意地悪で不愛想で気まぐれだけど大好きなあなたに、おとぎ話が終わっても解けない魔法を
ストレーシス国軍本部の無機質な廊下を、濃紺色の軍服を着た男が歩く。
いつになく軽快な足取りで、見るからに機嫌がいい男に、周りにいた下士官たちは礼をとりつつ彼の様子を窺った。
「さっきの人、本当にスタイナー大佐だよな?」
「ああ。人間のように笑っていたけどスタイナー大佐だった」
ノクターン・スタイナーは隣国との国境戦争で功績を上げ、若くして中佐となり本部に異動となった有名人。
そして<冷血のスタイナー大佐>の異名を持つ。
「戦場で逃げようとした上官を盾にして敵陣に突撃したらしい」
「なんだって! 俺は作戦のために部下を崖から落として囮にしたと聞いたぞ」
そして真偽は定かではないが、数々の噂が流されている。
ノクターンとの関りがない軍人たちは、彼の強烈なほどの美貌と不穏な噂に、人外めいた恐ろしさを感じるそうだ。
「あら、スタイナー大佐。ちょうど伺う最中だったのですがもう退勤ですか?」
白衣を着た女性が通りがかり、ノクターンを呼び止めた。
女性は燃えるような赤い髪を頭の後ろで纏めており、一本の後れ毛を零すこともなく綺麗に結わえている。そして華奢な銀縁メガネの奥には冷たい印象を与える青みがかった灰色の瞳があり、彼女の几帳面さを際立たせている。
「そうだ。用件は明日聞こう」
「わかりました。それでは明日の昼頃に伺います」
二人が挨拶を交わして別れようとしたその時、漆黒の軍服を着た中年の男が現れた。
「ルウェリン中将、お疲れ様です」
礼をとる二人を一瞥し、ルウェリン中将はニタリと下卑た笑みを浮かべた。
「おや、スタイナー大佐にミラー医務官だね。こんなところで逢引の約束かい?」
「いいえ。明日の打ち合わせについて話しておりました」
ミラー医務官が冷え切った声で淡々と答える。拒絶感を全面的に押し出しているにもかかわらず、相手は気づいていないらしい。
「そうかい。ご苦労なことだね。私はてっきり、ミラー医務官にようやく恋人ができたと思って祝いたかったのだが、違ったようで残念だよ」
「……」
「……」
「ああ、いい機会だからこの際二人で見合いをしたらどうかい? 年が近いから話が合いそうだろう?」
「……」
「……」
二人とも返事をせず、礼をとったまま姿勢を崩さない。
面倒な奴には取り合うな。それが、この二人が軍で働くうちに習得した処世術だ。
「全く、近頃の若いのは愛想がないな」
ルウェリン中将はつまらなさそうに鼻を鳴らし、踵を返して去った。
もったいぶった足音が遠ざかって聞こえなくなると、ミラー医務官が小さく舌打ちする。
「クソジジイが。会う度に人の恋愛事情を詮索する暇があるなら仕事しろ」
「本音が漏洩しているぞ」
「……コホン。先ほどの発言は他言無用で」
ミラー医務官は咳ばらいをして誤魔化した。どうやら日頃の鬱憤が爆ぜてしまったらしい。
「それにしても、今日はいつになく念入りに身だしなみをしていますね。会食でもあるのですか?」
「いや、妹分と一緒に出かける予定だ」
「……ああ、例の女の子ですね」
冷血のスタイナー大佐が、とある一家と一緒に暮らしているという逸話がある。
王政崩壊のきっかけとなった暴動で家族を失ったノクターンは見ず知らずの夫婦に引き取られ、育ててもらった。その恩を返すために収入のほとんどを貯金して一軒家を買ったという。
それがノクターン・スタイナーの唯一人間らしい噂だ。
「噂になっているのか?」
「ええ、スミス二等兵曹が街で見かけたそうですが、とても愛らしい少女だったと言っ――」
「あ"あ"っ?! リーゼに下心丸出しで近づいただと?! 毛と皮剥いで野獣の餌にしてやろうか」
「本性が漏洩していますよ」
「……コホン。で、どのスミス二等兵曹だ? スミス二等兵曹は本部に六名ほどいるから名前と所属部隊を教えろ」
「死者が出そうなので黙秘権を行使します」
優秀な軍医であるミラー医務官は、被害を最小限に留めるべく、話を逸らすことにした。
「それで、今日は妹さんとどちらにお出かけで?」
「まだ決めていない。……成人前の女の子が喜ぶ贈り物は何だろうか?」
「あら、誕生日のお祝いに出かけるんですね。妹さんは大切にされていますね」
「誕生日ではないんだ。今朝いきなり甘えてきたから何か欲しい物があるようだが……なぜか教えてくれなくて困っている」
今朝、久しぶりに好きだと言ってくれた。昔は毎日惜しみなくかけてくれた言葉で、顔を合わせれば満面の笑みを浮かべて伝えてくれたものだ。
――しかしリーゼが町の子どもたちと一緒に遊ぶようになってからはすっかり止んでしまった。
嫌われたのだろうかと悩んだ時期さえあった。しかしブライアンとハンナが言うには、子どもとは成長すると自然とそうなる生き物らしい。
「まあ。冷血のスタイナー大佐に甘えられるなんて大物ですね」
「そうだな。これからもこの先も、この世であの子一人だけだ」
「そんなことを言っていると、婚期を逃しますよ」
「結婚する気はないので構わん。いまの暮らしがあればそれでいいからな」
ああ、妹さんはこの男がいる限り一生結婚できないだろうな。結婚どころか、恋人を作るのでさえ難しそうだ。
ミラー医務官は噂の妹さんに同情したのだった。
いつになく軽快な足取りで、見るからに機嫌がいい男に、周りにいた下士官たちは礼をとりつつ彼の様子を窺った。
「さっきの人、本当にスタイナー大佐だよな?」
「ああ。人間のように笑っていたけどスタイナー大佐だった」
ノクターン・スタイナーは隣国との国境戦争で功績を上げ、若くして中佐となり本部に異動となった有名人。
そして<冷血のスタイナー大佐>の異名を持つ。
「戦場で逃げようとした上官を盾にして敵陣に突撃したらしい」
「なんだって! 俺は作戦のために部下を崖から落として囮にしたと聞いたぞ」
そして真偽は定かではないが、数々の噂が流されている。
ノクターンとの関りがない軍人たちは、彼の強烈なほどの美貌と不穏な噂に、人外めいた恐ろしさを感じるそうだ。
「あら、スタイナー大佐。ちょうど伺う最中だったのですがもう退勤ですか?」
白衣を着た女性が通りがかり、ノクターンを呼び止めた。
女性は燃えるような赤い髪を頭の後ろで纏めており、一本の後れ毛を零すこともなく綺麗に結わえている。そして華奢な銀縁メガネの奥には冷たい印象を与える青みがかった灰色の瞳があり、彼女の几帳面さを際立たせている。
「そうだ。用件は明日聞こう」
「わかりました。それでは明日の昼頃に伺います」
二人が挨拶を交わして別れようとしたその時、漆黒の軍服を着た中年の男が現れた。
「ルウェリン中将、お疲れ様です」
礼をとる二人を一瞥し、ルウェリン中将はニタリと下卑た笑みを浮かべた。
「おや、スタイナー大佐にミラー医務官だね。こんなところで逢引の約束かい?」
「いいえ。明日の打ち合わせについて話しておりました」
ミラー医務官が冷え切った声で淡々と答える。拒絶感を全面的に押し出しているにもかかわらず、相手は気づいていないらしい。
「そうかい。ご苦労なことだね。私はてっきり、ミラー医務官にようやく恋人ができたと思って祝いたかったのだが、違ったようで残念だよ」
「……」
「……」
「ああ、いい機会だからこの際二人で見合いをしたらどうかい? 年が近いから話が合いそうだろう?」
「……」
「……」
二人とも返事をせず、礼をとったまま姿勢を崩さない。
面倒な奴には取り合うな。それが、この二人が軍で働くうちに習得した処世術だ。
「全く、近頃の若いのは愛想がないな」
ルウェリン中将はつまらなさそうに鼻を鳴らし、踵を返して去った。
もったいぶった足音が遠ざかって聞こえなくなると、ミラー医務官が小さく舌打ちする。
「クソジジイが。会う度に人の恋愛事情を詮索する暇があるなら仕事しろ」
「本音が漏洩しているぞ」
「……コホン。先ほどの発言は他言無用で」
ミラー医務官は咳ばらいをして誤魔化した。どうやら日頃の鬱憤が爆ぜてしまったらしい。
「それにしても、今日はいつになく念入りに身だしなみをしていますね。会食でもあるのですか?」
「いや、妹分と一緒に出かける予定だ」
「……ああ、例の女の子ですね」
冷血のスタイナー大佐が、とある一家と一緒に暮らしているという逸話がある。
王政崩壊のきっかけとなった暴動で家族を失ったノクターンは見ず知らずの夫婦に引き取られ、育ててもらった。その恩を返すために収入のほとんどを貯金して一軒家を買ったという。
それがノクターン・スタイナーの唯一人間らしい噂だ。
「噂になっているのか?」
「ええ、スミス二等兵曹が街で見かけたそうですが、とても愛らしい少女だったと言っ――」
「あ"あ"っ?! リーゼに下心丸出しで近づいただと?! 毛と皮剥いで野獣の餌にしてやろうか」
「本性が漏洩していますよ」
「……コホン。で、どのスミス二等兵曹だ? スミス二等兵曹は本部に六名ほどいるから名前と所属部隊を教えろ」
「死者が出そうなので黙秘権を行使します」
優秀な軍医であるミラー医務官は、被害を最小限に留めるべく、話を逸らすことにした。
「それで、今日は妹さんとどちらにお出かけで?」
「まだ決めていない。……成人前の女の子が喜ぶ贈り物は何だろうか?」
「あら、誕生日のお祝いに出かけるんですね。妹さんは大切にされていますね」
「誕生日ではないんだ。今朝いきなり甘えてきたから何か欲しい物があるようだが……なぜか教えてくれなくて困っている」
今朝、久しぶりに好きだと言ってくれた。昔は毎日惜しみなくかけてくれた言葉で、顔を合わせれば満面の笑みを浮かべて伝えてくれたものだ。
――しかしリーゼが町の子どもたちと一緒に遊ぶようになってからはすっかり止んでしまった。
嫌われたのだろうかと悩んだ時期さえあった。しかしブライアンとハンナが言うには、子どもとは成長すると自然とそうなる生き物らしい。
「まあ。冷血のスタイナー大佐に甘えられるなんて大物ですね」
「そうだな。これからもこの先も、この世であの子一人だけだ」
「そんなことを言っていると、婚期を逃しますよ」
「結婚する気はないので構わん。いまの暮らしがあればそれでいいからな」
ああ、妹さんはこの男がいる限り一生結婚できないだろうな。結婚どころか、恋人を作るのでさえ難しそうだ。
ミラー医務官は噂の妹さんに同情したのだった。