初めてを捧げたのは、人気俳優になった初恋の人でした
紫遥は湊のことを考えないように、手鏡をカバンの中にしまいこみ、顔を両手でパンと叩いたあと、駅に向かって歩き出した。

 そろそろ始発が出る頃だ。人もまばらだが、街は今日という新しい日に向かって、徐々に動き出そうとしているようだった。
 
 横断歩道で立ち止まると、向かいのビルに映ったモニターから聞き覚えのある声がした。
 
 【君を忘れられない香り、この街でも】
 
 それは、クリスマス限定で発売される香水のCMだった。爛々と光るモニターの中では、可愛らしい香水のボトルを持った湊が、黒いレースの下着を身につけた女性を優しく抱きしめ、首元に顔をうずめて微笑んでいた。

 毎日俯きながら歩くのが癖になっているからか、こんなに大きなモニターに映し出されている湊に、今まで気付かなかった。


 だが、もう彼と会うことはないだろう。モニター越しの湊を見て、紫遥はそう確信した。
 
 十代の頃は、たまたま同じ高校にいただけで、本来、湊と自分の住む世界では天と地ほどの差がある。だからこそ、彼に「抱いて」と縋ったあの日を最後に、私は彼の前から姿を消すことになったのだ。
< 27 / 258 >

この作品をシェア

pagetop