意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
 その夜、ノクターンは部下とミラー医務官を引き連れ、地方都市ヴロムにある旧貴族家の屋敷の中にいた。
 
 この屋敷の持ち主であった家門も王政崩壊後に没落し、この屋敷を捨てたらしい。
 金目の物を求めてゴロツキが出入りしていた時期があったため地元の人間が近寄らず、人買いや<錬金術師>たちにとって格好の隠れ家となっているようだ。

(奴らが去る前に突入できたのはいいが……この違和感はなんだ?)

 どうも引っかかるものがあり、屋敷に到着してからいまに至るまでの出来事を振り返る。
 
 ノクターンは屋敷に到着するなり先陣を切ってドアを蹴破り、中にいる人買いたちを叩きのめした。
 騒ぎを聞きつけた<錬金術師>らが地下室から出てきて逃げようとしたところを、ノクターンの部下たちが捕まえる。

 到着してから数分も経たないうちにここを制圧したのだ。

(錬金術を完成させることが<錬金術師>らにとって悲願のはずなのに、この屋敷の警備は手薄だった)

 もし自分が<錬金術師>なら厳重に守りを固めて侵入者に対抗するか、侵入者が現れたらすぐに逃げられるような逃げ道を用意するなど対策をとるはずだ。
 こんなにも易々と侵入と仲間の拘束を許すような計画と配備なんてしない。

(これまでに巧妙な手口で事件を起こしてきた奴らなのに、今回だけ妙にお粗末なものだな)
 
 ――主犯格の狙いは他にあるのではないか。
 そんな予感が脳裏を過る。
 
 思案に耽るノクターンのもとに、ウォルター少尉がやって来た。
 
「スタイナー大佐、犯人は全員拘束しました」
「良くやった。暴れる奴がいたら足の骨を折っておけ。そうすれば逃げられまい」
「は……はっ!」
「それと、他に仲間がいないか聞いておけ。吐かないようなら吐くまで指を一本ずつ切り落とせばいい」
「ひいっ――か、かしこまりました!」

 冷血の形容詞を冠する上官らしい容赦ない命令に、ウォルター少尉の肩がびくりと跳ねた。
 
「総員、警戒を怠るな。取り調べ担当と警備担当は各自持ち場に就け。残りは俺とミラー医務官とともに地下に行くぞ」
「はっ!」

 屋敷の奥に足を踏み入れ地下階段を降りていると、助けを求める声が聞こえてきた。
 
 薄暗く、一歩進むたびに纏わりつくような湿気とかび臭さが強まる。
 囚われている人間の叫び声も大きくなり、ノクターンたちの足音が声でかき消される。

「……これもまた、酷い有様だな」

 地下室の左側の壁際は錬金術に使う道具や触媒が所狭しと並べられたテーブルが囲み、反対側は猛獣を入れるような鉄格子の檻があり、中に人間が入れられている。

 部屋の中央部分の床には錬金術に使うらしき文様が描かれているのだが、よく見ると血で床が黒ずんでいる。

(間一髪だったようだな。犠牲者が出る前に到着して良かった)

 ジーンから受け取った「亡霊のすすり泣きの噂を聞いた日」の日付入り地図もとに<錬金術師>らがまだ潜伏していそうな町を特定して見て回ってきた。
 先に見てきた町では助けられず、苦い思いで犠牲者たちを弔ってきたのだ。
 
 ノクターンは被害者たちが安堵でむせび泣く声を背に、<錬金術師>の主犯格を特定する手がかりを求めてテーブルの上を物色した。
 すると、部下の一人が書類を持ってきた。
 
「スタイナー大佐、床に名簿が落ちていました。恐らく<錬金術師>らが逃げる際に取り落としたものかと思います」
「名簿……?」

 受け取って目を通すと、それは確かに名簿のようだ。
 人の名前が紙を埋め尽くすように羅列されており、住んでいる町や身体的特徴も記されている。
 
 ノクターンは紙の上に指先を滑らせ、一人一人の名前を記憶と照合させる。

「なるほど。奴隷商の取り締まりを強化したから今度は誘拐することにしたのか」
「それなら貧困層から労働階級の人間が狙われる可能性が高いですね。上流階級の人間が失踪すると探偵が動くので犯人らにとって厄介なはずです」
「ひとまずここに名前を書かれている人物を調べて保護する必要があるだろう」

 ノクターンの指がとある人物の名前に行きあたって止まった。
 
「――どうやら階級は関係ないようだ。ここに書かれているエディ・ランチェスターは上流階級の人間だ」
「ああ、情報提供してくれたネザーフィールド社の社長ですね」
「彼らが各地で雇っている工員に聞き込みをしたから怪しまれたのかもしれないな」

 ここに名前を書かれている人々は、この事件を探っているから狙われているのだろうか。
 しかし他の名前を辿ってみるものの、顔見知りの新聞記者の名前も探偵の名前も書かれていないからその可能性は低いように思われる。

「犯人たちはなにを基準にして誘拐する人物を選んでいるんだ?」
「あくまで私の推測ですが、戸籍を遡って魔法使いとして名を馳せていた一族の末裔を集めているかもしれません。王政時代では、魔法は血より受け継ぐと考えた<錬金術師>が魔法使いたちを大量虐殺した事件がありましたから……」
「なるほど。<錬金術師>側に軍上層部の人間がいれば国民の戸籍を調べることくらい簡単なことだな」
 
 ノクターンは過去の記憶を探り、かつて聞いたことのある家門を思い出す。
 彼がうんと幼い頃に聞いたことがある、奇跡の使い手たちの名を探すと確かに見つかった。

 しかしこの名簿に書かれている全ての人間がかつての魔法使いの末裔ではないらしい。
 国民議会議長の名や『日刊監視者の目』で見かけたことがある著名な思想家の名前をちらほらと見かけるのだ。
 
「それに<錬金術師>らは、私怨を利用して憎い相手を消す代わりにその体を錬金術に使っているかもしれない」

 軍上層部の人間が関与している可能性。
 名簿に書かれている「獲物」は上流階級の人間が主に読んでいる新聞『日刊監視者の目』で見かけた名前が多いという事実。
 そしてここに書かれているどの思想家も「反革新派」で、ルウェリン中将を批判していたという記憶がある。

(ルウェリン中将は元貴族家……それも、魔法使いの家系だ)

 彼は嫡子で長子だったが、微力ながら魔法が使える弟に当主の座を奪われた経緯があり――魔法使いを毛嫌いしているという噂を聞いたことがある。
 その弟は王政崩壊の暴動に巻き込まれて亡くなり、ルウェリン中将は当主の座を手に入れた。

 ノクターンの頭の中で全てのピースがカチリとはまり、わずかに口角を上げたその時。
 
「スタイナー大佐、<白の兵隊の駒(ポーン)>を名乗る男が来ました」

 屋敷の外で待機していた部下が商人らしい装いの男性を連れて来た。
 ノクターンは組んでいた腕を解き、腰に下げている軍刀(サーベル)の柄に手をかけながら男性に問いかけた。
 
「白の王の駒(キング)の名は?」
「エルネス様です」
「……用件を言え」
 
 男性はノクターンが軍刀の柄から手を離したのを見て胸をなでおろした。

「ジーン・オブライトからの言づけを伝えに来ました。リーゼ・ヘインズとエディ・ランチェスターが誘拐されました」
「なんだと?」

 リーゼの名を聞いた途端、ノクターンの顔から表情が抜け落ちた。
 
(なぜだ。なぜリーゼが行方不明になっている?!)

 遠征に行く前、もしものことが起こらないようにと再三にわたり安全を確認していたのにもかかわらず、この世で一番大切な者がいなくなったのだ。

 頭を殴られたような衝撃を受けたノクターンの胸の中に、じわじわと怒りと焦燥がこみ上げてくる。

「エディ・ランチェスターと会う約束をしていた従業員たちが、なかなか現れないから不審に思ってネザーフィールド社で残業していたジーン・オブライトのもとを訪ねたそうです。それにヘインズ夫妻もまた、娘が帰ってきていないと言って訪ねて来たので、二人が何者かに誘拐された可能性があると考えているとのことです」
「我々の不在の間に<錬金術師>が首都で動いたのか……だとすると、主犯格はいま王都にいる可能性が高い」

 自分たちの計画を邪魔するネザーフィールド社の社長を消したいと思って誘拐したのなら、確実に消したことを確認しようとするだろう。

(しかし、なぜリーゼも誘拐されたんだ?)

 最悪の事態が頭の中を過り、ノクターンを駆り立てる。
 
「白の僧正の駒(ビショップ)にすぐに伝えろ。緑色の瞳の黒猫が訪ねて来たら信頼できる部下を連れてついて行け、と。我々は明日の夜までに首都に帰還する」
「かしこまりました」

 白の兵隊の駒(ポーン)を名乗る男性が屋敷を出ると、ノクターンは部下たちに今後の計画を話した。
 
「計画を変更して首都に戻る。先発隊は俺と一緒にこれから夜行列車に乗り込み、<錬金術師>らを首都まで連行。後発隊は被害者らをこの町の病院に入院させた後、証拠品を押収したら帰還せよ」
「はっ!」

 ノクターンは唇を噛み締めて屋敷の外に出る。手に持っている名簿を忌々し気に睨みつけた。

(明日は新月の夜だというのに誘拐とは……嫌な予感がする)

 ――新月の夜は、なにがあってもリーゼのそばにいなければならないのに。

 見上げた夜空に浮かぶのは、いまにも消えてしまいそうなほど細くなった三日月だ。

「早く……早くリーゼに会わなければ……」

 珍しく気弱な様子を見せるノクターンに、ウォルター少尉と他の部下たちは顔を見合わせる。

「犯人、捕まえたらどんな拷問します? スタイナー大佐の大切なリーゼちゃんを誘拐するなんて本当に許せないんだけど?!」
「古代でやっていたあれ……馬に足を括りつけて街中引きずられるやつとか」
「それだと生温いっすよ。両脚と腕を切り落としましょう。そうすれば尋問は継続できるので」
「……お前、最近スタイナー大佐に似てきたな」
 
 なんやかんやで、ノクターンは部下たちから慕われているのだった。
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