朝方の婚約破棄 ~寝起きが悪いせいで偏屈な辺境伯に嫁ぎます!?~
公爵令嬢、ね。
シオドーラと直接会ったのは二度。それ以外の邂逅も少ないとはいえ、これほどあからさまな敵意を向けられたのは初めてだった。
噂といった間接的な攻撃は受けたけれど、アレは「聖女としてエヴァレット辺境伯領を心配してのこと」と、弁明できてしまう代物だ。
元々、話が通じないところなどは、『聖女』という肩書きで許されているところがあったから、できたことだけど。
辺境伯夫人への無礼。そして部屋へ許可なく入ったこと。これは、命令違反を前提に行われていることだ。もう、処罰は免れないだろう。
シオドーラにその覚悟があって、今ここにいるのかは分からない。しかし、それを確認している暇はなかった。何せ、重要な問題が目の前に差し迫っていたからだ。
「わざわざ聖女の力を使って、直接私の部屋にやってこられるとは思いませんでしたわ。使用人の仕事を減らしていただき、ありがとうございます」
「さすがは聖女様。日々忙しい私たちを気遣っていただけるとは、寛大な御心に感謝致します」
私の嫌味に、サミーが応戦する。
部屋の外は静かだ。窓が閉まっているとはいえ、使用人たち、特にダリルが動いている様子はない。つまり、ここにシオドーラが要ることは知られていない可能性が高かった。
ならば、取る手段は一つしかない。アリスター様には怒られるかもしれないが、シオドーラを刺激して騒ぎを大きくすることだった。
「感謝はいりません。公爵令嬢には、やはり辺境伯夫人などという大役は無理だった。ベルリカーク帝国の要であるエヴァレット辺境伯領には、聖女である私が必要なのだと、元婚約者にお伝えください」
「何故?」
「一国の皇子ですもの。一度は婚約破棄されたからと言っても、幼なじみのような関係なのでしょう。憐れに思って、また引き取ってくれるわよ。貴女はベルリカーク帝国唯一の公女なのだから」
自分に酔っているのか、狂っているのか。突然、敬語がなくなった。
しかし、シオドーラの言う内容は、アリスター様への執着よりも、教会に捨てられた恨みが籠もっていた。
そうか。もしもアリスター様の相手が私でなければ、素直に身を引いたのかもしれない。
紛いなりにも聖女だ。文献レベルの伝説級。ベルリカーク帝国に現れた、ただ一人の聖女。
元々頭のネジが飛んで……いや、清らかだったからなれたのだ。それがさらにおかしく……ではなく、不測の事態に対処できなくなったのだろう。
「婚約破棄を言い渡したのはバードランド皇子ですわ。前言撤回をすることは、私よりも皇子の方に非難が殺到します。そのような愚かなことをするとは思えませんし、皇后様がお止めになるでしょう」
「何故? 皇子と公爵令嬢の婚約は皇后様のお望みだったはず。喜ばれるに決まっているわ」
「世間はそう思いません」
「あ〜、世間。世間ねぇ」
シオドーラはそう言いながら、さらに顔を歪ませた。声も低く、聖女というより悪女といった方が相応しかった。
どうやら私は、シオドーラの『禁句』に触れてしまったらしい。
待って! シオドーラはアリスター様に執着していたんじゃないの? 確かに刺激させるつもりでいたけど、これは……ちょっとマズいかもしれない。
「理不尽だと思わない? 私は『聖女』貴女は『公爵令嬢』として世間は媚びるのに。同じくらい役立たずと認識されたのにも関わらず、どうして貴女は求められているの?」
「何を、言っているの?」
別に私は役立たずというレッテルを貼られたわけじゃない。
もしかして、婚約破棄されたから、ブレイズ公爵家に泥を塗って、追い出されたと思われている? それでアリスター様が引き取ったと……。
二週間前に広めたアリスター様との噂で、さらにその認識を変な方向に捉えてしまったのかしら。
私はあまりにも飛躍した勘違いに、呆れを通り越してゾッとした。何故なら、それだけの思い込みで、ここまで乗り込んで来たからだ。
「私の力はここで求められている。皆、言っていたの。辺境伯様の妻になって欲しいって。ずっとここにいて欲しいって。育ててくださった司教のように、出ていけなんて誰も言わない。むしろ、いてって言うの」
世間は無情にも、無責任に囃し立てるもの。自分たちの都合を押し付けて、用がなくなれば見向きもされないのに。
それを真に受けるなんて……。いや、それほど嬉しかったんだ。自分の居場所が出来た、と思ったから。
「最高の場所だと思わない?」
どうしよう。さっきと言っていることが違う。私の返答のせい? なら、今度はなんて返すのが正解?
「私の方が先に捨てられて、先に求められた。なのに、あとから来た貴女がどうして全部持って行くの? どうして同じくらい不幸な想いをしないの? 努力もしないで、私から奪うなんて許されるとでも言うの?」
「前提が違うわ! 婚約破棄だって、アリスター様が私を求めてくださったから、バードランド皇子がしたことであって――……」
「うるさい!」
シオドーラの声に白い蝶が反応して、勢いよく私に襲いかかってきた。
「っ!」
「奥様!」
サミーが私を横に押し出した。白い蝶はそのまま一直線に飛んでいき、窓を突き破る。
私を押した勢いでサミーは床に倒れてしまったが、そのお陰で被害はない。
元々、シオドーラの標的は私だ。次に白い蝶が飛んでくる前に、机に向かって駆け出した。引き出しの中には、護身用にと潜ませていた短剣がある。
「逃げたって無駄よ。確かにこの部屋は広いけれど、隠れることなんてできないんだから」
シオドーラの声に耳を傾ける必要はない。私は短剣を取り出して、魔力を込める。神聖力と魔力は反発し合うため、もしものためにとアリスター様が用意してくれたのだ。
これでも、ベルリカーク帝国の唯一の公爵家。かつては強い魔術師、剣士などがいた家系だ。
剣の腕はともかく、魔術師に関しては随分と衰えてしまった。が、けして魔力がない、というわけではない。ただ少ないだけなのだ。
その僅かな魔力で、聖女であるシオドーラの神聖力に勝てるのかは分からない。でも、今はやらなければ、やられるだけだ。
私は向かってきた白い蝶に向かって短剣を振るう。
「くっ!」
僅かだが、白い蝶を消すことは出来た。が、スカートで立ち回るには分が悪い。
私は短剣でスカートを切り裂く。サミーが悲鳴を上げるが、気にしている場合じゃない。
「はぁはぁ」
多少、動きがよくなっても、白い蝶は無限に迫ってくる。そもそもリーチが短いのだから、無理がある。
気がつくと、私は白い蝶に囲まれていた。ドレスもボロボロ。顔には切り傷が何筋もある。
シオドーラは私が無惨な姿で命乞いをするのを待っているのだろう。そんなこと、誰がするもんですか!
「まだ抵抗するの? もう諦めたらどう?」
「嫌よ」
「さすがは公爵令嬢。我が儘ね。令嬢は令嬢らしく、大人しく帰りなさいよ」
「何を言っているの? ここは私の家よ。私は、エヴァレット辺境伯夫人なんだから!」
「黙りなさい!」
再び白い蝶が襲いかかる。が、逃げるわけにはいかない。
もう体が限界でも、私は短剣を向けた。途端、床が光り出す。
これは、魔法陣? でも、なんで……。
「メイベルっ!」
気がつくと、私の顔は厚い胸板に。体は逞しい腕の中にいた。
つい最近まで慣れ親しんだ感触と温もりに、顔を上げる。すると、銀髪の奥にある赤い瞳が私を見詰めていた。涙が出そうになるくらい嬉しくて、思わず名前を呼ぶ。
「アリスター様……!」
ずっと会いたくて堪らなかった人を前に、私はそのまま意識を手放した。何か言いたいのに、伝えたいのに、その顔を見ただけで安堵してしまったからだ。
シオドーラと直接会ったのは二度。それ以外の邂逅も少ないとはいえ、これほどあからさまな敵意を向けられたのは初めてだった。
噂といった間接的な攻撃は受けたけれど、アレは「聖女としてエヴァレット辺境伯領を心配してのこと」と、弁明できてしまう代物だ。
元々、話が通じないところなどは、『聖女』という肩書きで許されているところがあったから、できたことだけど。
辺境伯夫人への無礼。そして部屋へ許可なく入ったこと。これは、命令違反を前提に行われていることだ。もう、処罰は免れないだろう。
シオドーラにその覚悟があって、今ここにいるのかは分からない。しかし、それを確認している暇はなかった。何せ、重要な問題が目の前に差し迫っていたからだ。
「わざわざ聖女の力を使って、直接私の部屋にやってこられるとは思いませんでしたわ。使用人の仕事を減らしていただき、ありがとうございます」
「さすがは聖女様。日々忙しい私たちを気遣っていただけるとは、寛大な御心に感謝致します」
私の嫌味に、サミーが応戦する。
部屋の外は静かだ。窓が閉まっているとはいえ、使用人たち、特にダリルが動いている様子はない。つまり、ここにシオドーラが要ることは知られていない可能性が高かった。
ならば、取る手段は一つしかない。アリスター様には怒られるかもしれないが、シオドーラを刺激して騒ぎを大きくすることだった。
「感謝はいりません。公爵令嬢には、やはり辺境伯夫人などという大役は無理だった。ベルリカーク帝国の要であるエヴァレット辺境伯領には、聖女である私が必要なのだと、元婚約者にお伝えください」
「何故?」
「一国の皇子ですもの。一度は婚約破棄されたからと言っても、幼なじみのような関係なのでしょう。憐れに思って、また引き取ってくれるわよ。貴女はベルリカーク帝国唯一の公女なのだから」
自分に酔っているのか、狂っているのか。突然、敬語がなくなった。
しかし、シオドーラの言う内容は、アリスター様への執着よりも、教会に捨てられた恨みが籠もっていた。
そうか。もしもアリスター様の相手が私でなければ、素直に身を引いたのかもしれない。
紛いなりにも聖女だ。文献レベルの伝説級。ベルリカーク帝国に現れた、ただ一人の聖女。
元々頭のネジが飛んで……いや、清らかだったからなれたのだ。それがさらにおかしく……ではなく、不測の事態に対処できなくなったのだろう。
「婚約破棄を言い渡したのはバードランド皇子ですわ。前言撤回をすることは、私よりも皇子の方に非難が殺到します。そのような愚かなことをするとは思えませんし、皇后様がお止めになるでしょう」
「何故? 皇子と公爵令嬢の婚約は皇后様のお望みだったはず。喜ばれるに決まっているわ」
「世間はそう思いません」
「あ〜、世間。世間ねぇ」
シオドーラはそう言いながら、さらに顔を歪ませた。声も低く、聖女というより悪女といった方が相応しかった。
どうやら私は、シオドーラの『禁句』に触れてしまったらしい。
待って! シオドーラはアリスター様に執着していたんじゃないの? 確かに刺激させるつもりでいたけど、これは……ちょっとマズいかもしれない。
「理不尽だと思わない? 私は『聖女』貴女は『公爵令嬢』として世間は媚びるのに。同じくらい役立たずと認識されたのにも関わらず、どうして貴女は求められているの?」
「何を、言っているの?」
別に私は役立たずというレッテルを貼られたわけじゃない。
もしかして、婚約破棄されたから、ブレイズ公爵家に泥を塗って、追い出されたと思われている? それでアリスター様が引き取ったと……。
二週間前に広めたアリスター様との噂で、さらにその認識を変な方向に捉えてしまったのかしら。
私はあまりにも飛躍した勘違いに、呆れを通り越してゾッとした。何故なら、それだけの思い込みで、ここまで乗り込んで来たからだ。
「私の力はここで求められている。皆、言っていたの。辺境伯様の妻になって欲しいって。ずっとここにいて欲しいって。育ててくださった司教のように、出ていけなんて誰も言わない。むしろ、いてって言うの」
世間は無情にも、無責任に囃し立てるもの。自分たちの都合を押し付けて、用がなくなれば見向きもされないのに。
それを真に受けるなんて……。いや、それほど嬉しかったんだ。自分の居場所が出来た、と思ったから。
「最高の場所だと思わない?」
どうしよう。さっきと言っていることが違う。私の返答のせい? なら、今度はなんて返すのが正解?
「私の方が先に捨てられて、先に求められた。なのに、あとから来た貴女がどうして全部持って行くの? どうして同じくらい不幸な想いをしないの? 努力もしないで、私から奪うなんて許されるとでも言うの?」
「前提が違うわ! 婚約破棄だって、アリスター様が私を求めてくださったから、バードランド皇子がしたことであって――……」
「うるさい!」
シオドーラの声に白い蝶が反応して、勢いよく私に襲いかかってきた。
「っ!」
「奥様!」
サミーが私を横に押し出した。白い蝶はそのまま一直線に飛んでいき、窓を突き破る。
私を押した勢いでサミーは床に倒れてしまったが、そのお陰で被害はない。
元々、シオドーラの標的は私だ。次に白い蝶が飛んでくる前に、机に向かって駆け出した。引き出しの中には、護身用にと潜ませていた短剣がある。
「逃げたって無駄よ。確かにこの部屋は広いけれど、隠れることなんてできないんだから」
シオドーラの声に耳を傾ける必要はない。私は短剣を取り出して、魔力を込める。神聖力と魔力は反発し合うため、もしものためにとアリスター様が用意してくれたのだ。
これでも、ベルリカーク帝国の唯一の公爵家。かつては強い魔術師、剣士などがいた家系だ。
剣の腕はともかく、魔術師に関しては随分と衰えてしまった。が、けして魔力がない、というわけではない。ただ少ないだけなのだ。
その僅かな魔力で、聖女であるシオドーラの神聖力に勝てるのかは分からない。でも、今はやらなければ、やられるだけだ。
私は向かってきた白い蝶に向かって短剣を振るう。
「くっ!」
僅かだが、白い蝶を消すことは出来た。が、スカートで立ち回るには分が悪い。
私は短剣でスカートを切り裂く。サミーが悲鳴を上げるが、気にしている場合じゃない。
「はぁはぁ」
多少、動きがよくなっても、白い蝶は無限に迫ってくる。そもそもリーチが短いのだから、無理がある。
気がつくと、私は白い蝶に囲まれていた。ドレスもボロボロ。顔には切り傷が何筋もある。
シオドーラは私が無惨な姿で命乞いをするのを待っているのだろう。そんなこと、誰がするもんですか!
「まだ抵抗するの? もう諦めたらどう?」
「嫌よ」
「さすがは公爵令嬢。我が儘ね。令嬢は令嬢らしく、大人しく帰りなさいよ」
「何を言っているの? ここは私の家よ。私は、エヴァレット辺境伯夫人なんだから!」
「黙りなさい!」
再び白い蝶が襲いかかる。が、逃げるわけにはいかない。
もう体が限界でも、私は短剣を向けた。途端、床が光り出す。
これは、魔法陣? でも、なんで……。
「メイベルっ!」
気がつくと、私の顔は厚い胸板に。体は逞しい腕の中にいた。
つい最近まで慣れ親しんだ感触と温もりに、顔を上げる。すると、銀髪の奥にある赤い瞳が私を見詰めていた。涙が出そうになるくらい嬉しくて、思わず名前を呼ぶ。
「アリスター様……!」
ずっと会いたくて堪らなかった人を前に、私はそのまま意識を手放した。何か言いたいのに、伝えたいのに、その顔を見ただけで安堵してしまったからだ。