ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「藤崎さん、あの日の言葉は、嘘でしたか?」

唐突な質問に彼は一瞬怯んで、それから強く首を振った。

「それじゃあ、なぜ無理にでも連れ戻さなかったんですか?」

玲丞は苦しげに視線を落とした。

「……僕は、彼女を傷つけすぎた。僕の顔を見れば、彼女はまた苦しむだろうから」

どちらが深く傷ついたのか、そんな表情をされたらわからなくなる。
巡り合わせが悪かった。彼を責めても気の毒だ。
わかってはいるけれど、ここで終了というわけにはいかない。

〈成功ばかりを追い求めていた彼女が初めて挫折感を味わって、優柔不断になっているときだから、今は何を言っても先のことなど決められない。走り続けてきた彼女には、立ち止まることも必要だったの〉

そう言って、隠遁生活を送る多恵を何くれとなく援助してくれる司には感謝をしているが、殊この件についてはタイムリミットがある。このままでは手遅れになって、淀みに根を下ろしてしまいかねない。

それならば、もう一方の当事者を頼みにするしかあるまいと、こうしてやってきたのだ。

それに、姉がどれほど錯愕し、懊悩し、肺肝を摧いたか、彼には知らねばならない義務がある。

玲丞がエレベーターに顔を向けた。
先刻の男が降りてきて、準備ができたという風に頷いた。

「それじゃあ、元気で。今日は会えて良かった。成功を祈っているよ」

言いながら鞄を手に立ち上がる玲丞に、追い縋るように航太は一気に言った。

「姉は妊娠しています」

言ったぞと、航太は鼻の穴を膨らませた。

弾かれたように首をねじ向けた玲丞の背後を、言葉を交わしながら数名の男が過ぎった。

「……あっ……そう……、それは、おめでとう」

鉛でも呑まされたような声に、航太は泡を食った。

はじめて彼に会ったときも、何を誤解したのか、多恵にはすでに恋人がいるようだからと落ち込んでいた。
早とちりと思いこみ、道理でふたりがすれ違うわけだ。

肩を落として踵を返すその腕を、航太は慌てて掴んだ。
驚いて振り返った目に首を振る。違う違う、どうかみなまで言わせず察してくださいと、瞳で訴えながら。

航太の態度に首を傾げた玲丞が、にわかに瞠目した。

そうですと、航太は目で頷いた。
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