ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
「多恵」

促すように声をかけられ、多恵は唇を蠢かせ、何度か開きかけて、そして、自分を思いとどまらせるかのように頭を振った。

玲丞は別段ショックを受ける様子もなく、それどころか、頬を緩ませて、

「僕が幸村の籍に入るから大丈夫だよ」

多恵は驚いた顔を玲丞に向けた。

「そんなこと簡単に言わないで。ご家族がお許しになるわけがない」

彼の父親は体裁や面子を重んじる政治家だ。何のメリットもないどころか、足を引っ張りそうな没落家の女との婚姻を快く思うはずがない。そのうえ婿入りなど、言語道断。

玲丞は、一度は家族の元を去り、婚約者を失ったことで出戻った身だ。再び両親と袂を分つようなことは望んでいないだろう。
長男夫婦に子どもがあれば少しは希みもあったけれど、兄嫁の年齢と仕事の状況を考えるとどうだろう。

話を拗らせて、玲丞の意に反して親権請求でもされたら、無職の宿無しでは弁護士相手に勝てる気がしない。
彼が板挟みに苦しむよりは、若いお嬢様とでも結婚して家族をつくった方が幸せに決まっている。

「僕の仕事を知ってる?」

唐突な問いに、弁護士? と、声には出さず、多恵は小首を傾げた。

「危機管理と不祥事対応の専門家。和解に持ち込むのは得意なんだ」

ふふっと玲丞は悪そうな笑みを浮かべた。

和解と言うからには彼も何かを譲歩したのだろうか。狡獪な政治家との取引条件など、知るのも怖い。

「そんな不安そうな顔をしないで。ただ、身内のスキャンダルと後継者問題という政治家の悩みの種を、取り除いてあげただけだよ。倫太郎と兄夫婦には十分な貸しがあるし、いずれは解決しなければならない問題だった。外堀を埋めるのに少し時間がかかって、今日になってしまったけど、ようやくすべて片付いた。少しばかりセンセイ(・・・・)を脅しておいたから、上訴されることはない」

また悪そうな微笑み。

「仕上げに、この子の写真を見せたら、とたんにソワソワしていたよ」

共犯は航太か。甥っ子の写真が欲しいと言うから、三日前にメールで送ったばかりだ。

「母も初孫を抱けるのを心待ちにしている。今日のお祝いも彼女が提案してくれたんだ」

気持ちは嬉しい。けれど──。
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