ホテル ポラリス  彼女と彼とそのカレシ?
痛いところを突かれた。
今春の人事で昇格できず、それどころか、夏目とのゲスな噂を流されたことで、香港への異動を打診されているのだ。

身重の新妻がいる男と不倫などと、まったくもって心外だ。
百歩譲って誤解される状況があったとしても、女だけが責任を取らされるのは納得できない。

加齢による肉体面の変調と精神的な焦りが、多恵を怒りっぽくさせていた。

「コタこそバーテンダーのバイトが本業になるんじゃないの?」

「オレは焦ってないだけさ。中途半端に妥協して、自分を安売りしたくないんだよ」

「可能性の低い人間に限って、そんな屁理屈をこねるのよ。実績を作ってからものを言いなさい」

「崖っぷちのおばさんよりは、よっぽど可能性はあるけどね」

「おばさんって! 誰に向かって言ってんの!」

「おやめなさい。病室ですよ」

佐武の声に、姉弟は睨み合ったまま我に返った。

「航太君、君が今まで何不自由のない生活ができたのは、ご両親のお陰です。都合のいいときだけ親を頼って、何かあったら責めるなど、恥ずかしくはありませんか」

航太も多恵も下向いた。
確かに恵まれた暮らしだった。進路にしても、自分勝手な我がままを、文句も言わずに通してもらった。

「それに姫様、本来ならばあなたが背負うべき責務を、社長が果たしてくれたのです。他人事のように仰ってはいけません」

好々爺の顔に情けないと書いてあって、多恵は自分を恥じた。

だいたい佐武も、村長の激務をようやく息子に引き継がせて、悠々自適の老後を迎えていたはずなのに、ポラリスの専務など引き受けるから、めっきり老け込んでしまうのだ。

「そうではありません、専務」

力ない静枝の声に、多恵はこの日初めて彼女の顔に目を向けた。

花もない病室に差し込む薄ら陽に、彼女の肌は薄青く、三つ編みにしたほつれ毛が憔悴しきった頬に落ちている。昔から顔も体も線の細いひとだったけど、一層儚げになって、薄青のカーディガンから覗く血管の浮き出た手が痛々しかった。
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