ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
待ち受けていたように、薄暗い部屋に佇む女がいる。

多恵は死ぬほど狼狽えた。五年もつき合った恋人から、前触れもなく別れを告げられたときでさえ、これほど取り乱したりはしなかった。

「こ、これは、その……、つまり……」

機転の速さと弁明の鋭さが売りなのに、頭の中が真っ白で、何も思いつかない。とりあえず──。

「申し訳ございません!」

額が膝頭にくっつくほどの謝罪にも、相手はうんともすんとも言わない。
裸の謝罪にあきれて返す言葉がないのか、ものも言えぬほど激怒しているのか。退くにしたって、後門の狼だ。このまま朝の露と消えてしまいたい。

すごすごと目を上げて、気が抜けた。

壁に飾られたパネルに向かって必死に頭を下げる間抜けな姿を、他人に見られなくて本当によかった。

しかし美人だ。
北欧系のハーフなのか、少しウエーブがかかった亜麻色の柔らかなロングヘア、白いワンピースに透ける細く薄青い肢体を、一面の水仙が祝福のコーラスで迎えている。
題名をつけるのなら〈浅春のニンフ〉か。

──それにしたって……。

多恵は不思議そうに部屋を見回した。

真っ白い空間にあるのは、この写真パネルだけ。窓もなく、でも納戸にしては広すぎるし、とても清浄な空気に保たれている。
カメラマンあるいは被写体と所有者の間に、のっぴきならぬ関係でもあるのだろうか。

いずれにせよ、写真のために部屋を与えるなど、少しイカれているのかもしれない。

──誰が?

──あの男が。

自問自答して、多恵は「うわぁ!」と、突拍子もない声を上げた。
< 33 / 154 >

この作品をシェア

pagetop