ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?

4 『あのくらい逞しければ、ちゃんと現実を受け入れられるわよ』

大和は唇をもぞもぞ、鼻の穴を大きく開いて欠伸を噛み殺した。

長閑な昼下がりだ。
週末からご滞在のゲストはほとんどチェックアウトされ、今、ポラリスではロングステイの数組だけが穏やかな時を過ごされている。

ロビーラウンジのソファーでは、谷垣先生が読みかけの絵伝を胸に居眠っている。奥様は先ほど岩盤浴に入られたから、あと一時間はゆっくりお寝みになれるだろう。
この時間帯、笙子様はアロママッサージ、須藤様は森を散策するのが日課だ。

しかしこうも好天続きでは、そろそろ一雨きてもらわないと植物たちがやばい。
乾燥に強いブーゲンビリアも心なしか元気がないし、須藤様の車を洗車するついでに庭に水を撒いておこう。

と、大和がロビーを後にしようとしたときだった。

花園の向こうから黒い車が近づいてくる。
ランチには遅く、チェックインには早すぎる。お茶でもしにいらしたのだろうか。こんな田舎にリムジンで?

疑問符を頭の隅に、玄関に直立不動の体勢で待機する大和の前に、黒光する車体が厳かに停車した。

恭しく後部ドアに手を伸ばしたとたん、運転手の制服の肩が鼻先を直撃した。

「失礼」と、制帽の顔をチラリと傾けて、男は慇懃無礼に言う。
鼻を押さえる大和など歯牙にも掛けず、彼はビデオで観た帝国ホテルのドアマンそっくりに、後部座席のドアを開けた。

一呼吸置いて、揃えた華奢な膝頭がこちらを向いた。

「ようこそホテル・ポラリスへ」

負けじと大和は、手を両脇に30度の角度でお辞儀をした。優雅とはほど遠かった。

「こちらに宿泊中の藤崎を訪ねて参ったのですが……」

目を上げた大和は、あまりの美しさに魂を抜かれてぼうっとしてしまった。

シフォンワンピースのデコルテから覗くきれいな鎖骨、贅肉も筋肉もない二の腕は雪のように白い。天使の輪を作って風に揺れるロングヘア、薄い唇から出でる声はまるでフルートのように清楚だ。

淑やかな微笑みを湛えたこの御方は、空から舞い降りた天女か、はたまた眠りから目覚めた姫君か……。

「あの?」

女性の背後からウォッホンと咳払いがした。大和は慌てて開けたままの口を閉じた。

「失礼いたしました。ただいまフロントデスクへご案内いたします」
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