ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ?
「それじゃあ、乾杯しよう。メリークリスマス、多恵」
睨みつける多恵に向け、グラスを掲げる玲丞の笑顔は子どものようで、怒る気も失せてしまう。
最上級のシャンパーニュに最上級の笑顔、BGMにはパヴァロッティのアヴェ・マリア、本当に狡いひとだ。
コルクとの格闘に飽きたはなが、ふたりの足元で喉を鳴らしながら毛繕いを始めている。
曇り始めた窓硝子に映る影が、幸せな家族の肖像のようにもみえた。
多恵にとってこんなに長閑なクリスマスは初めてだ。
子どもの頃は、家業の繁忙期で家人は走り回っていたし、成人してからは、自身が勉強や仕事に忙殺されてクリスマスなど意識の外だった。
夏目にプロポーズされたのは、幹部昇進の内示を受けた夜、クリスマスイヴだった。
周囲から本命視され彼自身も昇格に自信があったからこそのプロポーズだったのに、自分の方が選ばれたとはとても言えなくて、そのうえ、結婚するのなら婿に入ってくれと切り出せるほど、多恵も非人情ではない。
最悪のタイミングだった。結婚か出世か、男の面子か女の意地か。
女性としては結婚と出産に焦りを感じ始める年齢ではあったけれど、仕事が面白くて仕方がない時期で、返答を先延ばししてしまったのだ。
司の言葉に腹を立てたのは、待つと言ってくれた彼を、セーフティネットのように都合よくキープしていた小狡さを見透かされたからだ。
夏目の実家は都内のベーカリーチェーンの創業家だ。
社長の父親、専業主婦の母親、共に健在で、専務として父を補佐しさらにコーヒーショップなどを事業展開する兄には、すでに二人の子供がいる。妹は製菓職人として自立していると聞いていた。
入婿が絶対条件の多恵にとっては理想的な相手。甚だ打算的だった。
むろん、彼を好きだった。けれど、仕事の方がもっと好きだった。
彼に負い目を感じ、それが相手にも伝わって、互いに気色をうかがっているようなところがあった。
だから、四ヶ月前に夏目から、別れと彼女の妊娠を同時に告げられたとき、心の底では実はホッとしていたのだ。
尊敬してます、ついてゆきますと煽てられ、味方だと思っていた部下の本心に、自分だけ気づいていなかったことはショックだったけど。
ふたりの幸せを嬉しいと思う。
ただ、花嫁姿で祝福を受けているのが自分だったかも知れないと思うと、ちょっと惜しかっただけ。
恋も仕事も結婚も子どもも、どれもほどほどにそつなく、淡泊なのか欲張りなのか、彼女の見事なバランス感覚がちょっと羨ましかっただけ。
睨みつける多恵に向け、グラスを掲げる玲丞の笑顔は子どものようで、怒る気も失せてしまう。
最上級のシャンパーニュに最上級の笑顔、BGMにはパヴァロッティのアヴェ・マリア、本当に狡いひとだ。
コルクとの格闘に飽きたはなが、ふたりの足元で喉を鳴らしながら毛繕いを始めている。
曇り始めた窓硝子に映る影が、幸せな家族の肖像のようにもみえた。
多恵にとってこんなに長閑なクリスマスは初めてだ。
子どもの頃は、家業の繁忙期で家人は走り回っていたし、成人してからは、自身が勉強や仕事に忙殺されてクリスマスなど意識の外だった。
夏目にプロポーズされたのは、幹部昇進の内示を受けた夜、クリスマスイヴだった。
周囲から本命視され彼自身も昇格に自信があったからこそのプロポーズだったのに、自分の方が選ばれたとはとても言えなくて、そのうえ、結婚するのなら婿に入ってくれと切り出せるほど、多恵も非人情ではない。
最悪のタイミングだった。結婚か出世か、男の面子か女の意地か。
女性としては結婚と出産に焦りを感じ始める年齢ではあったけれど、仕事が面白くて仕方がない時期で、返答を先延ばししてしまったのだ。
司の言葉に腹を立てたのは、待つと言ってくれた彼を、セーフティネットのように都合よくキープしていた小狡さを見透かされたからだ。
夏目の実家は都内のベーカリーチェーンの創業家だ。
社長の父親、専業主婦の母親、共に健在で、専務として父を補佐しさらにコーヒーショップなどを事業展開する兄には、すでに二人の子供がいる。妹は製菓職人として自立していると聞いていた。
入婿が絶対条件の多恵にとっては理想的な相手。甚だ打算的だった。
むろん、彼を好きだった。けれど、仕事の方がもっと好きだった。
彼に負い目を感じ、それが相手にも伝わって、互いに気色をうかがっているようなところがあった。
だから、四ヶ月前に夏目から、別れと彼女の妊娠を同時に告げられたとき、心の底では実はホッとしていたのだ。
尊敬してます、ついてゆきますと煽てられ、味方だと思っていた部下の本心に、自分だけ気づいていなかったことはショックだったけど。
ふたりの幸せを嬉しいと思う。
ただ、花嫁姿で祝福を受けているのが自分だったかも知れないと思うと、ちょっと惜しかっただけ。
恋も仕事も結婚も子どもも、どれもほどほどにそつなく、淡泊なのか欲張りなのか、彼女の見事なバランス感覚がちょっと羨ましかっただけ。