意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
第四章
エディとジーンたちと一緒に出かけてから数日後のこと、仕事を終えたリーゼは中央広場をぶらついていた。
いまはエディと待ち合わせをしており、彼が取引先との商談を終えるのを待っている。
というのも、このところリーゼに元気がないと気づいたエディが、また恋愛相談に乗ってあげると言って時間をとってくれたのだ。
(この時間は特に子どもが多いな。みんな家に帰るからなのかも)
広場を横切る子どもたちの中に手を繋いでいる兄妹の姿を見かけると、かつてどこへ行くのもノクターンと手を繋いでいた日々を思い出してしまい、鼻の奥がつんと痛くなった。
(私たち、どうしたら元通りになれるんだろう?)
リーゼはあのお出かけの日以来、ノクターンをことごとく無視しており、その終着点を見失って困っている。
とはいえノクターンがエディに無礼な態度をとったことを許してはいない。
せっかくエディが厚意で予定を立ててくれたのに、ノクターンはまるでエディたちが不届き者であるかのようなことを言ったのだから。
リーゼは目の前を通り過ぎる仲の良い兄妹たちを見て溜息をつく。
「……はぁ。あの子たちが羨ましいな」
幼い頃ならどれだけノクターンと言い合いになってもすぐに仲直りできた。
どのように仲直りしていたのかは覚えていないが、昔の自分はいまよりずっと素直で、だからこそごく自然に仲直りできていたように思える。
(昔のように素直になれたらいいのだけれど……いまさらなれないよ)
仲が良い兄妹たちを見ているといたたまれなくなったリーゼは、細道に隠れてひっそりと待つことにした。
それからほどなくして、広場の方からエディの声が聞こえてきた。
顔を上げると、エディが広場で作業着を着た男性たちと三人で話をしている。
相手は作業着を着ているから、工場の工員たちのようだ。
「いまから大切な予定があるからまた後でな。終わったら工場に行くよ」
エディがそう言うと、男性たちがわざとらしくおどけてみせる。
「おいおい、就業時間後なのに社長が働いていていいのかい?」
「お前らだって残っているんだろ? まったく、技術者は寝食忘れてしまうから手がかかる。差し入れ楽しみにしとけよな!」
やはり男性たちはエディが所有している工場の工員らしい。それにしては、社長と従業員というよりも仲が良い飲み友達のような気さくさがある。
「ははっ! ありがたいや! 差し入れ待っているぞ!」
「俺より差し入れの方が歓迎されてる?!」
「悪いな。俺たちは美形より美味い飯の方が好きなもんでね」
エディも工員たちも笑顔で話している。
その様子を見ていると、リーゼもつられて笑顔になった。
「エディって本当に従業員たちに慕われているなぁ」
普段は奔放に振舞っているのに、実は従業員全員に気を配っていたり、調子が悪い従業員には声をかけてくれる。
ただ労働力として使うのではなく仲間として大切にしてくれるからこそ、従業員たちはエディを慕っているのだろう。
リーゼこそ初めてエディに会った時はなんて軟派な人なんだと呆れかえっていたが、社長としての彼を見てきたいまは尊敬している。
(だから、ノクターンにもエディの良さをわかってほしいんだけどな……)
ほろ苦い思いを抱えつつエディのもとへ行こうと足を動かしたその時、何者かの腕が目の前にすっと現れてリーゼの行く手を阻んだ。
濃紺色の軍服に袖を通した腕。その袖口から出た大きな手は慣れ親しんだもので――。
「ノクターン?」
まさかと思って振り返ると、不機嫌そうな顔をしたノクターンがリーゼの背後にいた。
人が来る気配がなかったのに、いつの間に現れたのだろうか。
ノクターンは茫然とするリーゼとの距離を更に詰める。
「行くな。このまま一緒に帰るぞ」
そう言い、自分を壁際に追いやり両腕の中に閉じ込めてくる男を、リーゼは反抗心を込めて睨んだ。
急に現れたと思ったら連れて帰ろうとするなんて強引過ぎる。
「嫌だと言ったら?」
「力づくで連れて帰る」
「力で人民を支配するのは軍人失格だって総帥が演説していたよ?」
「安心しろ。自称お姫様を丁重に運ぶだけだ」
「――っ!」
いつもはリーゼが冗談で「魔法使いがお姫様にしてくれたらいいのにな」と言うと、「王政は崩壊した」なんて夢のないことを言ってくるくせに。
今日は嫌がらせのようにお姫様扱いしてくるから動揺した。
しかしこのまま引き下がるわけには行かない。
リーゼは動揺をノクターンに悟られないよう、しかめっ面を保った。
「ノクターンには関係ないでしょう? どうして邪魔をするの?」
「このまま退いたら、あの男のもとに行くだろう?」
「そうだよ。悪い?」
するとノクターンは薄く形の良い唇から溜息を零した。
見る者が見れば退廃的で魅惑的な姿だろうが、彼の幼馴染のリーゼの目には嫌味として映る。
「……ああ、感心しない。どこの馬の骨ともわからない奴について行くな。最悪の場合、人買いに売られるぞ」
「エディはそんなことしないから」
「ふーん? エディという名前か」
(この前エディが自己紹介していたじゃない! 聞いていなかったの?!)
つくづくこの幼馴染がエディに無礼なことに苛立ちを覚える。
エディは従業員たちから慕われる社長だというのに、どうして彼に良さをわかってくれないのだろうか。
「そうよ。実業家で、少しだけ経理の実践をさせてくれているの。ほら、学校を卒業したら軍の経理部に入るのが私の夢でしょう?」
「ほお? 頻繁に会っているようだな」
ノクターンはリーゼがエディの経営するネザーフィールド社で働かせてもらっていることを知っているはずなのに、なぜか初耳だと言わんばかりに白を切っている。
低音の美声はリーゼの必死の説得に淡々と相槌を打つ。
そこにほんのわずかな苛立ちが込められていることに、リーゼは気づかなかった。
(今日だって、ノクターンのことを相談するためにエディに時間をとってもらったのにっ……!)
他の何者でもなく、この目の前にいる幼馴染のことで悩まされて困っているリーゼをエディは助けようとしてくれているのだ。
それなのにこの幼馴染がいっこうにエディを不届き者扱いするものだから腹を立てており、気づけなかった。
「話はわかった。もう帰るぞ」
「ちっともわかってない! ――ひゃっ!」
ノクターンがあっという間にリーゼを抱き上げた。リーゼの栗色の髪がさらりと揺れる。
軍人らしいたくましい体躯に抱き上げられると、しっかりと筋肉がついているのを感じられる。
いまにも地団太を踏みそうな剣幕で怒っていたリーゼだが、好きな人に横抱きされては怒りが霧散してしまった。
水色の瞳をそろりと動かすと、ノクターンの緑色の瞳にしっかりと囚われてしまう。
「ま、街中でなんてことを!」
「耳元で騒ぐな。余計目立つぞ」
この意地悪な軍人は、リーゼを横抱きにしたまま大通りを歩く。すると知っている顔が数名、足を止めて指差しているのが見えた。
きっと明日にでも学校で噂されるだろう。そうなればしばらくは揶揄われるに違いない。
「~~っ!」
苦悶に押し黙ったリーゼを嘲笑うように、ノクターンの胸元についている仰々しい勲章たちがカチャカチャと音を立てながら揺れる。
「いじわる」
「ああ、リーゼのための特別対応だ」
「最低……!」
唇を噛むリーゼとは裏腹に、ノクターンは唇の片側を上げて満足げな笑みを浮かべたのだった。
すると、視界の端にエディの姿が見えた。
「ええっ?! リーゼちゃん大丈夫?」
さすがのエディも、リーゼがノクターンに強制連行されている様子に驚いている。
リーゼがじたばたと藻掻いても、ノクターンは危なげなくがっちりとリーゼの体を支えている。この腕から逃れられそうにない。
そんな彼女の奮闘と敗北を目の当たりにしたエディは苦笑した。
どうやらいまこの状況で彼女と二人きりになるのは難しいだろうと悟ったのだろう。
「リーゼちゃん、俺なら大丈夫だから気にしないで? 明日仕切り直そ?」
「はい……。すみません……」
しおらしく答えるリーゼの耳元にノクターンが口を寄せ、「明日も会わせないからな」と囁いた。
いまはエディと待ち合わせをしており、彼が取引先との商談を終えるのを待っている。
というのも、このところリーゼに元気がないと気づいたエディが、また恋愛相談に乗ってあげると言って時間をとってくれたのだ。
(この時間は特に子どもが多いな。みんな家に帰るからなのかも)
広場を横切る子どもたちの中に手を繋いでいる兄妹の姿を見かけると、かつてどこへ行くのもノクターンと手を繋いでいた日々を思い出してしまい、鼻の奥がつんと痛くなった。
(私たち、どうしたら元通りになれるんだろう?)
リーゼはあのお出かけの日以来、ノクターンをことごとく無視しており、その終着点を見失って困っている。
とはいえノクターンがエディに無礼な態度をとったことを許してはいない。
せっかくエディが厚意で予定を立ててくれたのに、ノクターンはまるでエディたちが不届き者であるかのようなことを言ったのだから。
リーゼは目の前を通り過ぎる仲の良い兄妹たちを見て溜息をつく。
「……はぁ。あの子たちが羨ましいな」
幼い頃ならどれだけノクターンと言い合いになってもすぐに仲直りできた。
どのように仲直りしていたのかは覚えていないが、昔の自分はいまよりずっと素直で、だからこそごく自然に仲直りできていたように思える。
(昔のように素直になれたらいいのだけれど……いまさらなれないよ)
仲が良い兄妹たちを見ているといたたまれなくなったリーゼは、細道に隠れてひっそりと待つことにした。
それからほどなくして、広場の方からエディの声が聞こえてきた。
顔を上げると、エディが広場で作業着を着た男性たちと三人で話をしている。
相手は作業着を着ているから、工場の工員たちのようだ。
「いまから大切な予定があるからまた後でな。終わったら工場に行くよ」
エディがそう言うと、男性たちがわざとらしくおどけてみせる。
「おいおい、就業時間後なのに社長が働いていていいのかい?」
「お前らだって残っているんだろ? まったく、技術者は寝食忘れてしまうから手がかかる。差し入れ楽しみにしとけよな!」
やはり男性たちはエディが所有している工場の工員らしい。それにしては、社長と従業員というよりも仲が良い飲み友達のような気さくさがある。
「ははっ! ありがたいや! 差し入れ待っているぞ!」
「俺より差し入れの方が歓迎されてる?!」
「悪いな。俺たちは美形より美味い飯の方が好きなもんでね」
エディも工員たちも笑顔で話している。
その様子を見ていると、リーゼもつられて笑顔になった。
「エディって本当に従業員たちに慕われているなぁ」
普段は奔放に振舞っているのに、実は従業員全員に気を配っていたり、調子が悪い従業員には声をかけてくれる。
ただ労働力として使うのではなく仲間として大切にしてくれるからこそ、従業員たちはエディを慕っているのだろう。
リーゼこそ初めてエディに会った時はなんて軟派な人なんだと呆れかえっていたが、社長としての彼を見てきたいまは尊敬している。
(だから、ノクターンにもエディの良さをわかってほしいんだけどな……)
ほろ苦い思いを抱えつつエディのもとへ行こうと足を動かしたその時、何者かの腕が目の前にすっと現れてリーゼの行く手を阻んだ。
濃紺色の軍服に袖を通した腕。その袖口から出た大きな手は慣れ親しんだもので――。
「ノクターン?」
まさかと思って振り返ると、不機嫌そうな顔をしたノクターンがリーゼの背後にいた。
人が来る気配がなかったのに、いつの間に現れたのだろうか。
ノクターンは茫然とするリーゼとの距離を更に詰める。
「行くな。このまま一緒に帰るぞ」
そう言い、自分を壁際に追いやり両腕の中に閉じ込めてくる男を、リーゼは反抗心を込めて睨んだ。
急に現れたと思ったら連れて帰ろうとするなんて強引過ぎる。
「嫌だと言ったら?」
「力づくで連れて帰る」
「力で人民を支配するのは軍人失格だって総帥が演説していたよ?」
「安心しろ。自称お姫様を丁重に運ぶだけだ」
「――っ!」
いつもはリーゼが冗談で「魔法使いがお姫様にしてくれたらいいのにな」と言うと、「王政は崩壊した」なんて夢のないことを言ってくるくせに。
今日は嫌がらせのようにお姫様扱いしてくるから動揺した。
しかしこのまま引き下がるわけには行かない。
リーゼは動揺をノクターンに悟られないよう、しかめっ面を保った。
「ノクターンには関係ないでしょう? どうして邪魔をするの?」
「このまま退いたら、あの男のもとに行くだろう?」
「そうだよ。悪い?」
するとノクターンは薄く形の良い唇から溜息を零した。
見る者が見れば退廃的で魅惑的な姿だろうが、彼の幼馴染のリーゼの目には嫌味として映る。
「……ああ、感心しない。どこの馬の骨ともわからない奴について行くな。最悪の場合、人買いに売られるぞ」
「エディはそんなことしないから」
「ふーん? エディという名前か」
(この前エディが自己紹介していたじゃない! 聞いていなかったの?!)
つくづくこの幼馴染がエディに無礼なことに苛立ちを覚える。
エディは従業員たちから慕われる社長だというのに、どうして彼に良さをわかってくれないのだろうか。
「そうよ。実業家で、少しだけ経理の実践をさせてくれているの。ほら、学校を卒業したら軍の経理部に入るのが私の夢でしょう?」
「ほお? 頻繁に会っているようだな」
ノクターンはリーゼがエディの経営するネザーフィールド社で働かせてもらっていることを知っているはずなのに、なぜか初耳だと言わんばかりに白を切っている。
低音の美声はリーゼの必死の説得に淡々と相槌を打つ。
そこにほんのわずかな苛立ちが込められていることに、リーゼは気づかなかった。
(今日だって、ノクターンのことを相談するためにエディに時間をとってもらったのにっ……!)
他の何者でもなく、この目の前にいる幼馴染のことで悩まされて困っているリーゼをエディは助けようとしてくれているのだ。
それなのにこの幼馴染がいっこうにエディを不届き者扱いするものだから腹を立てており、気づけなかった。
「話はわかった。もう帰るぞ」
「ちっともわかってない! ――ひゃっ!」
ノクターンがあっという間にリーゼを抱き上げた。リーゼの栗色の髪がさらりと揺れる。
軍人らしいたくましい体躯に抱き上げられると、しっかりと筋肉がついているのを感じられる。
いまにも地団太を踏みそうな剣幕で怒っていたリーゼだが、好きな人に横抱きされては怒りが霧散してしまった。
水色の瞳をそろりと動かすと、ノクターンの緑色の瞳にしっかりと囚われてしまう。
「ま、街中でなんてことを!」
「耳元で騒ぐな。余計目立つぞ」
この意地悪な軍人は、リーゼを横抱きにしたまま大通りを歩く。すると知っている顔が数名、足を止めて指差しているのが見えた。
きっと明日にでも学校で噂されるだろう。そうなればしばらくは揶揄われるに違いない。
「~~っ!」
苦悶に押し黙ったリーゼを嘲笑うように、ノクターンの胸元についている仰々しい勲章たちがカチャカチャと音を立てながら揺れる。
「いじわる」
「ああ、リーゼのための特別対応だ」
「最低……!」
唇を噛むリーゼとは裏腹に、ノクターンは唇の片側を上げて満足げな笑みを浮かべたのだった。
すると、視界の端にエディの姿が見えた。
「ええっ?! リーゼちゃん大丈夫?」
さすがのエディも、リーゼがノクターンに強制連行されている様子に驚いている。
リーゼがじたばたと藻掻いても、ノクターンは危なげなくがっちりとリーゼの体を支えている。この腕から逃れられそうにない。
そんな彼女の奮闘と敗北を目の当たりにしたエディは苦笑した。
どうやらいまこの状況で彼女と二人きりになるのは難しいだろうと悟ったのだろう。
「リーゼちゃん、俺なら大丈夫だから気にしないで? 明日仕切り直そ?」
「はい……。すみません……」
しおらしく答えるリーゼの耳元にノクターンが口を寄せ、「明日も会わせないからな」と囁いた。