ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「私も手を尽くしてみましたが、やはりねぇ……。まぁ、すべてが遅すぎましたなぁ」

「そうですか……」

「そう気を落とさずとも、すぐにホテルが無くなるわけでもなし。ここは銀行さんの言うとおり、お屋敷を売られたら済むことでしょう」

白々しすぎて、作り笑いも浮かべられない。屋敷を売って当座をしのいでも、焼け石に水だとわかっているくせに。

案外屋敷の買い手も黒川ではないのだろうか。
それが成功の証とでも考えているのか、何せ幸村家縁のものを集めたがる。夜な夜な仁清の色絵茶碗や赤糸威大鎧を眺めては、不気味な笑い声をたてているという噂だ。

ともあれ今は、従業員たちの行く先を確保することが先。

「会長にはご厄介をおかけしました。今後のことについては役員や社員とも検討して参ります。それで、お電話でご相談させていただいた件は、お考えいただけましたでしょうか?」

「もし、万が一──」

鱧の身を箸で摘み、黒川は目録を読むような声を上げた。

「万が一、ポラリスが破綻した場合は──」

多恵を弄ぶように言葉を切って、食事を続ける。多恵は待った。

「伊佐山君はお引き受けしましょう。温泉町の黒川別亭でいかがですか? 現在は和食のみのレストランにフレンチを加えるよう提案してあります。待遇は今までどおり、彼のスタッフも全員呼んでいただいて構いません」

伊佐山を欲しい店はいくらでもある。しかし四人まとめてと言うと難しかった。
純平は実家に戻れたとしても、秋葉と紗季の才能は伊佐山あってこそだ。
特に秋葉は伊佐山への敬仰が強過ぎて、それこそ二夫に見えずと言い出しかねない。

元旅館ゆきむらである黒川別亭なら、黒川自身がステイタスシンボルとして相当な思い入れで力を注いでいるから、伊佐山たちの先行きも安心していられる。思いもかけない厚遇だ。

しかし、問題は……。

「お骨折り、ありがとうございます。それで、本多は、そちらでは無理でしょうか?」

本多はホテルマン一筋の人間だ。しかし他のホテルに再就職するにも、新聞沙汰にもなった刃傷事件が支障となるだろう。
迂闊なフロントマンの大失態だったが、支配人としての管理能力は問われて然るべきだ。
妻子もありあの年令で一から出直すことは容易なことではない。

「その件はもう少し後で、さあ──」

黒川は再び酒を勧める。多恵はありがたく頂戴する。
ここからは駆け引きだ。強引に押し進めて席を立たれたら元も子もない。
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