、、、。
さてさて、彼の団地から民間のアパートへ引っ越したまではいいが、その部屋は何となく空気がよどんでいた。 後で明らかになるのだが実は幽霊の溜まり場になっていたのだ。
何も無い部屋に布団を敷いて誰も居ない部屋で夜を過ごす。 食事は高山に作ってもらっている。
それだけならいいのだが、高山は毎晩の飲み会にぼくを突き合わせたのだった。 「東北の冬は寒いんだから飲んでないと死ぬぞ。」
6時まで鍼灸師の仕事をした彼は夕食の準備をしながらテーブルに酒を並べていく。 焼酎 ブランデー ウイスキー 日本酒、、、。
「どれでもいいから好きなやつを飲め。」 ご機嫌に勧めてくれるのは嬉しいのだが、その飲み会は午前4時まで続くのである。
ぼくも酒は好きだが、10時間飲み続けるのはさすがに疲れる。 それで飲むのを休もうとすると、、、。
「貴様、俺の酒が飲めねえのか! だったら九州へ帰れ!」と勝手に噴火してしまう。 完全なアル中患者だったのだ。
そうかと思えば仲良く話していても意見が違えば途端に噴火する。 どうしようもないやつだった。
ぼくが高山と知り合ったのは大阪である。 互いに大阪府立盲学校音楽課に在籍していた時である。
ぼくは21歳、高山は20歳だった。 あの頃は毎日のように連れ立って歩いていた。
それから15年が経って再開したのだ。 高山は鍼灸師として開業していたし、ぼくは老人ホームを転々としていた。
「お前はどうせ技術も無いし何もやっていけないんだから空気でも食べて遊んでろ。」 彼はとことんまでぼくを軽蔑していた。
それだから会うたびに「お前の考え方は全て間違っている。 俺の言うとおりにやれ。 嫌なら九州へ帰れ。」と言い捨てるのである。
毎晩、酒でボロボロにされた挙句にとことんまで追い詰められるのである。 半年くらい経った頃には鬱病になりかけていた。
「よしよし。 仲のいい先生にマッサージの同意書を書いてもらってこい。」 そう言うものだから知り合いの内科医に同意書を書いてもらうと、、、。
「これでお前はマッサージが出来る。 さあ、今日からお前の特訓だ。」 そう言って高山は自分のマッサージをぼくにやらせたのである。
おかしな話、同意書を貰った患者が同意書を要求したマッサージ師にマッサージをやるのである。
つまりは施術者がやるのではなくて患者がマッサージをやるのだ。 それ自体、おかしな話だし本当ならやってはいけないことだ。
さらには「今日、お前の口座に盛岡市が金を振り込んでくれてるはずだから下ろして飲みに行こうぜ。」とニヤニヤしながら言うのである。 彼の人格は歪み切っていた。
何処まで歪んでしまえば気が済むのだろうか? あの頃は純粋だったはずなのに、、、。
でも彼の言動は日に日に歪み切っていくのである。 それから1年半後、ぼくらは大喧嘩をして決別したのだが、、、。
そもそも、自分が誰に対しても優位に立っていなければ安心しない人間だった。 知人は彼を修羅だと見ていたくらいにね。
その冬、ぼくは高山の紹介で出張マッサージの業者と知り合った。 カナン治療院である。
以前は高山も働いていたという治療院だ。 出張だから夜の仕事である。
主な出張先はホテルだが、時々は民家にも行くことが有る。 老人ホームしか経験の無いぼくには辛かった。
待機時間は車の中で過ごすのだが、ずっと座っているものだから部屋に帰ってくると疲れてしまって、、、。
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