しあわせのレシピブック
閑話:ソルティ・シェリシィの日常
今日も仕事に行くエレを送り出したそのあと。
ソルティは久しぶりに町へと繰り出した。
町外れも外れ、裏路地も裏路地の隅。目立たないようにひっそりと佇む雑貨屋の主であるソルティは、自発的に町に出ていくことはしない。
その理由はいくつかあるのだが……ただ単にソルティが出不精というのが大きい。だって、家の中にいたって別にいいじゃない。死にはしないし。
まあ、そんな出不精なソルティでも、外に出るしかないときもある。
食料は、まあ自分も多少の料理魔法が使えるし、ご飯がなければお菓子を食べればいいじゃない。というやつで困っていない(エレには酷く怒られる)のだが……日用品が切れた場合は、買いに行かなければさすがにまずい。
今日は、なんという奇跡か不運か。来客用の、「五人分」のマグカップをすべて割るとかいうことを成し遂げてしまったので、マグカップを選びに来たのだ。
料理をする魔法、お菓子を作る魔法、料理やお菓子からなにかを作り上げる魔法が発達しているこの世の中だが、食器は手作りのものが好まれる。まあ、ソルティはそこまでこだわりもなく、ソルティの友人たちも「公式の場」以外ではそこまでこだわりを持っていないので、なんでも、ソルティが気に入ったものを買っていい、のだが……。
(……みんなには、ちゃんとしたもの使ってほしいしなあ)
自分ひとりだけでは、こうは思わなかっただろう。
日の当たらない裏路地から、表通りに出る。今日は、いい天気だ。
シャンティーイ城下町の表通りのひとつは活気に満ち溢れている。……見ているだけで元気になるような、そんな場所……の筈、なのだが。
(……なんでこんなに周りを気にしなきゃいけないんだ……)
ソルティはきょろきょろと周囲を見回している。その気分は、元気になるどころか憂鬱なものに近かった。
何故かと問われれば、「会いたい相手」と、「会いたくない相手」がいるのだ。
ふたり一緒にいる可能性は高い、が。片方には会いたくて片方には絶対に会いたくない。
(……「あいつ」に会うと面倒だからヤなんだ。しゅーちゃんには会いたいけど……)
深く深くうつむき直し、ソルティは決め込む。今日は絶対にあいつに会わないために、さっさと用事を済ませて帰る。最低限の場所にしか行かない。決めた。絶対に決めた。
そうと決めたら、話は早い。馴染みの食器屋に行って、早く選んでしまおう。
と、足を進めようとした、そのときだった。
とん、と軽い衝撃。揺れる視界。……そして、支えたのは誰かの手か。
どうやら、誰かにぶつかってしまったらしい。慌てて顔を上げて、
「あ、……すみま」
……謝罪の言葉を紡ごうとしたソルティの視線が、一気に鋭くなる。
睨み付けるようになったそれに、ソルティを受け止めた男は首をすくめる。
「こんにちは、ソルティ。珍しいな。町に出てきているなんて……、そう睨むな。ほら、」
男は、すい、と指を動かす。その先を見れば、
「……しゅーちゃん」
愛しい愛しい幼馴染みの姿が。
「ふふ、「しゅーちゃん」に嫌われたくはないだろう。しばらく私に」
付き合ってもらおうか。男がソルティにそう告げようとした。
そのとき。
「しゅーちゃあああああああん!!」
「ええっ!?」
「あ、ディッシュ兄さん! またソルテちゃんにちょっかい出してるんでしょ!」
腕が緩んだ隙を狙い、ソルティは、こちらへ向かってきた「しゅーちゃん」に飛び付く。
その顔はびっくりするほどの満面の笑みで。その上若干のどや顔も入っていた。
「残念だったな!! しゅーちゃんとわたしはそんなことで嫌いになるような柔い友情築いてねえんだよ!」
「くっ……ラディッシュ、恨むぞ」
「ディッシュ兄さんに恨まれてもなあ……」
ふはは! とキャラクターも忘れた笑顔を浮かべるソルティ。心底悔しそうにしゅーちゃん――ラディッシュを睨み付ける男、もといディッシュ。はは、と乾いた笑い声を上げるラディッシュ。
この場は、わりと混沌としていた。
「……あはは、ちょっと苦しいかな。ソルテちゃん」
「あ、ご、ごめんねしゅーちゃん」
「ううん。大丈夫だよ」
ばっ、と。大袈裟な動きでラディッシュから離れたソルティはぺこぺこと平謝りを始める。そんなソルティを制すると、ラディッシュは彼女を安心させるかのようにふわりと笑った。
まさに、
「しゅーちゃん優しい……天使か……」
「天使ではないかな……?」
「しゅーちゃん大好き……」
いちゃいちゃ、いちゃいちゃ。片方からのハートの量が明らかに多いいちゃつきを人目にはばからずにし始めるソルティとラディッシュ。
なんだかんだ言いながら、ラディッシュも嫌がっている素振りはない。むしろ、ほんの少し低いソルティの頭を撫でに行ったりと積極的にいちゃつきにいっている。
「……」
そして、そんなふたりをものすごい目で見ているのがディッシュだ。
その目には、明確な嫌悪感と……多分に、見え隠れする、
「はい、そこ」
「……」
「兄さん、男の嫉妬は見苦しいって」
「うるさい」
「拗ねないの。子供みたいだよ」
「うるさい」
すっかり拗ねた様子のディッシュは今にもこの人々の往来する大通りの真ん中にも関わらず、膝を抱えて座り込んでしまいそうな勢いだ。
「どうせ私は汚れた男だ……。お前たちの聖域になんて足を踏み入れることすら許されないのだろう……。知ってる……。私知ってるからな……」
「……仕方ないなあ」
ちょっと待っててね。しゅーちゃん。
そう言って、ソルティはディッシュの元へ歩み寄る。……まだ若干の距離はあるが。
「ほら、ディッシュさん。顔上げてください。邪魔になりますよ。騎士団長がそんなんでいいんですか」
「……」
「……わたしは、」
すう、とソルティが息を吸い込む。
「わたしは、騎士団長してるディッシュさん、嫌いじゃないですよ?」
「……!」
「悔しいけど、なかなかかっこいいですから」
そうして、ソルティは照れたように微笑んだ。
「……ソルティ」
その顔を見て、しばらく固まっていたディッシュは、ようやく絞り出すようにソルティの名を呼ぶ。
なんですか。ソルティの幾分か柔らかいその声に応えるように、ディッシュは。
「結婚してください」
「丁重にお断りさせて頂きます」
ソルティが思いっきりディッシュの頬を張った。
すぱーん、と。きれいな音が鳴り響く。
ソルティがすう、と息を吸い込む。しかしそれは、先ほどのものとは意味が全く違う。
「すぐ結婚がどーのこーのって言うから! わたしはディッシュさんのことを素直に好きになれないんですよ!」
「だって! だって! 結婚したいんだからしょうがないだろう!」
「もういいです! わたし帰る! 帰りますから!」
「待て! 話は終わっていないぞソルティ!」
本来の目的も忘れて、ソルティがずんずんと帰路を歩み出す。それを若干のふらつきを抑えて、ディッシュが追う。
大声の言い争いは人目をはばからずに続く。それが、ある程度小さくなったところで。
「……兄さんもソルテちゃんも、素直じゃない……」
ラディッシュが呟いた。
先ほどのソルティの言葉を、ラディッシュは反復する。
「『ディッシュさんのことを「素直に好きになれない」んですよ』……か」
つまりは、
「そういうこと、だよね」
はあ、とラディッシュはため息をつく。
そうして、ほんの少し遠い目をしたラディッシュは、もう背中も見えなくなった自分の兄に小さくエールをおくるのだ。
ソルティは久しぶりに町へと繰り出した。
町外れも外れ、裏路地も裏路地の隅。目立たないようにひっそりと佇む雑貨屋の主であるソルティは、自発的に町に出ていくことはしない。
その理由はいくつかあるのだが……ただ単にソルティが出不精というのが大きい。だって、家の中にいたって別にいいじゃない。死にはしないし。
まあ、そんな出不精なソルティでも、外に出るしかないときもある。
食料は、まあ自分も多少の料理魔法が使えるし、ご飯がなければお菓子を食べればいいじゃない。というやつで困っていない(エレには酷く怒られる)のだが……日用品が切れた場合は、買いに行かなければさすがにまずい。
今日は、なんという奇跡か不運か。来客用の、「五人分」のマグカップをすべて割るとかいうことを成し遂げてしまったので、マグカップを選びに来たのだ。
料理をする魔法、お菓子を作る魔法、料理やお菓子からなにかを作り上げる魔法が発達しているこの世の中だが、食器は手作りのものが好まれる。まあ、ソルティはそこまでこだわりもなく、ソルティの友人たちも「公式の場」以外ではそこまでこだわりを持っていないので、なんでも、ソルティが気に入ったものを買っていい、のだが……。
(……みんなには、ちゃんとしたもの使ってほしいしなあ)
自分ひとりだけでは、こうは思わなかっただろう。
日の当たらない裏路地から、表通りに出る。今日は、いい天気だ。
シャンティーイ城下町の表通りのひとつは活気に満ち溢れている。……見ているだけで元気になるような、そんな場所……の筈、なのだが。
(……なんでこんなに周りを気にしなきゃいけないんだ……)
ソルティはきょろきょろと周囲を見回している。その気分は、元気になるどころか憂鬱なものに近かった。
何故かと問われれば、「会いたい相手」と、「会いたくない相手」がいるのだ。
ふたり一緒にいる可能性は高い、が。片方には会いたくて片方には絶対に会いたくない。
(……「あいつ」に会うと面倒だからヤなんだ。しゅーちゃんには会いたいけど……)
深く深くうつむき直し、ソルティは決め込む。今日は絶対にあいつに会わないために、さっさと用事を済ませて帰る。最低限の場所にしか行かない。決めた。絶対に決めた。
そうと決めたら、話は早い。馴染みの食器屋に行って、早く選んでしまおう。
と、足を進めようとした、そのときだった。
とん、と軽い衝撃。揺れる視界。……そして、支えたのは誰かの手か。
どうやら、誰かにぶつかってしまったらしい。慌てて顔を上げて、
「あ、……すみま」
……謝罪の言葉を紡ごうとしたソルティの視線が、一気に鋭くなる。
睨み付けるようになったそれに、ソルティを受け止めた男は首をすくめる。
「こんにちは、ソルティ。珍しいな。町に出てきているなんて……、そう睨むな。ほら、」
男は、すい、と指を動かす。その先を見れば、
「……しゅーちゃん」
愛しい愛しい幼馴染みの姿が。
「ふふ、「しゅーちゃん」に嫌われたくはないだろう。しばらく私に」
付き合ってもらおうか。男がソルティにそう告げようとした。
そのとき。
「しゅーちゃあああああああん!!」
「ええっ!?」
「あ、ディッシュ兄さん! またソルテちゃんにちょっかい出してるんでしょ!」
腕が緩んだ隙を狙い、ソルティは、こちらへ向かってきた「しゅーちゃん」に飛び付く。
その顔はびっくりするほどの満面の笑みで。その上若干のどや顔も入っていた。
「残念だったな!! しゅーちゃんとわたしはそんなことで嫌いになるような柔い友情築いてねえんだよ!」
「くっ……ラディッシュ、恨むぞ」
「ディッシュ兄さんに恨まれてもなあ……」
ふはは! とキャラクターも忘れた笑顔を浮かべるソルティ。心底悔しそうにしゅーちゃん――ラディッシュを睨み付ける男、もといディッシュ。はは、と乾いた笑い声を上げるラディッシュ。
この場は、わりと混沌としていた。
「……あはは、ちょっと苦しいかな。ソルテちゃん」
「あ、ご、ごめんねしゅーちゃん」
「ううん。大丈夫だよ」
ばっ、と。大袈裟な動きでラディッシュから離れたソルティはぺこぺこと平謝りを始める。そんなソルティを制すると、ラディッシュは彼女を安心させるかのようにふわりと笑った。
まさに、
「しゅーちゃん優しい……天使か……」
「天使ではないかな……?」
「しゅーちゃん大好き……」
いちゃいちゃ、いちゃいちゃ。片方からのハートの量が明らかに多いいちゃつきを人目にはばからずにし始めるソルティとラディッシュ。
なんだかんだ言いながら、ラディッシュも嫌がっている素振りはない。むしろ、ほんの少し低いソルティの頭を撫でに行ったりと積極的にいちゃつきにいっている。
「……」
そして、そんなふたりをものすごい目で見ているのがディッシュだ。
その目には、明確な嫌悪感と……多分に、見え隠れする、
「はい、そこ」
「……」
「兄さん、男の嫉妬は見苦しいって」
「うるさい」
「拗ねないの。子供みたいだよ」
「うるさい」
すっかり拗ねた様子のディッシュは今にもこの人々の往来する大通りの真ん中にも関わらず、膝を抱えて座り込んでしまいそうな勢いだ。
「どうせ私は汚れた男だ……。お前たちの聖域になんて足を踏み入れることすら許されないのだろう……。知ってる……。私知ってるからな……」
「……仕方ないなあ」
ちょっと待っててね。しゅーちゃん。
そう言って、ソルティはディッシュの元へ歩み寄る。……まだ若干の距離はあるが。
「ほら、ディッシュさん。顔上げてください。邪魔になりますよ。騎士団長がそんなんでいいんですか」
「……」
「……わたしは、」
すう、とソルティが息を吸い込む。
「わたしは、騎士団長してるディッシュさん、嫌いじゃないですよ?」
「……!」
「悔しいけど、なかなかかっこいいですから」
そうして、ソルティは照れたように微笑んだ。
「……ソルティ」
その顔を見て、しばらく固まっていたディッシュは、ようやく絞り出すようにソルティの名を呼ぶ。
なんですか。ソルティの幾分か柔らかいその声に応えるように、ディッシュは。
「結婚してください」
「丁重にお断りさせて頂きます」
ソルティが思いっきりディッシュの頬を張った。
すぱーん、と。きれいな音が鳴り響く。
ソルティがすう、と息を吸い込む。しかしそれは、先ほどのものとは意味が全く違う。
「すぐ結婚がどーのこーのって言うから! わたしはディッシュさんのことを素直に好きになれないんですよ!」
「だって! だって! 結婚したいんだからしょうがないだろう!」
「もういいです! わたし帰る! 帰りますから!」
「待て! 話は終わっていないぞソルティ!」
本来の目的も忘れて、ソルティがずんずんと帰路を歩み出す。それを若干のふらつきを抑えて、ディッシュが追う。
大声の言い争いは人目をはばからずに続く。それが、ある程度小さくなったところで。
「……兄さんもソルテちゃんも、素直じゃない……」
ラディッシュが呟いた。
先ほどのソルティの言葉を、ラディッシュは反復する。
「『ディッシュさんのことを「素直に好きになれない」んですよ』……か」
つまりは、
「そういうこと、だよね」
はあ、とラディッシュはため息をつく。
そうして、ほんの少し遠い目をしたラディッシュは、もう背中も見えなくなった自分の兄に小さくエールをおくるのだ。