ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
静枝が倒れたのは、二年前の春だった。

病室に駆けつけた姉弟は、佐武の大叔父から初めてホテルの窮状を報された。
半年前にがんの手術を受けたばかりなのに、人手不足のうえに金策に追われて術後の治療を怠ったせいだと、大叔父は己を責めるように項垂れた。
手術のことさえ、多恵たちはまったく報されていなかった。


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「おふたりのどちらかに、社長代行をお願いしなければなりません」

ベッドに体を起こして静かに頭を下げる静枝に、多恵はぶ然と目をよそへ向けた。

彼女が敬語を使ったのは、多恵を前にしているからだ。彼女を拒絶しておきながら、他人行儀な言葉に苛立つのは、邪僻と言われても仕方がない。

「そんなん決まってんじゃん。幸村の血を継いでんのは姉ちゃんなんだからよぉ」

ダボダボのストリート系ファッションに金髪のブレイズヘアの間から荒んだ目を覗かせ、小生意気な口をきく航太に、多恵は両頬を抓って引っ張ってやろうかと思った。
とりあえずここは病室だ。

「ポラリスは中里のものよ。お父様が建てて、静枝さんが今まで守ってきたんだから」

〝静枝さん〞と、多恵は言いにくそうに言った。

「原資は幸村の遺産じゃん。父さんの遺言にあったろう? 幸村のものはすべて幸村へ返せって。それを、姉ちゃんが勝手に相続放棄しちゃたんじゃないか。姉ちゃん、ほんとは借金のこと知ってたんだろう?」

「まったく知らなかったわけではないわ」

「ほら見ろ! オレと母さんに借金を背負わそうなんて、ずるいじゃんかよ」

航太は感じたままにものを言う。ヒョロヒョロと背丈ばかり伸びて見上げるほどになっても、中身はまだまだ子どもだ。

「プラスの財産を放棄したのだから、マイナスの財産も免責されるのは当然です」

「卑怯だよな」

多恵の片眉がピクリと動いた。
桓武平氏の門地である幸村家では、〝卑怯〞の二文字をもっとも嫌う。

「オレは、親の借金のために夢を諦めるなんて真平ごめんだね」

「いい機会じゃない。大学卒業して就職も決まってたのに、映像芸術の仕事がしたいってロスにいるんだって? いつまでも夢見てないで、親孝行してあげたら?」

「姉ちゃんこそ、早く婿とって幸村の跡取りをつくってやれよ」

「私には仕事があります」

「負け犬のくせに見栄はんなよ」

「何ですって?」

「サクセスウーマンなんてもてはやされているらしいけどさ、蔭では哀れな目で見られてんだよ。アラサー独身女のキャリアなんて、女からは〈ああはなりたくはないよね〉ってバカにされて、男からは〈かわいげのない女〉って敬遠される。姉ちゃんは会社のプロパガンダに利用されただけだ。賞味期限が切れて煙たがられる前に、引退した方が賢明なんじゃないの?」
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