ホテル　ポラリス　　彼女と彼とそのカレシ？
物音に、鳥が羽ばたき逃げた。

首を回した多恵は茫然自失した。

ベッドルームの扉の前に、バスローブ姿の男が立っている。押っ取り刀で出てきたのか、濡れた髪から滴が落ちるのも構わず、泣き笑いの表情で多恵を見つめていた。

男が足を一歩踏み出したのを見て、多恵は我に返った。
動揺を悟られまいと、シャンパングラスをテーブルへ置く。胸の鼓動が伝播して、天板の上でカタカタと音をたてた。

相手が手の届くところまで近づいたのを気配で感じて、多恵は咄嗟にワゴン上の伝票ホルダーを取った。顔を下げたまま踵を返し、相手の胸へ両手で差し出す。

「ルームサービスをお持ちいたしました。こちらにサインをお願い──」

声が震えそうで早口になった。言い切らぬうちに相手の手が伸びて、多恵は掴まれた肘を振り解こうと低く言った。

「お客様、ご冗談はおやめください」

あっという間に抱きすくめられ、多恵は男の腕のなかでもがいた。

「放してください」

「やっと逢えた……」

「放してって！」

隔たりを忘れた己の口調に、思わず心のバリケードが崩れかけた。その隙間からじんと滲みるものが零れ出て、不覚にも理性を一蹴した。懐かしい声、肌の感触、力強い鼓動が伝わってくる。

このままこの胸に埋もれていたい。そう思ったとき、窓から潮風が忍び込んで、レースのカーテンを揺らした。玲丞の髪から水滴が落ちて、多恵の頬を濡らした。

「冷たい」

「あ、ごめん」

とたんに縛めが解けた。こういうところ、昔とちっとも変わらない。
多恵はすかさず落とした伝票を拾い上げ、ワゴンを盾にとった。
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