ホテル ポラリス 彼女と彼とそのカレシ？

カーブ階段を登り始めたとき、頭の上から調子っぱずれな鼻歌が聞こえてきた。まだ陽も沈まぬうちからずいぶんとご機嫌様だ。

現れた金髪を見て、多恵はアッと声を上げそうになった。

「あらぁ？」

カオルは大げさに目を見開いて、

「ゼネラルマネージャのユ・キ・ム・ラ・タ・エ・さん」

多恵は静かに会釈した。
客室での抱擁は目撃されていないが、後ろめたさはある。

「ちょうどよかったわぁ。レストランを予約して頂戴。八時がいいわ」

「畏まりました。ご予約は二名様でよろしいでしょうか？」

「ええ、窓際の一番佳いテーブルにしてね」

胸ポケットからメモ帳を取り出した多恵は、視線を感じて目を上げた。
カオルがにやにやと盗み見ている。
多恵はメモ帳の角度をそれとなく変えて言った。

「フェルカドの夜のメニューは、コース料理のみとなっております。味付けや食材のお好み、アレルギーなどがございましたら、お伝えいたしますが」

「そうねぇ……、あたしは魚卵系がダメなの。プチプチした食感が気持ち悪くて。ゼリーとか寒天とかニュルニュル系も厭。彼の方は、好き嫌いはないわ。──ああ、わざわざ言わなくても知ってるか」

多恵はギョッとした。

カオルは風のように頬を寄せて、耳許に囁いた。

「玲のやさしさにつけこんだりしちゃだめよ？」

立ち竦む多恵の脇を、カオルは笑い声を上げながら過ぎて行く。

多恵は拳を震わせた。

自分の妻に、あれは昔の女だとでも教えたのだろうか。何て破廉恥な男だ。あの日の屈辱を忘れて少しでも気を許してしまった自分が情けない。

それでも相手はゲストだ。彼らの前では微笑みも見せなければならない。
あと六日も物笑いの種にされなければならないのかと思うと、このままプールへ飛び込みたくなる。

絡みつくようなアロマオイルの残り香に、多恵は何もない床を思い切り蹴り上げた。