意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
 リーゼは袋の中に入れられた後、小脇に抱えられ、乱雑に運ばれていた。
 
 一度だけ街の喧騒が遠くから聞こえてきたが、その後はただひたすら静かで、誘拐犯たちの足音と話し声しか聞こえてこない。

「ルウェリン中将はどうしてエディ・ランチェスターを誘拐しろと言ったんだ?」
「あれだよ。秘書を使って俺たちの貧民狩りを調べていたからさ。そのせいで貧民を<錬金術師>に売りつけられなくなっただろ?」
「そういうことか。あれ、簡単に稼げるいい商売だったのによぉ」
「まあまあ、誘拐するのはひと手間かかるが、今度は金持ちから依頼された奴を誘拐するから一人にかかる報酬が多くて儲かるぞ」
「そうだけどよ。また軍の奴らが嗅ぎつけないか心配だな」
「心配するな。その時はルウェリン中将が上手くもみ消してくれるはずさ。なんたって次期総帥候補なんだからな」

 リーゼは聞こえてくる話の内容に愕然とした。

(ルウェリン中将がこの誘拐犯を雇った……?)

 国民を守る存在である軍人、それも高官が人買いや<錬金術師>と手を組んで犯罪に手を染めていたなんてとんでもない大事件だ。
 早くノクターンにこのことを伝えてルウェリン中将を拘束してもらわなければ、犠牲者が増えてしまう。

(だけど……どうやって?)

 自由の利かない体では逃げることもままならないのに、遠征中のノクターンのもとへ向かうなんてまず不可能だ。

 やがて目的地に着いたのか、袋が開けられて外に投げ出される。
 投げ出された拍子に体を床に打ち付けてしまった。

(ここはどこ? 倉庫のようだけど……)

 痛みに耐えながら周囲の様子を探っていると、エディと共に柱に縛りつけられる。
 いまのリーゼとエディは自分たちの力では逃げ出せないと判断したようで、誘拐犯たちは倉庫から出ていった。

「うっ……」

 微かに身を捩る音と呻き声が聞こえ、リーゼは首を回してエディの方へと顔を向ける。
 
「エディ! 怪我の具合はどうですか?!」
「リーゼちゃんこそ大丈夫? 酷いことされてない?」
「私は大丈夫です。少し打ち身になったくらいで、大した怪我はありません」
「あいつらリーゼちゃんに怪我を負わせるなんて許さねぇ……。俺、ずっと気絶していたようだね。不安にさせてごめんね」

 自分の方が明らかに大怪我をしているのに、真っ先にリーゼの心配をしてくれる。
 そんなエディの気遣いのおかげで、カチコチに強張っていたリーゼの心が少し解れた。

「エディ、聞いてください。あの誘拐犯たちはルウェリン中将に雇われていたそうなんです」

 これまでに聞いたことを話し終えると、エディは天井を仰いで「まじかよ……」と唸った。
 
「軍の高官があの事件を起こしていたなんて……国軍はもう終わりだな」
「どうしましょう……事実を知ってしまったので生きて帰れないかもしれません」
「大丈夫、俺の優秀な秘書が必ず助け出してくれるはずだ。それに、俺たちには<冷血のスタイナー大佐>もついているからね」
 
 リーゼとエディは互いを励まし合い、長い昼をやり過ごした。
 やがてまた夜になり、倉庫の中が暗くなる。

 窓の外は星明かりのみで、月が見えない。

(待って。もしかして今日は――新月の夜?)

 新月の夜は早く帰ってこい。
 
 幼い頃から何度もノクターンからそう言われてきたせいか、早く帰らねばと気が焦る。
 
 しかしいまはこの状況から抜け出すことが最優先事項だ。
 リーゼは気持ちを奮い立たせて不安を頭の隅に押しやった。

「おい、ここか?」

 もったいぶった話し方をする男性の声が聞こえてきた。次いで、誘拐犯たちの声も聞こえてくる。
 顔を向けて姿を確認すると、軍服を着た大柄な男性が倉庫の中に入って来た。
 
(ルウェリン中将だ)

 リーゼがノクターンの姿を見るために式典へ行った時に遠目から見たことがある。

 ルウェリン中将はリーゼを見るなり顔を顰めた。
 
「おい、あの娘はただの目撃者と言っていたな? あの銀色の髪を見てなにも思わなかったのか?」
「リーゼちゃんの髪の色が銀色だと?」
 
 目が悪いのかと言わんばかりにエディがつっけんどんに聞き返す。
 しかし顔を横に向けてリーゼを見たエディは、目の前にいる少女の髪の色に瞠目した。

「リ、リーゼちゃん! 髪の色が変わっているよ!」
「えっ?」
 
 半信半疑で胸元にかかる自分の髪を見ると、本当に銀色になっている。

「ど、どうして……?」
「わからない。さっきまではいつもの栗色だったんだけどな」

 戸惑う二人の声を遮るように、ルウェリン中将が笑い声を上げる。
 
「新月の夜は魔法の力が弱くなる。ということはつまり、何者かが魔法で髪の色を変えていたことになるのだよ」

 ――魔法。
 それは王政時代に失われた奇跡の名称のはず。
 
「なるほど。最後の国王と同じ瞳の色に、最後の王妃と同じ髪の色。特にその銀色の髪は王妃の血族にしか現れない稀な色だ」

 ルウェリン中将はリーゼを舐めるように見つめる。
 その視線に嫌悪感を覚えた。

「この娘こそ旧王族の生き残りだ。人身売買の目くらましのために言いふらした話だったが、本当に生き残っていたのか。あの暴動の中でよく生き延びられたな。協力者がいるのか?」
「なにを言っているの? 拾われ子の私が王女であるわけがないでしょ?」
「その髪の色がなによりもの証拠だ。いまはこの世に一人しかその髪の色を持つ人間はいないだろう」
 
 嘘だ。そんなはずはない。

 リーゼは心の中で何度もルウェリン中将の言葉を否定する。

 自分が王女であるはずがない。
 国民の不審を買い、暴動の最中殺された、嫌われ者の王族の末裔だなんて。

 言葉を失うリーゼに、ルウェリン中将が近づく。
 
「王女がいるとこの国が混乱するんだ。いまここで死んでもらうぞ」
 
 エディが「止めろ!」と叫ぶ。
 
 人形のごとく身じろぎもしないリーゼは、ルウェリン中将にされるがままに押さえつけられた。

 取り出された小刀(ナイフ)がリーゼの首筋に当てられたその時。
 リーゼがつけているブレスレットがバチバチと音を立てて光を放ち、ルウェリン中将ごと小刀を吹き飛ばした。

(いま、ブレスレットから火花が飛び散った……?)

 慌ててブレスレットを見ると、緑色の宝石は亀裂が入り、微かに黒ずんでいる。
 まるで、かつてこの宝石に込められていたなにかが失われて朽ちたかのような見た目だ。
 
「ちっ。魔法具を持っていたのか。これは誰から貰った?」

 ブレスレットの力によって倉庫の壁に叩きつけられたルウェリン中将がよろめきながら立ち上がる。
 
「あんたなんかに教えない。それにこれはただのブレスレットで、魔法具なんかじゃない!」
「まあいい。王女を殺した後で周りの奴らを探ればわかることだ。捕まえて拷問にかけたらすぐに吐くだろう」

 その言葉を聞いた瞬間、怒りがリーゼの全身を駆け巡る。
 
 血液が沸騰するかの如く、全身を巡るなにかがリーゼの体から放たれた。
 
「私の大切な人たちに危害を加えたら許さない!」

 リーゼの叫びに呼応するように突風が巻き起こり、辺りの物を吹き飛ばし、倉庫の窓を割る。

 荒れ狂う風が止むと、ルウェリン中将は不気味な笑みを浮かべた。
 
「王女も魔法が使えるのか。たしか王妃の実家は治癒魔法に特化した魔法使いの家系だったもんな。……まあ、王政崩壊後に一人残らず<錬金術師>らにくれてやったから、いまはもうない家門だが」
「くれてやる?」
「ああ、そうだ。冥土の土産に教えてやろう。私には商売の才があってね。王政が崩壊して路頭に迷う旧貴族の者たちに取引をもちかけたんだ。このまま平民にまみれて生きるか死ぬかの生活を送るよりいい仕事があると言って、<錬金術師>たちのもとに連れて行ってやったのさ」

 これまで下に見ていた平民たちと並んで生きることに抵抗を感じていた旧貴族たちは、藁にも縋る想いでついて行ったのだろう。
 
 よもや自分たちが生贄にされるとは知らずに。
 
「旧貴族を売りつくした私は戦争で負かせた国の貧民や奴隷を<錬金術師>らに売った。<錬金術師>はいい客だ。生贄のためなら惜しみなく金を出してくれるからな。おかげで私は楽に資金を得られた」
「資金? 軍の高官は小遣い稼ぎしないといけないほど薄給なのか?」

 エディが悪態をつき、皮肉を投げかける。
 
「小遣い稼ぎのような低俗なものではない。私は私の国を作るための資金を集めているだけだ。私に忠実な兵士、私に忠実な官僚、私に忠実な下民どもだけの国を作るためのな」

 ただ己に従順な者だけを集めた国をつくりたいなど、なんと傲慢な願いだろうか。
 
 おまけにルウェリン中将は自分の部下以外――つまり国民たちを下民と言っている。
 そんな彼が国を治めたらと想像するだけで背筋が凍る。
 
「いまは敵国と手を組んでこの国に攻撃を仕掛ける準備をしている。そのためには軍資金が必要だ。兵士や武器を大量に用意せねばならない」

 次々と明かされる身勝手でおぞましい計画にリーゼは唇を噛む。

 同じ軍人でもノクターンは国民のために昼夜問わず奔走しているのに、この上官ときたらどうだ。
 ただ己の地位に胡坐をかいているだけでは飽き足らず、欲のために国民の命を犠牲にしている。

 それなのに誰も彼の蛮行に気づかず野放しにされているとは腹立たしい。
 
「第二の革命で今度こそこの国を我が物にしてみせる。一度目は総帥に手柄を横取りされてみすみす奪われてしまったからな」
「はっ。旧王族の圧政から国民を救った英雄とは化けの皮だったのか」

 エディは軽蔑を込めてルウェリン中将を睨みつけた。

 従業員を大切に想う彼からすると、守るべき国民を商売道具としか見ていないルウェリン中将の言動は許せないものだ。
 
「いいや、私は英雄だ。国民たちが忌み嫌う王族を排除したのだから。そして――その生き残りもこの世から消して完全に王族の支配を断ち切るのだから感謝されるべきだろう?」
 
 ルウェリン中将はそばにあった鉄の棒を掴むと、ゆっくりとした足取りでリーゼに歩み寄る。
 
「王女は<錬金術師>らに高く売りつけられそうだ」

 <錬金術師>たちの間では、魔法が使える人間からは多くの魔力を得られると言われている。
 
 それならば最後の魔法使いと謳われた王妃の血を受け継ぎ、魔法で突風を起こせるリーゼの魔力は強いはずだ。
 つまり<錬金術師>たちからすると極上の生贄だろう。

「また魔法を使われると困るから気絶させるか」
 
 ルウェリン中将がリーゼに向かって鉄の棒を振り上げたその時、外から怒声や悲鳴が聞こえてきた。

「お、おい! 外にいる仲間たちがやられているんじゃないか?!」

 誘拐犯が動揺し始めた。

 すると爆発音が轟き、また外で悲鳴が上がる。

「な、何事だ?!」

 動きを止めて扉の先を見つめたルウェリン中将の問いかけに、

「ルウェリン中将、それはこちらの台詞だ。お前はいま、誰に手をかけようとしている?」

 どこからともなく姿を現わしたノクターンが、地を這うような低い声で答えた。
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