ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「すいません、今──」

「何してんだァ、くォゥらァ!」

レードルを投げつけそうな勢い。口と手が同時に出るのは、秋葉の悪癖だ。

ただでさえ恐ろしい面構えなのに、本人が名誉の負傷と称する頬の三日月型の傷跡が、相手を威嚇する。

現在は、拗らせていた幼馴染との初恋を紆余曲折実らせて、ひとり娘からの電話に赤ちゃん言葉になる超親バカだけど、生来の短気と暴走族仕込みのガン飛ばしは直らない。

包丁を執る神聖な手を二度と他人に対して振るわないと、伊佐山に師事する際に誓約を立てたそうだけど、破ってばかりじゃないかと純平は心の中でぼやいた。

しかし、料理の腕は素晴らしい。鍋底に残ったソースを盗み舐めたときの衝撃。さすがは伊佐山が唯一認めた弟子だけある。
あのごつい腕から、どうしたらあんなに繊細な味が生まれるのだろうかとも思うけど、根は涙脆くて面倒見がいい先輩なのだ。

むしろ問題は秋葉よりも──。

純平は片隅のマーブル台に首を向けた。
パティシエ兼ブーランジェの夏目紗季が、ドライアイスのような気を放ち、チョコレートをテンパリングしている。

エキゾチックな美貌とスリムな体、褐色の肌は少女のように瑞々しい。
土台はいいのだけれど、嗅覚がおかしくなるからと常にすっぴん、馬の尻尾のような髪をヘアゴムで無造作に括っただけの洒落っ気のなさ、さらにこの仏頂面では男も寄りつかない。そのうえ──。

「何、見てんだ、テメェ」

「あ、すいません!」

これだ。

二十歳でフランス・コルトンブルーのディプロマを取得。いくつものコンクールで入賞した天才パティシエールなのに、最優秀賞受賞の記念撮影でもニコリともしなかったというのは有名な逸話だ。
協調性の欠片もなく、菓子作りへの執念にも似た情熱とプライドだけは高いから、どこのパティストリーでも一月と続かなかったというのも頷ける。

女性客大絶賛の可憐でヘルシーな創作デザートの数々を、こんな目つきの悪いドスの利いた女がつくっていると知ったら、みんな魂消るだろう。
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