意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
ノクターンがブレスレットを贈ってくれてから、リーゼは以前よりも明るい気持ちで過ごせるようになった。
相変わらずノクターンと顔を合わせる日が少なく、会えてもぎこちないままだが、それでもブレスレットを見ると元気になれる。ノクターンがブレスレットを贈ってくれた時の思い出が、リーゼの背中を押してくれるのだ。
「さて、今日の夕食はなにを作ろうかな?」
放課後になり、リーゼは教科書やノートを鞄の中に入れ、帰り支度を始めた。そこに女子生徒が一人やって来て、リーゼに声をかける。彼女の名前はケイト。リーゼの友人だ。
「リーゼちゃん、ブルク語の授業でわからないところがあったんだけど、教えてもらっていいかな?」
「いいよ。」
「ありがと! 帰る前に引き留めてごめんね」
「気にしないで。特に予定がないから」
そう言い、リーゼは鞄の中からブルク語の教科書を取り出す。
「わからないところって、どのあたり?」
「この文章よ。どうしてこの単語の並びになるのかわからないわ」
「ああ、これは強い感情を表す時に使われる特殊な並びなの」
リーゼの指先がケイトのノートの上を滑る。その時、リーゼの手首でブレスレットがきらりと光った。ケイトがその光につられ、ブレスレットに目を留める。
「そのブレスレット、とても綺麗ね」
「ありがとう。ノクターンにもらったの」
頬を緩めるリーゼを見て、ケイトは微笑んだ。つい最近まで落ち込み気味だった友人の幸せそうな笑顔を見て、安心したのだ。
ケイトに勉強を教え終えたリーゼは、今度こそ鞄を持って教室を出る。
「あれ? 人が多いな」
校門の近くに女子生徒たちが集まっている。みんな一点を見つめており、頬を上気させているのだ。
なにを見ているのだろうか。気になって首を伸ばして見てみると、そこには見知った人物がいた。
「もしかして……エディさん……?」
エディは今日も上流階級らしいお洒落な服に身を包んでいる。そんな彼がこの質素な校門の前に立っていると、とても浮くのだ。
どうしてここにいるのだろうか。頭に疑問符を浮かべつつ見つめていると、リーゼの視線に気づいたエディが振り返る。
「リーゼちゃん! こんなところで会うなんて奇遇だね?」
「エディさん、どうして学校に?」
「よそよそしいなぁ。呼び捨てにしてよ」
「目上の人を呼び捨てにできませんよ」
「そんな事気にしないで。俺がエディって呼んでほしいから大丈夫。ね?」
花のような笑みを浮かべて強要してくるエディに、リーゼは渋々頷いた。
上機嫌になったエディが、リーゼの顔を覗き込む。
「リーゼちゃん、今日は泣いていなくて良かった」
「……あの日のことは忘れてください」
「俺は忘れられないんだけどなぁ」
泣いていたことを蒸し返されたくない。ましてやここは校門前だ。他の生徒たちにも泣いていたことを知られるなんて恥ずかしい。
リーゼが逃げるように校門から離れると、エディがついて来る。
「エディはどうして学校に来たんですか? 新しい事業でも始めるんですか?」
「ううん。リーゼちゃんに会いに来たんだよ」
「……はい?」
「ほら、まだお礼してないでしょ?」
「気にしなくていいですよ。あの時、手当てをしていただきましたから十分です」
「あれはジーンがやったから、数の内に入らないよ」
この自信家な実業家は、本当に借りを作りたくない主義らしい。ここまで徹底されると、もはや呆れてしまう。
「そう言われましても……本当に大したことではありませんので気にしないでください」
「う~ん。それじゃあ、本当の話をしようかな」
そう言い、エディはリーゼの目の前に回り込む。二人の足がぴたりと止まり、足元から伸びる二つの影が一つに混ざり合った。
「お礼の件は口実なんだ。俺、リーゼちゃんと仲良くなりたいの」
「仲良く?」
「うん。リーゼちゃんは可愛くて明るくて、それに一緒に話していると楽しいからさ、もっと仲良くなりたいんだよ。それに、リーゼちゃんの瞳の色がすっごく好きで、ずっと見ていたい」
「瞳の色……ですか」
リーゼの表情が曇る。片手を持ち上げ、目元に触れた。
「私はこの色、好きじゃないです」
「綺麗な色なのに、どうして?」
「お父さんとお母さんの子どもじゃないって、思い知らされますから。……私、拾い子なんですよ。十七年前の暴動の最中に、いまの両親に拾われました。だから産みの親のことは全く覚えていません」
その事実を知ったのは、故郷にいた頃だった。町の子どもたちと一緒に遊んでいると、リーゼの瞳の色がなぜ両親と違うのかと問われたのだ。
(正直に言うと、あの子たちに聞かれるまでは瞳の色が違うことに疑問を抱かなかった)
両親も自分も、そして一緒に住んでいるノクターンも、みんな瞳の色が違っていたからだ。しかし友人の話によると、子どもは両親と同じ瞳の色を受け継ぐものらしい。
自分は両親の子どもではないのかもしれない。幼いリーゼにとって、それはどうしようもなく恐ろしく、悪夢のような話だった。
本当にそうなのだろうか。いや、もしかしたら、あの子が勘違いしているだけなのかもしれない。そんな微かな希望を抱いてハンナに聞いたところ、彼女は涙を零してリーゼを抱きしめた。そしてその夜、リーゼは両親から、自分が拾い子だという事実を聞かされたのだった。
(二人とも、ずっと泣きながら私に謝っていたな。いままで黙っていて悪かったって。二人はなにも悪くないのに、私が泣いたから罪悪感を抱いてしまったんだね)
ブライアンとハンナが本当の両親だと疑いもなく思っていたリーゼにとって、まさに青天の霹靂だった。そして両親と自分の間にある繋がりの糸のようなものがふつりと切れてしまったような気がして、寂しさと悲しみに苛まれたのだ。
(あの時は、お父さんとお母さんと一緒にいるのが気まずくて、ノクターンに引っついてばかりだった)
二人で霧が深い森へ行き、ただ黙って寝転がっていた日もあった。強い不安に襲われた時は、ノクターンに抱きしめられながら聞いてもらった。そして泣きたい時は、ノクターンの胸で思い切り泣いた。
ノクターンはリーゼをあやしながら、ブライアンとハンナがどんなにリーゼを大切に育ててきたのか、彼らがどれほどリーゼを深く愛しているのかを教えてくれた。そのおかげで、リーゼは再び両親と向き合うことができるようになったのだ。
「……ごめん。触れられたくないことに踏み込んでしまったね」
珍しく、エディがしおらしい表情になる。声に覇気がなく、彼らしくない。
リーゼが触れられたくない話題に触れてしまった事を、よほど反省しているらしい。
「いいんです。私がないものねだりをしているだけですので。それに、両親も私の瞳の色が好きだと、綺麗だと言ってくれています」
リーゼがそう取り繕うと、エディは更に眉尻を下げた。
「あ~あ。好きな子を悲しませるなんて、本当にカッコ悪い」
頭を抱えて落ち込むエディを見たリーゼは、エディは案外繊細で気配りができる人なんだな、と認識を改めた。
「あ、そうだ!」
うんうんと唸っていたエディは頭から手を離し、リーゼの前に差し出した。
「あのさ、リーゼちゃんを悲しませたお詫びに、うちの会社を見学しない?」
「見学? いいんですか?」
「もちろん。うちの経理の仕事を見てみたら、今後の参考になるんじゃないのかな?」
エディが言う通りだ。リーゼはまだ家計簿をつけているくらいで、実際の職場の様子を見た事がない。
「それでは、お言葉に甘えてお邪魔させてください」
手を握り返すリーゼに、エディは満面の笑みで「よろこんで」と答えた。
そんな二人のやり取りを、一匹の黒猫が、物陰からじっと見つめていたのだった。
相変わらずノクターンと顔を合わせる日が少なく、会えてもぎこちないままだが、それでもブレスレットを見ると元気になれる。ノクターンがブレスレットを贈ってくれた時の思い出が、リーゼの背中を押してくれるのだ。
「さて、今日の夕食はなにを作ろうかな?」
放課後になり、リーゼは教科書やノートを鞄の中に入れ、帰り支度を始めた。そこに女子生徒が一人やって来て、リーゼに声をかける。彼女の名前はケイト。リーゼの友人だ。
「リーゼちゃん、ブルク語の授業でわからないところがあったんだけど、教えてもらっていいかな?」
「いいよ。」
「ありがと! 帰る前に引き留めてごめんね」
「気にしないで。特に予定がないから」
そう言い、リーゼは鞄の中からブルク語の教科書を取り出す。
「わからないところって、どのあたり?」
「この文章よ。どうしてこの単語の並びになるのかわからないわ」
「ああ、これは強い感情を表す時に使われる特殊な並びなの」
リーゼの指先がケイトのノートの上を滑る。その時、リーゼの手首でブレスレットがきらりと光った。ケイトがその光につられ、ブレスレットに目を留める。
「そのブレスレット、とても綺麗ね」
「ありがとう。ノクターンにもらったの」
頬を緩めるリーゼを見て、ケイトは微笑んだ。つい最近まで落ち込み気味だった友人の幸せそうな笑顔を見て、安心したのだ。
ケイトに勉強を教え終えたリーゼは、今度こそ鞄を持って教室を出る。
「あれ? 人が多いな」
校門の近くに女子生徒たちが集まっている。みんな一点を見つめており、頬を上気させているのだ。
なにを見ているのだろうか。気になって首を伸ばして見てみると、そこには見知った人物がいた。
「もしかして……エディさん……?」
エディは今日も上流階級らしいお洒落な服に身を包んでいる。そんな彼がこの質素な校門の前に立っていると、とても浮くのだ。
どうしてここにいるのだろうか。頭に疑問符を浮かべつつ見つめていると、リーゼの視線に気づいたエディが振り返る。
「リーゼちゃん! こんなところで会うなんて奇遇だね?」
「エディさん、どうして学校に?」
「よそよそしいなぁ。呼び捨てにしてよ」
「目上の人を呼び捨てにできませんよ」
「そんな事気にしないで。俺がエディって呼んでほしいから大丈夫。ね?」
花のような笑みを浮かべて強要してくるエディに、リーゼは渋々頷いた。
上機嫌になったエディが、リーゼの顔を覗き込む。
「リーゼちゃん、今日は泣いていなくて良かった」
「……あの日のことは忘れてください」
「俺は忘れられないんだけどなぁ」
泣いていたことを蒸し返されたくない。ましてやここは校門前だ。他の生徒たちにも泣いていたことを知られるなんて恥ずかしい。
リーゼが逃げるように校門から離れると、エディがついて来る。
「エディはどうして学校に来たんですか? 新しい事業でも始めるんですか?」
「ううん。リーゼちゃんに会いに来たんだよ」
「……はい?」
「ほら、まだお礼してないでしょ?」
「気にしなくていいですよ。あの時、手当てをしていただきましたから十分です」
「あれはジーンがやったから、数の内に入らないよ」
この自信家な実業家は、本当に借りを作りたくない主義らしい。ここまで徹底されると、もはや呆れてしまう。
「そう言われましても……本当に大したことではありませんので気にしないでください」
「う~ん。それじゃあ、本当の話をしようかな」
そう言い、エディはリーゼの目の前に回り込む。二人の足がぴたりと止まり、足元から伸びる二つの影が一つに混ざり合った。
「お礼の件は口実なんだ。俺、リーゼちゃんと仲良くなりたいの」
「仲良く?」
「うん。リーゼちゃんは可愛くて明るくて、それに一緒に話していると楽しいからさ、もっと仲良くなりたいんだよ。それに、リーゼちゃんの瞳の色がすっごく好きで、ずっと見ていたい」
「瞳の色……ですか」
リーゼの表情が曇る。片手を持ち上げ、目元に触れた。
「私はこの色、好きじゃないです」
「綺麗な色なのに、どうして?」
「お父さんとお母さんの子どもじゃないって、思い知らされますから。……私、拾い子なんですよ。十七年前の暴動の最中に、いまの両親に拾われました。だから産みの親のことは全く覚えていません」
その事実を知ったのは、故郷にいた頃だった。町の子どもたちと一緒に遊んでいると、リーゼの瞳の色がなぜ両親と違うのかと問われたのだ。
(正直に言うと、あの子たちに聞かれるまでは瞳の色が違うことに疑問を抱かなかった)
両親も自分も、そして一緒に住んでいるノクターンも、みんな瞳の色が違っていたからだ。しかし友人の話によると、子どもは両親と同じ瞳の色を受け継ぐものらしい。
自分は両親の子どもではないのかもしれない。幼いリーゼにとって、それはどうしようもなく恐ろしく、悪夢のような話だった。
本当にそうなのだろうか。いや、もしかしたら、あの子が勘違いしているだけなのかもしれない。そんな微かな希望を抱いてハンナに聞いたところ、彼女は涙を零してリーゼを抱きしめた。そしてその夜、リーゼは両親から、自分が拾い子だという事実を聞かされたのだった。
(二人とも、ずっと泣きながら私に謝っていたな。いままで黙っていて悪かったって。二人はなにも悪くないのに、私が泣いたから罪悪感を抱いてしまったんだね)
ブライアンとハンナが本当の両親だと疑いもなく思っていたリーゼにとって、まさに青天の霹靂だった。そして両親と自分の間にある繋がりの糸のようなものがふつりと切れてしまったような気がして、寂しさと悲しみに苛まれたのだ。
(あの時は、お父さんとお母さんと一緒にいるのが気まずくて、ノクターンに引っついてばかりだった)
二人で霧が深い森へ行き、ただ黙って寝転がっていた日もあった。強い不安に襲われた時は、ノクターンに抱きしめられながら聞いてもらった。そして泣きたい時は、ノクターンの胸で思い切り泣いた。
ノクターンはリーゼをあやしながら、ブライアンとハンナがどんなにリーゼを大切に育ててきたのか、彼らがどれほどリーゼを深く愛しているのかを教えてくれた。そのおかげで、リーゼは再び両親と向き合うことができるようになったのだ。
「……ごめん。触れられたくないことに踏み込んでしまったね」
珍しく、エディがしおらしい表情になる。声に覇気がなく、彼らしくない。
リーゼが触れられたくない話題に触れてしまった事を、よほど反省しているらしい。
「いいんです。私がないものねだりをしているだけですので。それに、両親も私の瞳の色が好きだと、綺麗だと言ってくれています」
リーゼがそう取り繕うと、エディは更に眉尻を下げた。
「あ~あ。好きな子を悲しませるなんて、本当にカッコ悪い」
頭を抱えて落ち込むエディを見たリーゼは、エディは案外繊細で気配りができる人なんだな、と認識を改めた。
「あ、そうだ!」
うんうんと唸っていたエディは頭から手を離し、リーゼの前に差し出した。
「あのさ、リーゼちゃんを悲しませたお詫びに、うちの会社を見学しない?」
「見学? いいんですか?」
「もちろん。うちの経理の仕事を見てみたら、今後の参考になるんじゃないのかな?」
エディが言う通りだ。リーゼはまだ家計簿をつけているくらいで、実際の職場の様子を見た事がない。
「それでは、お言葉に甘えてお邪魔させてください」
手を握り返すリーゼに、エディは満面の笑みで「よろこんで」と答えた。
そんな二人のやり取りを、一匹の黒猫が、物陰からじっと見つめていたのだった。