ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「あの、次のお料理をお持ちしても──」

「バカね、キャンセルに決まってるでしょ。キャンセル!」

言いながら、急かすように立ち上がり、

「こんなところでのんびりしてる場合じゃなかった。ほら、早く」

玲丞は困惑するギャルソンに、

「続けてください」

「行かないつもり? 信じられない」

目を尖らせる倫太郎を疎むように、玲丞は窓へ顔を向けた。

倫太郎はしょうがないなと再び腰を下ろし、顔を覗き込みながら言った。

「今夜こそ、多恵、絶対に来るよ」

玲丞の瞳に動揺が走ったのを確認して、倫太郎は畳み掛けた。

「さすがの意地っ張りも、これまでの玲の尽力を知ったら、感激するんじゃない? 鬼の目にも涙だったりして」

ハッハッハッと、空笑いする倫太郎に、「多恵はすべて知ってる」と、玲丞は心の中で答えた。
だからフェルカドに一度も現れなかった。赦す気はないと伝えるために。

「玲が気まずいのはわかるけどさ。あのことについてはあたしだって責任は感じてるのよ。ちょっと脅かしてやれって言ったのに、あの蝦蟇、マジで多恵を手篭めにするなんて、ほんと野蛮なんだから」

倫太郎は悪びれず言う。
確かに今回は彼にしては手ぬるかったし、恫喝されたとはいえ黒川の情報をあっさりと白状したのは、多恵に思い入れがあったからだろう。

「でも、まさかミイラ取りがミイラになるなんて、思いもしなかったわよ。しょうがない、あたしも一緒に謝ってあげる。ついでにIT会社社長と女優にも土下座させようか? 弟がレイプまがいなことをして申し訳ございませんでしたって」

玲丞に睨まれて、倫太郎は肩を窄めた。

「冗談だよぉ」

会話を面白く可笑しくしようとして、洒落にもならない不謹慎を招くのは、倫太郎の悪い癖だ。玲丞がお目付役になったのも、一族に仇なす舌禍を未然に防ぐためだった。

第一、多恵が玲丞に背を向けたのは、そのことが問題ではない。

「だって、玲が麻里奈以外の女を愛せるなんて、思ってなかったんだ」

倫太郎の呟きは、弁明のようでもあり、愁嘆のようでもあった。

彼が玲丞に近寄る女性を徹底的に排除するのは、三人で過ごした美しい青春の思い出が、ぼやけて薄れてゆくことを恐れるためだ。

それは玲丞も同罪。だから、多恵は背を向けた。

「多恵は、来ないし、僕も、行かない」

「何でよ?」

玲丞は追求の目から逃れて再び窓に顔を向けた。

倫太郎は唇を尖らし、空になったグラスを指で弾いた。

「お前さぁ、弁護士になってからよけい無口になったよな。言質を取られないように発言が慎重になるのはわかるけど、何も聞かれなくても、女にはこちらから言葉にしてあげないとだめなんだ」

倫太郎の方こそ、いい加減、薫子と向かい合ったらどうだと、玲丞は心の中で言い返した。

「特に多恵みたいに頭の回転が良い女は、何でも自分の中で片付けようとして、反対に自分自身を追い込んでしまう。だいたい、玲が多恵に麻里奈を重ねていると思ってたのなら、あいつバカだろう。あんな強情っぱり、多恵以外にいないじゃないか──」

と、そのとき軽快なメールの着信音。
会話を遮られてスマホ画面を睨んだ倫太郎は、ビックリしたように立ち上がった。

「ああ、もう! 慶にぃたら、いらちなんだから! 先に行っとくから、とにかく新幹線でも何でも使って来なさいよ。絶対よ!」
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