意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
 自宅に強制連行されたリーゼは、ノクターンと向かい合って食卓の席についていた。
 
 ノクターンは食卓に肘をついて両手を組んでおり、いまにも尋問を始めそうな体勢だ。
 対してリーゼは椅子に斜めに腰掛けたままフイと顔を背け、背もたれを腕置き場にしてだらしない体勢だ。

 もしノクターンの同僚がこの現場を目撃していたら、慌ててリーゼを窘めてこのお行儀の悪い座り方を改めさせるだろう。
 本当の尋問となれば、ノクターンは容赦がないのだから。

「……」
「……」
 
 どちらも黙ったまま膠着状態になっていたが、耐えかねたのかノクターンが口火を切った。

「なぜあの男の誘いに乗る?」
「信頼できる社長だから」
「あんなポッと出のどこが信頼できるんだ?」
「信頼できるかどうかに時間なんて関係ないでしょ?」
「いや、あるさ。最低でも五年くらいかけて相手を見極めろ」
「そんなことしていたら友だちの一人もできないよ!」

 兎にも角にもノクターンはエディを信用できないらしい。
 人は見た目から第一印象が決まってしまうものだ。だからノクターンはきっとエディのあの華やかな容姿を見て警戒しているのだろう。
 
 それならばもう一度エディの良さを説明するしかないと、リーゼは社長の名誉挽回を決心する。
 
「エディはすごい社長だよ。事務所の中にいる人のことも工場で働いている人のことも気にかけて、みんなが働きやすいように会社を整えているから人望が厚いんだよ?」
「しかしどうしようもない女誑しだろ?」
「それでも、社員たちにとってはいい社長なの!」
「あの男が女誑しだということは否定しないんだな」
「~~っ!」
 
 さすがにその点は否定できなかった。
 エディの名誉を挽回したい気持ちと、嘘をついてはいけないという真面目な性格の狭間でやきもきする。

「エディとはなにもないよ。ただ、エディは私を正社員として雇いたいから特別良くしてくれているような気がする」
「絶対にそれだけではないだろ」
「どうしてエディを知りもしないノクターンがそう決めつけるの? もしかして、私がノクターンの誘いを断ってエディたちと出かけたから嫉妬しているの?」

 頑としてエディを否定するノクターンにムキになり、リーゼはやけくそに言い放った。
 どうせノクターンが鼻で笑って一蹴すると思いながら。

 しかし予想に反してノクターンの言葉の応酬がピタリと止んでしまい、リーゼは「おや?」と首を傾げる。
 
「嫉妬ではない。勘だ。色恋沙汰が多そうな奴とリーゼを二人きりにさせるわけにはいかない。決して嫉妬ではない」

 と、ノクターンは二度も同じことを言った。

 いつもはリーゼの挑発に乗らないノクターンだが、なぜか今回に限っては律儀にも否定したから驚いた。
 理由はわからないが、嫉妬していると思われたくないようだ。

 図らずもノクターンの弱みを見つけたリーゼは、反撃の機会が巡って来たとばかりにほくそ笑む。
 
「ふ~ん? そうなんだ? 嫉妬深いと嫌われるもんね?」
「――っ!」

 ノクターンはなにか言いかけたが、口を噤んで投げやりに漆黒の前髪をくしゃりと掴んだ。
 どうやらリーゼの一言に打撃を受けたらしい。

(あのノクターンが嫉妬を気にしているの? なにかあったのかな?)

 理由はわからないが、おかげでいまのリーゼは優位に立てた。
 もう一言お見舞いしてやろうとリーゼが意気込んでいると、ノクターンは席を立って制服についた皺を伸ばして身なりを整え始めた。
 
「仕事に戻る。今日はもう出かけるなよ?」
「え?」

 ポカンと口を開けるリーゼを他所に、ノクターンは食卓に置いてあったリーゼお手製のパウンドケーキをひと欠片ほど頂戴して腹ごしらえする。
 
「戻るって……まだ仕事の途中なの?!」
「ああ。街で調べ物をしていた」
「それなら、抜け出したらダメじゃない!」
「これくらいなら問題ない」
「いや、大有りでしょ」

 本人はまったく気にしていないようだが、それでも彼は軍人だ。軍人の仕事は国民の安全な生活を守ることであるのに、抜け出してどうする。

「どうして仕事を抜け出したの?」
「リーゼが誑かされているのに助けないわけには行かないだろう?」
「誑かされてないってば」

 あまりの勘違いっぷりに天を仰ぎたくなる。
 これまでもノクターンがリーゼの近くにいる男性を警戒したことが多々あったが、今回ほどではなかった。

(年々、ノクターンの過保護に拍車がかかっている気がする)
 
 これでは、いつになったら妹分から脱出できるのだろうか。
 先行きを案じたリーゼが溜息をつくと、ノクターンもお返しと言わんばかりに溜息をついてきた。
 
「唆されていないだと? 逢引しようとしていたくせに」
「だから! 逢引じゃないから!」

 勝手に勘違いして仕事を抜け出すなんてありえない。
 ここまで過保護だともはや病気ではないかと思う。
 
「私のためと言って仕事を抜け出すなんてどういうつもり? 仕事よりも私が大切なの?」
「ああ」
 
 ただの嫌味で言ったつもりだった。
 それなのにノクターンは一拍も置かずに短い言葉で肯定したのだ。

 リーゼの問いに対する答えを、少しの迷いも躊躇いもなく。
 
「……え?」

 茫然とするリーゼを、翠玉のような瞳が真っ直ぐに見据えた。
 
「リーゼがこの世で一番大切に決まっているだろう?」
 
 たったそれだけ言い残し、固まっているリーゼを放置して台所を横切ると、そのまま家を出てしまった。

「~~っ、なんなのよ!」
 
 残されたリーゼは赤くなる頬を両手で押さえ、力なく食卓の上に突っ伏す。

「ああってなによ。ああって」

 ノクターンがさも当たり前のように言ってのけた、あの言葉の真意を探ってしまう。
 
 この世で一番大切とは、どういうことなのだろうか。
 
 妹分として?
 それとも恋人のような存在として?

(でも……、もし恋人のように思ってくれているのなら、告白した時にすぐに答えてくれるわよね?)

 思考が堂々巡りになり、頭の中で何度も再生されるノクターンの言葉のせいで頬の熱がひかない。

「国民のために仕事しなよ……税金泥棒め」

 くすぐったさと照れくささとほろ苦い思いに足をばたつかせつつ、ぽつりと呟いた。

「早く返事をしてよ。ノクターンのバカ」

 リーゼは腕を引き寄せて、ブレスレットについている緑色の宝石にそっとキスした。
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