ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「ねぇ、ユキ」

母屋の前で湊人と遊ぶ瑠衣に手を振りながら、司が言った。

「本当に、このままでいいの?」

多恵は眉を顰めた。
事情をすべて知ったうえで、これまで一言も非難せず否定せず、背中を支え続けてくれた司だ。

「どうしたの? 今になって」

「今だからよ。世の中に絶対安全なんてないし、もし、ユキに何かあったとき、子どもはどうなるか、考えてる?」

多恵は目を伏せた。

それは何度も考えた。
短命の家系だ。多恵の身に万が一が起こったとき、子どもを託せるのは、やはり彼しかいないと。
けれど、それは今ではない。その時のために、航太に手紙を預けてある。

「それに、子どもはあっという間に大きくなるのよ。いずれ父親の名前を知りたがったとき、何て答えるつもりなの?」

多恵は情けない顔をした。
あらゆるケースを想定したつもりだったのに、一番大切にしなければならない子どもの気持ちを忘れていた。

それはきっと、子どもの成長過程で避けては通れない問題なのだ。ならばどう答えるべきか。
子どもに嘘はつけない。だけど、真実を告げて、彼に興味をもたれるのも困るし、負の感情をもたれるのはもっと困る。彼は悪くないのだから。

子どもを授かったとわかったとき、多恵は迷いもなく心から嬉しかった。霧の先に一条の光が差したように、未来が明るく美しく、水神様とご先祖様にこの幸運を感謝した。

早とちりとつまらない意地から、玲丞の言い分を一方的に撥ねつけてしまったけれど、もう一度、彼に会って話をしようと思った。

本当は、会いに来てくれて嬉しかった。
本当は、一緒に東京へ戻りたかった。
本当は、浅はかな計略を力尽くで止めてくれたことに感謝している。

今度こそ素直になって、包み隠さず心情を吐露し、赦しを請うて、新たな命が宿ったことを報告しようと思った。
どんな形であれ子どもにとっての最良を、彼なら共に考えてくれると信じていたから。

だから、トーエーに抗議すると口実で、成城の住所を訪ねるために東京へ行った。
それが、先に向かった敵地で皮肉にも倫太郎と再会して、玲丞との関係を聞いてしまったのだ。

ショックだった。もしかしたら出会いから罠だったのかとさえ邪推した。

それでも彼を憎みきれず、迷い、悩み、結果的に手前勝手な感情論で戦いを放棄して、みんなを裏切った。

その後、図らずも真相を知って、彼を信じきれなかった自分を恥じたけれど、だからと言って運命が覆るものでもない。
多恵は幸村の当主で、玲丞は藤崎の息子だ。

「ユキの人生に口出すつもりはないけど、子どもの人生は親のものじゃないってことだけは言っとく」

「それもこの子の運命なのよ。諦めてもらうしかないわ」

「さんざん運命に争ってきたあんたが言うの?」

多恵は苦笑いをしかけて、顔をしかめた。

「どうしたの?」

「う〜ん、さっきからお腹がチクチク痛いんだけど、これって陣痛?」

「ええ?!」
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