初めてを捧げたのは、人気俳優になった初恋の人でした
 紫遥が腕時計を見て、時間を確認する。16時45分ちょうど。普段はできるだけ予約時間ピッタリに来るようにしているのだが、初回はスタッフの人となりを確認するために雑談をする依頼主が多い。

 特に今回の依頼主は特別待遇が必要だった。もしかしたら細かなこだわりや指示があるかもしれない。

 (頑張らないと。すべては借金返済のために……!)
 
 気合いを入れ、ぐっと拳を握りしめる。

 紫遥が身につけているダークグリーンのエプロンの胸元に、金糸で縫われたBistia《ビスティア》の文字は、セレブ御用達と有名な、プレミアム家事代行サービスの名称だ。
 
 今の時代、家事代行は必ずしも富裕層だけのものではなく、広く一般的に知られているサービスではあるが、Bistiaは特別だった。Bistiaに登録している家事代行スタッフはあらゆる家事を完璧にこなすだけではなく、人によっては子供の子守りから家庭教師、孤独な老人の話し相手など、業務内容は多岐に渡った。

 そして、なかでも芸能人や著名人、政治家や企業の社長など、VIP客への対応は特別注意を払わなければいけなかった。指名されたスタッフは仰々しい秘密保持契約を結ばされ、担当したVIP客の要望に応えられなかった場合は罰金、酷いと解雇処分となる。
 
 そして、紫遥がそんな難しいVIP客の指名を快諾し、47階にある芸能人の自宅に向かっている理由は、ただ1つ。VIP客を対応した時の時給が、信じられないほど高額だからだ。東京都の最低賃金の5倍はゆうに超えるその金額は、明日を生きていくためだけに働く貧困層の自分にとって夢のような数字で、500万という借金を返すための希望だった。


 紫遥を乗せたエレベーターが47階につき、静かに扉が開く。目の前に広がる、シックな色合いの、汚れ一つない絨毯を見て、紫遥の身体は先ほどにも増して、固く強張った。
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