しあわせのレシピブック

魔法の教授

 とてとて、と歩いていく不思議な生物。
 その後ろをついていくエレは、ほんの少し上向いていた気分が、緊張と不安で塗り潰されているようでした。
 やはり、幼い頃の傷というものはなかなか拭い去れないようで。
 エレには、これから会うのがきっと「魔法の教授」であることがどうにも引っ掛かっているのでした。
(……また、)
 また、あのときのように。
 ……と。
「ついたぞ。ここだ」
 ずぶずぶと沈んでいた思考が、その声により途切れました。
 エレは前を見ます。
 そこにあったのは、煉瓦造りのお屋敷でした。同じく、煉瓦で造られた門の向こうには広い、よく手入れされた庭も見えて……まさに、豪邸と呼ぶに相応しいものです。
「……こんなところにお屋敷があったのですね」
「ふふん。まあ、珍獣の住処だからな。どうだ。なかなかふさわしいものだろう」
「え、ええ……」
 戸惑いがちに応えたエレに対し、自分を「珍獣」と称した不思議な生物は、ふんす、と、何処か自慢気に言うのです。
「ロイの奴、こういうセンスは一人前だからな。ふふん」
「……ええと。その「ロイ」様が教授様なのですか」
「ん、ああ。あいつは」
 と、珍獣様が口を開き。
 そのときでした。

「クルール」

 静かで低い、聞き心地がよい声がエレの耳を揺らしました。
 す、とエレはそちらの方へ視線を向けます。
 そこに立っていたのは、片手に本を携えた男性でした。

「おお、ロイ。ほれ、連れてきてやったぞ」
「……彼女に粗相はしていないだろうね?」
「まさか。「上質な毛並み」だと褒められたぞ」
「……まあ、いいか」
 「クルール」と呼ばれた珍獣様の自慢気な言葉に、苦笑いを浮かべて「ロイ」と呼ばれた教授様らしき方は応えます。
 ふわり、とクルール様がその翼で宙を舞い。それがいつものことであるかのように構えられたロイ様の腕の中へとすりと着地。
 そうして、クルール様のもこもこの毛を撫でながら。ロイ様はエレに視線を向けるのです。
「君が、エレくんで間違いないね」
「……はい」
 エレには、背筋をしゃんと伸ばしました。
「わたくし、家事代行を生業とさせて頂いております。エレと申しますわ」
 よろしくお願い致します。
 エレが頭を下げます。すると、
「そう緊張せずとも構わないよ。ソルティくんの紹介だからね。君が信用に足る人物であることはわかっているから」
 と、何処か安心できるような。不安になるような返事が返ってきました。
 ……ソルティさんは、わたくしのことをこの方にどう紹介したのでしょうか……。
「……あ、の」
「なんだい?」
 その声が存外に優しそうなものだったので。エレは、思わず早口に用件を切り出してしまうのです。
「その、わたくしはあなた様のことをどう呼ばせて頂ければ良いのでしょうか」
「ああ、申し遅れたね」
 彼は、ふわりと笑みを浮かべて。
「私はシュトロイゼル。シュトロイゼル=セレアル・ヴィエノワズリだ。気軽に「ロイ」と呼んでくれて構わないよ」
 ――そう。これが、わたくしとロイさんの出会いでした。
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