ノスタルジージャーニー
終点
これは僕がたった一度、ノスタルジージャーニーへでかけた時の記憶の物語である。

僕がこの話を書くにあたり、一番はじめに考えたことは、はじまりをどこからにするかということだった。"話を書き始めるときにプロットと呼ばれるようなものが必要で、出だしはとても重要なこと。"と、彼女の受け売りの言葉を思い出している。何度もそれで討論になったことを僕は思い出した。だけれど、今はそれほど、深く考える必要なんてなかったんじゃないかって思っている。つまり、始めから僕は何も変われなかったんだ。

「乗車中のお客様に申し上げます。当駅発、遠井街行き、各駅停車は定刻通り、13時40分に発車いたします。発車まで、今暫くお待ち下さい」


この電車のアナウンスを聞くのは何年ぶりだろうか。


僕が都会にでて、最初の年に1回戻って以来だ。

今、学生時代に毎日乗っていた電車に乗っている。

少し駅は近代化してるが、昔と景観はそんなに変わってない。

だけど当時より、なんだか昔と違って見えてしまうのは何故だろう。

僕が変わったのだろうか?

いや・・・・・・・・・変わらなすぎたのかもしれない。
歳月と共に生きることを僕は拒み、ずっと当時のままの僕と、歳月とともに生きることを強制され、少しばかり色褪せている景観。

僕も確かに顔にシワは増えた。だけど街の景観には奥深さで哀愁が溢れているのに、僕の精神自体は学生時代のままなのだった。それはきっと、できるだけ変わらずに・・・・いや変われなかったのだろう。

僕はあの事故以来、そんな空白の精神の停滞を埋めようとしていたのかもしれない。沢山の人、偉大とされる建物、遺跡、芸術、世界中を回り見てきた。

それに出会う度に、様々な感情や感性が僕に流れ込み、感動したものだった。
よく涙を流すことだけが感動ではないって誰かのことばを思い出していた。だけれど、もう涙なんて出ないのかもしれないとも思ったのもよく思った。

だけど、それらとは違う。

この列車からの名前のない"いつかのありふれてる"風景。

当時付き合ってた、名前も覚えてない娘と見た風景の方が、懐かしくてなんとも言えない思いを湧きあがらせる。


これがノスタルジーってゆうのかもしれない・・・。

僕は成長できているのだろうか。

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