憧れの街で凄腕脳外科医の契約妻になりました。
トランクは閉めずに会話が繰り広げられていたため、莉緒香には聞こえていたようで、「ちょっと! さっさと車出してよ! いつまで開けてんのよ、寒いわよ!」とドライバーに声をあげた。
莉緒香の声で運転手は急いでトランクを閉め車に戻り、私の元から立ち去ってしまった。
二駅といってもベリが丘から隣駅まですらも随分と距離がある。到底歩いていける距離ではない。けれど、一駅分すらも払えるお金がない。
私はどうしたらいいのだろう。
こうなったのも全て羽倉先生に会えるかもしれないという、邪な気落ちがあったからだ。
サインさえもらわなければこんなことにはならなかった。羽倉先生のような、とてつもなく優秀なドクターに安易に声をかけてしまった、その代償だ。
どうすることもできずにベリが丘の駅に座り込んだ。そして、バッグからさっき貰ったサイン本を眺める。おもて表紙を開き、羽倉先生のサインに目を向ける。
『咲村亜矢さんへ』という文字と今日の日付、サインが大きく書かれてあった。そして、右下には『羽倉和登』と、羽倉先生のフルネームが書かれてある。
その文字を見て、『サインさえ貰わなければ』この気持ちが抱いてしまったことを後悔した。
サインがもらえてよかった。羽倉先生とお話しできて、羽倉先生からお爺ちゃんのことを聞けてよかった。この気持ちに嘘はない。