意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
「俺はあなたが産まれると聞いたその日からずっと、あなたを待っていた」

 そう言い、ノクターンはリーゼに自身の過去を語り始めた。

     ***

 ノクターン・スタイナーが存在するようになったのは、彼がストレーシス王国の国王と王妃に出会ってからだ。

 それまでの彼は名前のない、()()()()()()()だった。

 父親は下級貴族。
 母親はその家に仕える使用人。
 
 父親は正妻がいるにもかかわらず、使用人である母親を深く愛していた。
 そして彼女に手を出し、ノクターンが産まれた。

 母親は産後の肥立ちが悪く、ノクターンを産んですぐに亡くなった。
 愛する女性の死に深く悲しんだ父親は、産まれたばかりのノクターンを死神だと言って憎んだ。

「この死神にくれてやる名前なんてない!」
 
 罪のないノクターンに八つ当たりをして名前もつけず、使用人たちに育てさせた。
 容姿は母親に似て整っているから、育ったら奴隷商に売ることにしたのだ。
 
 しかし予期せぬ問題が起こった。
 ノクターンの周りで急に窓が割れたり、火がついて物が燃えたり、彼をいじめていた使用人たちが一瞬にして意識を失うことがあったのだ。

 ――この子どもは呪われている。
 恐ろしくなった父親は、ノクターンが十歳になる頃に奴隷商に売った。
 
 よもやそれが魔力暴走であることなんて知らなかったのだ。
 魔法使いが減少していくこの国では、魔法使いの素質をもつ子どもの成長過程を知る者もまた稀になっていたのだ。
 
「早くこいつを連れて行ってくれ。顔がいいから男の客にも女の客にも売れそうだろう?」
「そうさね。こりゃあ高値で売れそうだ」

 幼い頃から虐げられて育ったノクターンは、父親と奴隷商人の言葉を聞き、微かに残っていた希望さえ打ち砕かれて絶望した。
 努力すれば、あるいは耐え忍んでいれば、いつかは我が子と認めて愛してくれるかもしれないと自分を励まし続けていたのだ。
 
(あの人は最後まで、俺を人として見てくれなかった)
 
 なにもかも失い、感情をなくした状態で奴隷商人に運ばれていた時、運良く宮廷騎士団の騎士たちが見つけて助け出してくれた。
 ノクターンと一緒に運ばれていた子どもたちは歓喜の涙を流したのだった。

 助け出された子どもたちは騎士たちに馬に乗せてもらい、王都の孤児院に連れて行ってもらう。

 しかしノクターンを連れた騎士は孤児院には行かず、そのまま王城へと向かった。

(どうして俺だけ?)
 
 騎士からなにも告げられていないノクターンは不安になった。
 
 おまけに騎士は、王城の中に入るとノクターンを自身の外套の中に隠してしまい、一言も喋るなと命令してきたのだ。
 動いてもならないと付け加えられてしまう。

(これからどうなるんだ?)

 ただでさえ宵闇が不安を煽るというのに、逃げ場と自由を失ったものだから悪い予感ばかりが脳内を支配した。

 暗闇の中で息を殺していたその時、不意に騎士が立ち止まり、扉を叩く音がした。
 
「王妃殿下、ウィリアム・アッカーソンがただいま戻りました」
(……王妃?)

 驚きのあまり心の準備ができていないまま、扉が開いて騎士が部屋の中に入る。
 パタンと扉が閉まる音が聞こえるや否や、ノクターンの視界を覆っていた外套が取り払われ、眩いシャンデリアの輝きがノクターンの目に刺さる。
 
「この子が例の、魔法を使える子どもなのね?」

 鈴の音を転がしたような声が聞こえてきた。
 光に慣れてきた目に映ったのは、簡素なドレスを身に纏う美しい女性――王妃だ。
 
 彼女は窓辺にある椅子に腰かけ、肩に留まっている銀月鳥に問いかけていた。

「そうだ。我が散歩している時に魔法を使っているところを見た」

 銀月鳥がくちばしを動かすと、渋みのある男性の声が聞こえてきた。
 
「と、鳥が喋っている?!」

 驚くノクターンに王妃は優美に微笑み、「この子は私の使い魔だから話せるのよ」と教えてくれる。

 とても優しく、心にじんわりと染みわたる声音だった。
 
「あなたの名前は?」
「ないです」
「そう……なのね。それなら、私がつけてもいいかしら?」
 
 ノクターンが黙ってこくりと頷くと、王妃はノクターンを手招きした。
 恐る恐る近づくノクターンの頭に手を触れると、ゆっくりと撫でてくれた。

 温かで安心できる手。
 生れて初めて頭を撫でられたノクターンの目から、涙が一粒零れ落ちた。
 
「今日からあなたの名前はノクターンよ。あなたが、これからも今宵のような穏やかで美しい夜を過ごせるように願いを込めたわ」
「穏やかで美しい夜?」
「ええ。今宵は久しぶりに美しい夜で、私とっても浮かれているの。きっと、あなたにようやく会えたからね」

 王妃はノクターンに、彼をここに連れてくるまでの経緯を話してくれた。
 彼女の使い魔がノクターンの魔力を感知して、魔法を使える子どもがいることを教えてくれたらしい。

 もう自分以外に魔法を使える者はいないとばかりに思っていた王妃は、魔法使いの卵を見つけられてとても喜んだのだ。

 しかし使い魔の話を聞くと、その子どもは実の父親から虐げられているらしい。
 奴隷商に売る話を聞きつけた王妃は、騎士団長のウィリアム・アッカーソン――のちに総帥となる人物にノクターンの救出を命じた。
 
「あなたに会える日をずっと待っていたのよ」
「――っ!」

 自分を待ってくれる人がいる。
 愛情に飢えていたノクターンの心に温かな感情が広がり、心の傷を癒してくれた。

「あなたには魔法を使う素質があるの。だから私の弟子にならない? もちろん、師匠としてお小遣いを出すわよ?」
「どうして……そこまでしてくれるんですか?」
「あなたにお願いがあるの。あなたしか成し得ないことよ」

 王妃が自分のお腹に手を当てると、そこだけぐにゃりと空間が歪み、王妃の体型が変わる。
 さきほどまでスラリとしていた腹部がぽっこりと膨らんでいるのだ。

 王妃は片手で腹部をしたから支えると、空いている方の手で優しく撫でた。

「もうすぐで私と国王陛下との子どもが生まれるわ。その子の護衛になってほしいの」
「……!」
 
 生れて初めて見る魔法にノクターンは驚いた。
 
 話によると王妃は妊娠しているのだが、認識阻害の魔法を使って周囲に気づかれないよう隠しているらしい。
 騎士たちが王族殺害を企てているという不穏な話があるため、子どもの命を守るためにその存在を隠しているのだと言う。
 
「ノクターン、この子に触れて話しかけてみて? そうしてくれたら、この子は安心して生まれて来てくれそうな気がするわ」
「……お、俺なんかが……いいんですか?」
「もちろん。あなたはこれから私のたった一人の弟子になるんですもの」

 他者との繋がりを諦めていた少年にとって、その一言は何よりも嬉しい言葉だった。
 
 とはいえ物心がついた頃から愛情や好意を受け取ったことのないノクターンは戸惑い、まごまごとしている。
 王妃はそんなノクターンの手をそっと取ると、腹部に触れさせた。

 ぽこりとお腹の内側で赤子が動いた感覚を感じ取り、得も言われぬ喜びを覚える。
 赤子が自分に話しかけてくれているような気がしたのだ。

「……ずっと、あなたを待っていますから。俺が命をかけて守りますから」

 ――だからどうか、俺を必要としてください。
 ノクターンはその夜、まだこの世に生まれていない小さな命に忠誠を誓った。
 
 それからノクターンは、王妃から魔法を学んだ。
 使い魔であるワルツとはこの頃に出会い、契約を結んだのだった。

「ノクターンは本当に賢いわね。今日はご褒美にケーキを食べましょう」

 王妃はいつもノクターンを褒めてくれる。
 
 基礎や応用を短期間で叩きこまれたが、これまで学ぶことすらさせてもらえなかったノクターンは貪欲に勉学に励み、渇いた砂が水を吸い込むように吸収していった。
 いつからか魔法以外に政治や歴史、そして外国語まで、王妃や国王から教えてもらったのだった。

 勉強ばかりでは可哀想だと言って、国王はチェスも教えてくれた。
 
「おや、とうとうノクターンにチェスで負けてしまったな」
「あなたを負かせるなんてさすがだわ! 私の自慢の弟子よ!」
 
 国王と王妃との時間は、ノクターンにとってかけがえのない思い出だ。
 親の愛情を知らないノクターンからすると、彼らが親のように思えたのだ。

 やがて王妃はいつ出産してもおかしくない状態になった。
 限られた者にしか出産を知られないようにするため、病に伏せているという名目で寝室に閉じこもるようになった。
 
 その間、ノクターンも一緒に寝室に閉じこもり、防音魔法や結界、そして認識阻害魔法を実践して王妃と産まれてくる赤子を守っていた。
 
「覚えておいてね。暴動が起きたら、この子を連れて霧の森に行くのよ。そこに私の師匠が遺した資料と隠れ家があるわ」
 
 ある日、王妃はそう言ってノクターンに地図を見せた。
 師匠とは、かつて大魔法使いと謳われていた者だ。

 その人物が余生を過ごしていた隠遁場所を教えてもらい、そこでさらに知識をつけるように命じられた。
 この時ノクターンは、スタイナーという平民の家名と、霧の森の中にある大魔導士の小屋を財産としてもらったのだ。
 
(暴動なんて、起こらなければいいのに)
 
 弟子になったその日に暴動の話を聞いたノクターンは、日を追うごとに大切な人たちを失わざるを得ない未来を呪うようになった。

 そのような状況の中、ついに王妃が出産した。
 愛らしい王女の誕生に立ち会った国王とノクターンは、二人で喜びを分かち合った。
 
「ほら、ノクターンも抱っこしてあげて?」

 ノクターンは緊張しつつ、王妃から赤子を受け取った。
 温かくて小さくて、愛おしい重みに心が震えた。

「王女様、ようやく会えて嬉しいです」
 
 国王は赤子にエルネスと名付けた。
 ノクターンは四六時中エルネスのそばで彼女の名前を呼んでいた。

 そのためか、赤子はノクターンによく懐き、ノクターンが抱っこするとすぐに泣き止んだのだった。

 ――幸せな日々の終わりは、ついにやって来てしまった。

「ノクターン、計画はもう暗唱できるくらい覚えているわね?」
「はい」
「……ごめんなさいね」

 王妃はくしゃりと顔を歪ませ、ノクターンを抱きしめた。

「あなたを私たちの計画に縛りつけてごめんなさい。あなたの一生を奪っておいてこんなことを言うのは図々しいとはわかっているのだけど――私も夫も、あなたを我が子のように愛しているわ」
 
 そして王妃は眠っている赤子をノクターンに託した。
 
「ノクターン、これが最初で最後の命令よ。この子を守って、共に生き延びて」
 
 どうにか王都から逃げ延びて霧の森がある町に辿り着いたノクターンは、ブライアンたちの目を盗んでは、王妃の言いつけを守って森の中にある小屋の中で魔法を学んだ。

 この先なにがあっても、確実にエルネス王女――リーゼを守れるように。

 リーゼの護衛と魔法の勉強に励むノクターンだが、たびたび暴動の夜の記憶が夢に出てきては形容し難い不安に悩まされた。
 暴動はノクターンの心に大きな傷を負わせていたのだ。
 
 ノクターンは毎夜幼いリーゼを抱きしめ、彼女の笑顔を見て心を落ち着かせていた。
 そして彼女を見る度に、心優しい師匠と彼女と出会った夜を思い出す。

(大丈夫。王妃殿下が俺に、穏やかで美しい夜を過ごせるように願いを込めて名付けてくれたのだから)

 そう言い聞かせて不安な夜を乗り越え、強く逞しく育った。
 国王や王妃への心ない噂を聞く度に、悔しさとやるせなさを覚えながら。

 成長したノクターンは計画の次の段階に進むために、ストレーシス国軍に入団したのだった。

     ***
< 41 / 44 >

この作品をシェア

pagetop