ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
──美しすぎる……。

心のなかで嘆息したのは大和だけではない。谷垣先生も本多までもがうっとりと、ロビーラウンジのソファーで花園を眺める貴婦人に見とれていた。

貴婦人が優雅に首を廻し、微笑みかけた。大和はドキュ~ンと音をたてた左胸を両手で押さえたまま、その場に跪きそうになった。

「玲丞さん」

なあんだと振り返った先で、玲丞がまた懲りずに多恵の尻を追いかけている。
伸ばした指先が多恵の肩に触れるか触れないかのところで呼び止められて、ふたりは顔だけをこちらに向けてピタリと静止画像になった。

「薫子さん」

音声が回復したのは玲丞だったが、動画に復活したのは多恵だった。
多恵は怒りを背にすたすたとフロントデスクへ向かって行く。
玲丞は伸ばした手を為す術もなく、多恵がプライベートルームのドアの向こうへ消えるのを見送って、大きく肩で息をついた。

「薫子さん、どうしてここへ?」

「ごめんなさい。おじ様からこちらにいらっしゃるとお聞きして、それで私、お迎えに……。明日は芦屋のお祖父様のお誕生日祝いなのに、お電話に出てくださらないから……」

消え入りそうな声は野次馬の耳には届かなかったが、恥じらい目を伏せた横顔が、湖面に休む白鳥のように可憐だ。

その肩に馴れ馴れしく触れて顔を覗き込む羨望の的が、よりによってメデューサの夫とは、キューピットは底意地が悪い。

「とにかく、部屋へ」

連れ立ってエレベーターへ向かうふたりに、不安な顔を見合わせたのは本多と菜々緒だ。

何だかややこしい展開になってきた。
多恵を追いかける男と、男にベッタリの同性愛者、そこに男の美しい妻まで加わって、歪な四面体が今まさにこのホテルの中で露呈しようとしている。

何事も起こらなければよいが、非日常的なホテルでは得てして願望は裏切られる。前回の辞職のきっかけとなった凄惨な事件と重なって、いやな予感を覚える本多だった。

そして菜々緒も、別れ話のもつれから男に職場へ乗り込まれ、恥ずかしい写真までばら撒かれ、会社を追われた過去がある。

東大卒の学歴が仇となり再就職に難航し、被害者の自分ばかりがなぜ辛い思いをするのかと世の無情を呪っていたとき、自暴自棄に面接を受けたカメリアのママから、多恵を紹介されたのだ。

「どうしますか?」

「念のためにもう一部屋、お部屋の用意をしておきましょう」

気を揉むギャラリーたちの前を、陽気な鼻歌を歌いながらカオルが通り過ぎて行く。
呆気に取られる人々に背を向けたまま、旅ガラス一座の旅立ちのように、あっけらかんとバイバイをして出ていった。

──ひとまず修羅場は回避できたのか?

と、そのとき、ロビーの安堵の息を吹き消すように、派手なブレーキ音が響いた。
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