意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
 ノクターンが遠征に出てから一週間経った。
 リーゼは毎日ノクターンの部屋を眺めては、彼の帰りを待っている。

(あれからまだ一週間しか経っていないんだ……)

 時間の流れがひどく遅く感じられ、もう一カ月近くも待っているように思える。

(早く帰ってくるって言ったくせに。まだ帰られないの?)
 
 日を追うごとに寂しさが募り、リーゼの心を埋め尽くしていく。

 そんなある日、仕事を終えたリーゼが露店で野菜を買っていると、通りを歩くエディを見つけた。
 
「エディ、お疲れ様です。今日もこれから商談ですか?」
「いや、工場を見に行くんだ。最近は新規事業の商談ばかりでなかなか立ち寄る時間がなかったからね」

 いまは工場で残業している工員たちのために差し入れを買っているところらしい。
 
 どんなに忙しくても従業員たちを気にかけているエディの優しさに、リーゼはほっこりとした気持ちになった。
 
「リーゼちゃん、ちょっとそこのベンチに座って話さない?」
「いいですけど……工場に行くんですよね?」
「もちろん後で行くよ? だけどね、リーゼちゃんがまた落ち込んでいるのに放っておけないよ」
「わ、私、そんな顔をしていますか?」

 上手く隠せているつもりだったのに、と自分の迂闊さを呪った。
 自分の頬に触れてみるが、それだけではどのような表情になっているのかわからない。
 
「うん。寂しそうにしている。またあのお兄さんのことで悩んでいるんでしょ?」

 エディに図星を突かれてしまい、気まずさのあまり力なく笑った。
 
「あはは。あたりです。最近会えていないから寂しくてしかたがないんです」
「あ~あ、リーゼちゃんに想われてお兄さんは幸せ者だな~」

 と、エディが心底羨ましそうに言うのだが、リーゼはよもやそれが本心とは知らずに気遣いの言葉として受け止める。

(エディってやっぱり、いい社長だな)

 もしも国軍の経理を目指していなかったら、きっとここで働きたいと思ったに違いないとさえ思う。
 
「私は素敵な社長に雇用してもらえて幸せ者ですよ」

 感謝の気持ちを込めてそう言うと、エディはポカンと口を開けたまま固まった。

(えっ?! なにか変なことを言ったかな?)

 リーゼが慌てていると、エディは両手で顔を覆ってしまう。
 
「リーゼちゃんの人誑し! そんなこと言われたらもっと惚れちゃうんだけど!」
「そんなつもりで言ってません!」

 人誑しとは心外だと不平を言いたくなったが、エディの耳がほんのり赤くなっていることに気づいて言葉を飲み込んだ。
 どうやらエディは照れているらしい。

「ところで、次は電気を使った事業を始めようとしているって本当ですか?」
「本当だよ。だから電気を研究している研究者や発明家に投資する予定なんだ」
 
 エディは顔を覆っていた手を除け、瞳をキラキラと輝かせてこれからの計画を教えてくれる。
 いずれ研究者や発明家を雇い、ネザーフィールド社専用の研究所を作るつもりらしい。
 
 楽しそうに話すエディを見ていると興味が湧いてくる。
 
「エディ、私も一緒に工場へ行ってもいいですか?」
「いいけど……いまは終業後だから、機械とおじさんしかいないし面白くないかもよ?」
「それでもいいんです。いつも工場から送られてくる文字と数字しか見ていないので、実際の工場がどんなところなのか気になっているんです」

 リーゼはまだネザーフィールド社の工場を見たことがない。
 他の社員たちの話を聞いてぼんやりと想像するくらいだ。

「じゃあ、案内するからついて来て」

 エディは立ち上がると、リーゼをエスコートしてくれた。

 二人は目抜き通りから外れ、工場が立ち並ぶ地域へと向かう。
 どの工場も終業後で閉まっており、閑散とした道を歩く。

 賑わいがなく、無機質な建物が立ち並ぶ様はいささか不気味で。
 リーゼはエディと話しながら、一人では夜にこの道を歩くのはかなりの勇気がいるだろうな、なんて考えていた。
 
 すると、二人の前に工員らしき男性たち三人組が現れて立ちはだかった。
 
「お前がエディ・ランチェスターだな?」

 男性のうちの一人が、エディの頭の上から足先までを眺めて確認するように聞いてきた。
 どうやらこの男性たちはネザーフィールド社の工場の工員ではないようで、エディの表情が強張っている。
 
「そうだけど、なんの用?」

 いつもよりやや硬いエディの声に、リーゼは自然といまの状況が良くないものだと悟る。
 
「とある高貴なお方から、お前を連れて来いと言われているんだ。秘密が多い仕事なもんでね、悪いがこれ以上は教えられないから眠ってもらうぜ」
「おいおい、商売敵からの刺客か? うちの会社は嫉妬されるくらいデカくなったようだな」

 エディは男性たちを睨みつけつつ、リーゼを庇うように自分の後ろに隠す。
 しかし背後で足音がして、振り返ると背後からも工員らしい服装の男性たちが現れ、リーゼとエディを見てニヤついた笑みを浮かべている。
 どこからどう見ても敵の仲間のようだ。
 
「くそっ。囲まれたか」

 リーゼを守るため彼女に手を伸ばしたその時、一人の男性が手に持っていた鉄の棒でエディの頭を殴りつけた。

「――くっ」
「エディ!」

 よろめくエディを支えようとしたリーゼだが、近くにいる男性に取り押さえられてしまう。
 叫び声を上げて抵抗しようとしたが、手で口を塞がれてしまった。
 
「その子を放せ! お前らの目当ては俺だろ!」

 エディが覚束ない足取りでリーゼを助けようと近づくが、別の男性に足元を掬われてその場に転がった。
 
(血が……エディの頭から血が出ている……!)

 横たわっているエディの頬を血が濡らす。
 リーゼの心臓を冷たい手が撫でて恐怖心を煽る。
 
「そこのガキも連れていけ。獲物じゃないが、目撃者を生かしておいたら厄介だ」

 ――このままでは殺される。
 リーゼは必死に逃げようと藻掻くが、軍人でもない彼女の腕力が男性たちの力に叶うことはなく、振りほどけない。

(助けて……! 誰か、気づいて!)
 
 必死で声を出しても救世主が来る気配はない。
 
 リーゼは布で目を覆われ、視界が真っ暗になった。
 それだけでも恐ろしいのに、口も布で覆われて声が出せない。
 おまけに手足を縛られて体の自由を奪われた。

「このままだと目立つから袋の中に入れておけ」
 
 そして成す術もなく、男性たちに運ばれてしまったのだった。

 男性たちがいなくなった道に、一匹の黒猫が現れた。
 翠玉のような瞳は怒りに燃え上がっており、暗闇でギラギラと光っている。

 黒猫は唸り声を上げると、男たちの後を追った。
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