愚かなキミの、ひと目惚れ事情。【完】




彼はその話を、表情一つ変えずに私に言った。


書道に触れられなくなった経緯は違えど、私と瀬名川はどこか似ている。

触れられない、という点が何よりの共通点だ。




「だから、葉ちゃんまで俺の母親と同じような道を辿らないでね?」

「……」

「てか、そんなこと葉ちゃんには絶対にさせないけど」





でもね、私にはよく分かる。

瀬名川のお母さんが、どうして命を絶つことになったのか。



一度目指した夢が、途端に儚く崩れていく恐怖は計り知れないんだ。

やっと踏み入れた場所以外のところへ、突然放り出されることが何よりも怖くて、そこ以外の場所は全部場違いになってしまうんだ。



瀬名川の言う通り、大半の人達の目には『たかが』『大したことではない』と思われるのかもしれないけれど、この苦行を味わった本人には何よりの生き地獄なんだ。



みんながいう“普通”に慣れようとしたよ。

みんなの輪の中に入ろうともした。

大衆に混ざれば楽になれたよ。



でもそのあと必ず、そんな自分を振り返っては拒絶しにかかってくるんだ。




《あれだけ平凡を嫌っていたくせに》

《あれだけ人を見下していたくせに》

《あれだけ自分は、特別なんだと思っていたくせに》と。




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