遺言ノ花嫁
1章 誘拐
────────────── 1章 誘拐
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「傘いらないって言ってたくせに…」
窓ガラスにザアザアと打ち付ける大粒の雨に
今日一番深いため息が不意に溢れた。
天気予報士さんだって人間なわけで
そりゃ間違いだってあるよ
書類の記入漏れで残業させられてる今の私みたいに。
これから冬本番って時にこの大雨
今晩はシチューにするか、
それとも熱々おでんをいただくか…
今日の疲れた体を労るディナー候補に
思いを馳せながら
うーんと両手を上げて背筋を伸ばせば
デスクワークで凝り固まった背骨が
ごきごきと音を立てた。
ええっと、後はこのまま印刷して
明日朝イチで佐野さんにサイン貰ったら
社長に提出で完了。
そういや何かメッセージ来てたっけ
印刷開始をクリックして
印刷機の前でスマホを開いた
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佐野さん:雨降る前に帰れよ〜 18:02
既読 18:31 間に合わず、外土砂降りです…。
佐野さん:だろうな。忘れ物の傘使えって今丁度打ってた。 18:31
既読 18:31 遠慮なく使わせていただきます。
佐野さん:遠慮する謙虚な心は持とうな。気をつけて帰れよ。 18:32
既読 18:32 謙虚な心は残業ですり減ってます。花垣さんの書類、佐野さんのデスク置いて帰るので、朝イチチェックお願いします!
佐野さん:了解。 18:32
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残業ですり減ってる件はフル無視なのね、成程。
出てきた書類の右角をホッチキスで留めて
向かいの佐野さんのデスクに
【花垣 薫】さんの書類を置いておいた。
ハナガキ カオルさん
スマホでうちのHPを見て昨日事務所に
やって来てくれた29歳女性の依頼主の方。
先程自分で打ち込んだ依頼内容の欄を
最後にもう一度確認してから
傘立てに置かれたビニール傘を手に取った。
私が働いている 《星宮探偵事務所》は
最近雑誌やSNSで取り上げられてから
更に知名度が上がって格段に忙しさを増した。
探偵事務所なんて、と思う人も多いかもしれない
もちろん、私もその内の一人だったわけだけど。
実際のところお仕事内容の振り幅は大きく
迷子のペット相談から浮気調査、落し物探しまで
それって探偵事務所にお願いすることなのか…?と
思ってしまうこともしばしば。
ドラマで見かけるようなあんな展開は
早々にないのが現実、
だったんだけど。
「行方不明者捜索…」
声に出せば益々物騒に感じる言葉の並びだ。
傘と鞄を手に事務所のドアを
いつも通りしっかり施錠確認して
階段を降りれば、ぶわっと冷たい冷気が流れ込んだ
3階建ての古いビルの2階がうちの事務所で
下は昔ながらのお花屋さん。上はテナント募集。
すぐ隣の通りが繁華街、おまけに駅近とあって
ここら辺一体の店の入れ替わりは目まぐるしい。
そんな場所でもう10年以上
探偵事務所を構え続けているうちの社長
星宮 加奈子《ホシミヤ カナコ》はすごいやり手の女社長様で
私が尊敬している憧れの人でもある。
年齢は死ぬまで秘密よと明かしてくれない聡明で美しい女性。
そして私がこの仕事に就くキッカケになった人だ。
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