朝方の婚約破棄 ~寝起きが悪いせいで偏屈な辺境伯に嫁ぎます!?~
アリスター様とダリルから話を聞くこと、二時間。部屋に射し込む日差しが、右から左へと長く伸びていった。
秋とはいえ、エヴァレット辺境伯領の冬は、首都よりも早くやってくる。
その分、日は短くなり寒さもより一層増すという。いつの間にか、サミーが入れてくれたお茶が冷めきってしまうほどに。
だから、そのお茶を変えようと、伸びてきた手を私は制する。
「このままでいいわ」
「ですが、奥様……」
「お願い。サミーもよく聞いてほしいの」
メイドの本分なのは分かるけど、今はサミーも話し合いに参加してほしかったからだ。
ソファーに座ることまでは強制しないから、せめてそれだけでも、と見上げると、渋々その手を引っ込めてくれた。
私がここまで神経質になるのは、この作戦が思ったよりも単純で、難しいものだったからに他ならない。
一歩手順を間違えれば、共倒れになり、領民の反感を買うことにもなるだろう。
常に共にいるサミーにも、色々と動いてもらう可能性がない、とは言い切れないのだ。
それが取り越し苦労であればいいのだけれど、アリスター様とダリルが『最後の策』というほどの作戦。念には念を入れる必要があった。
「では、決行は二週間後に」
「え? そんなに早く!? 準備ができるの?」
ダリルの言葉に私は驚いた。が、それをやんわりと答えたのは、アリスター様だった。
「前々から作戦は練っていたんだ。密かに準備もさせている。騎士団の中にも、最近のシオドーラの態度に難色を示している奴らがいるんでな」
「そうだったんですか。でも、どうしてですか? シオドーラは騎士団の管理下だと、仰っていましたよね」
「だからこそですよ、奥様。シオドーラがご主人様に迷惑をかけているのを見て、いい気分になるでしょうか。会話が噛み合っていないのは、分かりますよね」
「はい」
その場面を二回しか見ていない私でも分かるほどだ。
「聖女は確かに役に立ちます。怪我を治し、守ってもくれる。しかし、自分たちの指揮官であり、辺境伯領の要であるご主人様との相性が悪ければ、毒と同じです。現に輪を乱し始めたのですから。団員たちも、そこでようやく目が覚めたようです」
「だから、この機を逃したくない」
団員たちの心がシオドーラから離れている今を、とアリスター様は言いたいのだ。私は強く頷いて答える。
「分かりました。でも、くれぐれも気をつけてくださいね」
「そう心配をしてくれるのなら、先ほどの疑いは晴れたと思っていいんだな」
「最初から疑っていない、と言いましたよ」
「いや、アレは疑っていたぞ。俺が何かけしかけて、シオドーラの気を引いたのではないか、とな」
「うっ」
そこは否定できなかった。
だって周りがシオドーラとの結婚を、アリスター様に強いるほどだ。そう思わない方がおかしい。
すると、再びアリスター様に腰を強く引かれ、その勢いのまま、肩に手を置いた。
まるで抱き合うような体勢になってしまい、私は慌てて押し出す。しかしアリスター様はお構いなしに、私の額にキスをした。
「ちょっと待ってください。こういうのは二人きりの時に……」
「だからやっているんだが?」
「え?」
向かい側のソファーにはすでに誰もいない。振り返るとサミーの姿もなかった。
「こんな嫉妬してくれている姿を、他の奴に見せるとでも思ったのか?」
「嫉妬って……」
「違うのか?」
「……いいえ」
アリスター様は、私がそう言うのを待っていたかのように、唇へ。
そのまま、ソファーに押し倒された。
「んっ」
さらに腰を持ち上げられ、背中のファスナーにアリスター様の手が触れる。ちょうど腰の方まであるからか、最後まで下げられると、肩が剥き出しになった。
そこにアリスター様が顔を埋める。
「俺はずっとメイベルしか見ていない。十三年間ずっと」
「えっ! ま、待ってください。十三年ってどういうことですか?」
私は未だ体が火照りながらも、アリスター様を押し退けた。
慌てて起き上がったせいで、ドレスがさらに下がってしまい、胸が露わになりかける。急いでドレスをたくし上げても、背中が大きく空いているせいなのか、うまくいかない。
すると、アリスター様は私の背中に腕を回し、何故かファスナーを上げてくれた。
「この間、初めて会った時の話をしただろう。メイベルは憶えていなかったが」
「申し訳、ありません」
「いや、俺も憶えているとは思っていなかったから大丈夫だ。別段、メイベルの印象に残るような出来事があったわけではないし、な」
「そう、なのですか?」
あぁ、と言いながら、懐かしそうな眼差しで私を見詰めてくる。
「むしろ憶えていない方に安心したんだ。あの時は、メイベルを傷つけてしまったから」
「……何か、私の気に障ることを言ったのですか?」
それとも、私が失礼なことでもしたのだろうか。十三年前といったら、私は五歳だ。確かに何かしら印象が強くなければ、憶えていられる年齢ではない。
だからこそ、心配になった。幼さ故に、何か仕出かしたんじゃないか、と。
「言ったというより態度だと、エルバートに言われたよ。気難しい時期だったから余計に、ともな」
「よく、分かりません」
「あまり気にする話ではないんだ。俺が悪かったことだからな。それでも、あの時できなかったことをさせてもらえれば、十分なんだ」
「できなかったこと?」
私が五歳なら、アリスター様は十三歳だ。その両方でも可能なことは何だろうか。
憶えていなくても、当てられそうなことなのに、全く思い浮かばなかった。
私が首を傾げていると、アリスター様はいつものようにクククッと笑って見せる。おちょくっているわけではなく、本当に楽しそうな顔で。
「抱き上げてもいいだろうか」
「え?」
意外な答えに私は驚いた。が、すぐにあることを思い出す。公爵邸の廊下で、アリスター様が凄くしょげていた出来事を。
あの時は確か、私を抱えていこうかと言われて断ったのだ。
そんなにしょげることなの? と困惑したのをよく憶えている。偶然にも、幼い私と同じ答えを言ってしまったのだろうか。
だからあんなに……。
「今もダメなのか?」
いつも強引なアリスター様が許可を求めるのは、余程その時のことが悔しかったのか、心残りだったのか。推測はできないけれど、そろそろその呪縛から解き放ってほしかった。
私は両手を伸ばす。すると、言わなくてもアリスター様は体を私の方に傾ける。
「好きなだけしてください」
首に腕を回し、ギュッと抱きしめた。アリスター様は感極まったのか、すぐに抱き上げることはしなかった。
しかし、その後は……ちゃんと寝室へ連れて行ってくれた。
秋とはいえ、エヴァレット辺境伯領の冬は、首都よりも早くやってくる。
その分、日は短くなり寒さもより一層増すという。いつの間にか、サミーが入れてくれたお茶が冷めきってしまうほどに。
だから、そのお茶を変えようと、伸びてきた手を私は制する。
「このままでいいわ」
「ですが、奥様……」
「お願い。サミーもよく聞いてほしいの」
メイドの本分なのは分かるけど、今はサミーも話し合いに参加してほしかったからだ。
ソファーに座ることまでは強制しないから、せめてそれだけでも、と見上げると、渋々その手を引っ込めてくれた。
私がここまで神経質になるのは、この作戦が思ったよりも単純で、難しいものだったからに他ならない。
一歩手順を間違えれば、共倒れになり、領民の反感を買うことにもなるだろう。
常に共にいるサミーにも、色々と動いてもらう可能性がない、とは言い切れないのだ。
それが取り越し苦労であればいいのだけれど、アリスター様とダリルが『最後の策』というほどの作戦。念には念を入れる必要があった。
「では、決行は二週間後に」
「え? そんなに早く!? 準備ができるの?」
ダリルの言葉に私は驚いた。が、それをやんわりと答えたのは、アリスター様だった。
「前々から作戦は練っていたんだ。密かに準備もさせている。騎士団の中にも、最近のシオドーラの態度に難色を示している奴らがいるんでな」
「そうだったんですか。でも、どうしてですか? シオドーラは騎士団の管理下だと、仰っていましたよね」
「だからこそですよ、奥様。シオドーラがご主人様に迷惑をかけているのを見て、いい気分になるでしょうか。会話が噛み合っていないのは、分かりますよね」
「はい」
その場面を二回しか見ていない私でも分かるほどだ。
「聖女は確かに役に立ちます。怪我を治し、守ってもくれる。しかし、自分たちの指揮官であり、辺境伯領の要であるご主人様との相性が悪ければ、毒と同じです。現に輪を乱し始めたのですから。団員たちも、そこでようやく目が覚めたようです」
「だから、この機を逃したくない」
団員たちの心がシオドーラから離れている今を、とアリスター様は言いたいのだ。私は強く頷いて答える。
「分かりました。でも、くれぐれも気をつけてくださいね」
「そう心配をしてくれるのなら、先ほどの疑いは晴れたと思っていいんだな」
「最初から疑っていない、と言いましたよ」
「いや、アレは疑っていたぞ。俺が何かけしかけて、シオドーラの気を引いたのではないか、とな」
「うっ」
そこは否定できなかった。
だって周りがシオドーラとの結婚を、アリスター様に強いるほどだ。そう思わない方がおかしい。
すると、再びアリスター様に腰を強く引かれ、その勢いのまま、肩に手を置いた。
まるで抱き合うような体勢になってしまい、私は慌てて押し出す。しかしアリスター様はお構いなしに、私の額にキスをした。
「ちょっと待ってください。こういうのは二人きりの時に……」
「だからやっているんだが?」
「え?」
向かい側のソファーにはすでに誰もいない。振り返るとサミーの姿もなかった。
「こんな嫉妬してくれている姿を、他の奴に見せるとでも思ったのか?」
「嫉妬って……」
「違うのか?」
「……いいえ」
アリスター様は、私がそう言うのを待っていたかのように、唇へ。
そのまま、ソファーに押し倒された。
「んっ」
さらに腰を持ち上げられ、背中のファスナーにアリスター様の手が触れる。ちょうど腰の方まであるからか、最後まで下げられると、肩が剥き出しになった。
そこにアリスター様が顔を埋める。
「俺はずっとメイベルしか見ていない。十三年間ずっと」
「えっ! ま、待ってください。十三年ってどういうことですか?」
私は未だ体が火照りながらも、アリスター様を押し退けた。
慌てて起き上がったせいで、ドレスがさらに下がってしまい、胸が露わになりかける。急いでドレスをたくし上げても、背中が大きく空いているせいなのか、うまくいかない。
すると、アリスター様は私の背中に腕を回し、何故かファスナーを上げてくれた。
「この間、初めて会った時の話をしただろう。メイベルは憶えていなかったが」
「申し訳、ありません」
「いや、俺も憶えているとは思っていなかったから大丈夫だ。別段、メイベルの印象に残るような出来事があったわけではないし、な」
「そう、なのですか?」
あぁ、と言いながら、懐かしそうな眼差しで私を見詰めてくる。
「むしろ憶えていない方に安心したんだ。あの時は、メイベルを傷つけてしまったから」
「……何か、私の気に障ることを言ったのですか?」
それとも、私が失礼なことでもしたのだろうか。十三年前といったら、私は五歳だ。確かに何かしら印象が強くなければ、憶えていられる年齢ではない。
だからこそ、心配になった。幼さ故に、何か仕出かしたんじゃないか、と。
「言ったというより態度だと、エルバートに言われたよ。気難しい時期だったから余計に、ともな」
「よく、分かりません」
「あまり気にする話ではないんだ。俺が悪かったことだからな。それでも、あの時できなかったことをさせてもらえれば、十分なんだ」
「できなかったこと?」
私が五歳なら、アリスター様は十三歳だ。その両方でも可能なことは何だろうか。
憶えていなくても、当てられそうなことなのに、全く思い浮かばなかった。
私が首を傾げていると、アリスター様はいつものようにクククッと笑って見せる。おちょくっているわけではなく、本当に楽しそうな顔で。
「抱き上げてもいいだろうか」
「え?」
意外な答えに私は驚いた。が、すぐにあることを思い出す。公爵邸の廊下で、アリスター様が凄くしょげていた出来事を。
あの時は確か、私を抱えていこうかと言われて断ったのだ。
そんなにしょげることなの? と困惑したのをよく憶えている。偶然にも、幼い私と同じ答えを言ってしまったのだろうか。
だからあんなに……。
「今もダメなのか?」
いつも強引なアリスター様が許可を求めるのは、余程その時のことが悔しかったのか、心残りだったのか。推測はできないけれど、そろそろその呪縛から解き放ってほしかった。
私は両手を伸ばす。すると、言わなくてもアリスター様は体を私の方に傾ける。
「好きなだけしてください」
首に腕を回し、ギュッと抱きしめた。アリスター様は感極まったのか、すぐに抱き上げることはしなかった。
しかし、その後は……ちゃんと寝室へ連れて行ってくれた。