社交界の毒婦とよばれる私~素敵な辺境伯令息に腕を折られたので、責任とってもらいます~【書籍化+コミカライズ連載中】
【第二部】16 ようやく分かった【ディーク視点】
ライラが医務室に運ばれたと聞いた僕は、無我夢中で走り出した。
勢いよく医務室の扉を開くと、メイド達に囲まれていたライラが驚いたように目を見開く。
「ディーク?」
僕の名前を呼ぶライラは儚げで、目尻には涙の跡が見えた。
「ライラ、大丈夫なの⁉」
ライラの元に駆け寄る僕と、入れ替わるようにメイド達が医務室から出て行く。
二人きりになると、ライラはうつむき肩を震わせた。
「私、怖かった……」
「怖かったって? 何があったの⁉」
ライラは、ためらって話そうとしてくれない。
「僕は絶対にライラの味方だよ! ライラのためならなんでもする!」
僕の恋は叶わなかったけど、それでもライラは僕にとって特別な女性であることに違いない。
細い肩にそっと触れると、ライラは涙を浮かべながら僕を見上げた。
「実は、リオ様に……」
「リオ? リオに何かされたの?」
「い、いいえ、違うわ」
優しいライラは、リオのことを必死に庇おうとしているようだった。
「その、少し、乱暴に扱われただけで……」
「乱暴に⁉」
リオは昔から貴族らしからぬ野蛮なところがあった。僕も子どものころに、リオに「大丈夫。ディークでもできる」と言われて木登りしたら降りられなくなって、酷い目に遭わされたことがある。
「私、こ、怖くて……」
震えるライラを僕は抱き寄せた。リオに悪気はなかっただろうけど、ライラをこんなにも怖がらせるなんて許せない。
「兄さんは、このことを知っているの?」
小さく頷いたライラの瞳から、涙が一粒こぼれ落ちた。
「カルロスも知っているわ。でも……」
「でも?」
悲しそうな笑みを浮かべたライラは「もういいの」と力なく呟く。
「結婚式直前だもの……だから、もういいの」
「それって、騒ぎを起こしたくないから、兄さんがリオがやったことをもみ消したってこと?」
「そうじゃないわ! 本当に……もう、いいの……」
ライラは力なく僕を押すと、腕をすり抜けて行く。
僕だったら、ライラをこんな風に悲しませないのに。
僕が好きになる女性は、どうして皆、僕を選んでくれないんだろう。
リオの婚約者セレナだってそうだ。あんなに美しいのに、それを台無しにするような似合わない恰好をしている。
僕がセレナの婚約者なら、彼女を誰よりも輝かせてあげられるのに。
僕を愛してくれているはずの父ですら、なぜか僕と平凡なアイリーンを婚約させた。
父は「アイリーンはとても優秀だ。そして、タゼア伯爵家は必ずお前の役に立つだろう。この婚姻はお前のためにまとめたものだ。大切にするんだぞ」なんて言っていたけど、今のところ彼女はなんの役にも立っていない。
それどころか、アイリーンが田舎者だから、社交界で浮いてバカにされている。
流行りでないドレスを着て、誰からもダンスに誘われず壁の花になっている姿は、見ているこっちが恥ずかしい。エスコートなんてしたくもない。こんな女、僕に相応しくない。役に立つどころか、僕の足を引っ張っている。
父が本当に僕を愛してくれているのなら、どうしてライラと結婚させてくれなかったのだろう?
優しい父は、いつも僕が好きなようにしていいと言ってくれている。
僕の行動こそが平和の象徴だと。
そんな父を母はよく思っていない。僕にも会う度に小言を言ってくる。
「ディーク。あなたには決定的に足りないものがあります。それは状況を正しく判断する力です。あなたが置かれた環境では、理解するのは難しいでしょうが……」
そう言いながら、母はいつも厳しい表情を僕に向ける。
「しかし、置かれた環境は違えど、カルロスもまた試練の中にいます。だから、腐ることなく、日々学び、博識な者の意見に耳を傾け、感謝の心を持ちなさい。そうすれば、見えてくる真実がありますよ」
そんなことを言いながら、母が兄さんだけを可愛がっていることを僕は知っている。
父だって僕が平和な時代の王に相応しいなんて言っていたのに、結局、優秀な兄さんを王太子に選んだ。
兄さんは、いつだって僕のほしいものをすべて手に入れる。兄さんを恨むこともあった。でも、兄さんはこんな僕にもすごく優しくしてくれる。
だから、王太子は兄さんで問題ない。でも、ライラを悲しませるのは、いくら兄さんでも許せない。
兄さんがライラの涙を拭わないのなら、代わりに僕がライラの涙を止めてあげないと。
僕はライラの手を優しく包み込んだ。
「ライラ。リオのことは僕に任せて! 必ずライラに謝罪させて、もう二度とこんなことが起こらないようにするよ」
「ディーク、ありがとう」
涙目のライラが少しだけ笑ってくれたから、僕の心は温かくなった。
それからの僕は、リオがライラに何をしたかを調べ始めた。
「ライラはリオに乱暴に扱われたと言っていたけど、よく分からないな」
その現場の目撃者は見つからず、医務室でライラの周りにいたメイド達も詳しいことは何も知らないと言っていた。
「私達は、カルロス殿下に聖女様の身なりを整えるように、と言われて来たんです」
「医務室に行くと、聖女様の髪が乱れていて……」
僕が「髪だけ?」と尋ねると「はい」とメイド達は頷く。
リオが乱暴にライラの頭を叩いた、とか?
でも、リオは理由なく暴力を振るうような奴じゃない。でも、僕が知っているリオは子どものころのリオだけだ。今のリオのことは知らない。
セレナという婚約者ができたことを知らなかったくらいだから、成人してからは、それほど交流があったわけではない。
「困ったな……」
何があったかライラに聞くのが一番早い。だけど、明日はいよいよ兄さんとライラの結婚式だ。
そんな大事なときに、リオの話を蒸し返してライラを悲しませるわけにはいかない。
行き詰っている僕の元に、ライラのメイドが尋ねてきた。メイドは胸に紙束を抱えている。
「ライラ様には、決して言わないように言われていたのですが……」
そう言いながら渡された紙束に書かれたことを見た僕は言葉を失った。
そこには、セレナがエルティダ国で『社交界の毒婦』と呼ばれていたことが書かれていた。
「こ、これは?」
「カルロス殿下から渡された書面に書かれていた確かな情報です。でも、お優しいライラ様がこの事実は隠しておくようにと」
メイドは読み終わったら必ず燃やすように僕に伝えて去っていった。
ひとり取り残された僕は、信じられない気持ちで文字を追った。
はしたないドレスを着て、社交界で見境なく多くの男性を誘惑していたセレナ=ファルトン。異母妹を虐げて、挙句にはファルトン伯爵家を滅亡へと導いた稀代の悪女。
「そんな毒婦が、ターチェ伯爵家の養女になり身分を隠して、今はリオの婚約者になっているなんて……」
信じられないという気持ちと同時に、お茶会で見たけばけばしいセレナならやりかねないとも思う。
僕に向けられた冷たい瞳に、きつい態度こそが本当のセレナだったんだ。
そうじゃなければ、親切な言葉をかけてあげた僕に、あんな態度を取る理由がない。
「そうか、僕は毒婦に騙されていたのか」
そして、おそらくリオも。
リオがライラを乱暴に扱ったのだって、セレナの指示かもしれない。
僕は紙束をぐしゃと潰すと、自室の暖炉に放り投げた。寒くなれば誰かが火をつけるから紙束も燃えるだろう。
「そんなことより、今はあの毒婦をどうにかしないと!」
勢いよく医務室の扉を開くと、メイド達に囲まれていたライラが驚いたように目を見開く。
「ディーク?」
僕の名前を呼ぶライラは儚げで、目尻には涙の跡が見えた。
「ライラ、大丈夫なの⁉」
ライラの元に駆け寄る僕と、入れ替わるようにメイド達が医務室から出て行く。
二人きりになると、ライラはうつむき肩を震わせた。
「私、怖かった……」
「怖かったって? 何があったの⁉」
ライラは、ためらって話そうとしてくれない。
「僕は絶対にライラの味方だよ! ライラのためならなんでもする!」
僕の恋は叶わなかったけど、それでもライラは僕にとって特別な女性であることに違いない。
細い肩にそっと触れると、ライラは涙を浮かべながら僕を見上げた。
「実は、リオ様に……」
「リオ? リオに何かされたの?」
「い、いいえ、違うわ」
優しいライラは、リオのことを必死に庇おうとしているようだった。
「その、少し、乱暴に扱われただけで……」
「乱暴に⁉」
リオは昔から貴族らしからぬ野蛮なところがあった。僕も子どものころに、リオに「大丈夫。ディークでもできる」と言われて木登りしたら降りられなくなって、酷い目に遭わされたことがある。
「私、こ、怖くて……」
震えるライラを僕は抱き寄せた。リオに悪気はなかっただろうけど、ライラをこんなにも怖がらせるなんて許せない。
「兄さんは、このことを知っているの?」
小さく頷いたライラの瞳から、涙が一粒こぼれ落ちた。
「カルロスも知っているわ。でも……」
「でも?」
悲しそうな笑みを浮かべたライラは「もういいの」と力なく呟く。
「結婚式直前だもの……だから、もういいの」
「それって、騒ぎを起こしたくないから、兄さんがリオがやったことをもみ消したってこと?」
「そうじゃないわ! 本当に……もう、いいの……」
ライラは力なく僕を押すと、腕をすり抜けて行く。
僕だったら、ライラをこんな風に悲しませないのに。
僕が好きになる女性は、どうして皆、僕を選んでくれないんだろう。
リオの婚約者セレナだってそうだ。あんなに美しいのに、それを台無しにするような似合わない恰好をしている。
僕がセレナの婚約者なら、彼女を誰よりも輝かせてあげられるのに。
僕を愛してくれているはずの父ですら、なぜか僕と平凡なアイリーンを婚約させた。
父は「アイリーンはとても優秀だ。そして、タゼア伯爵家は必ずお前の役に立つだろう。この婚姻はお前のためにまとめたものだ。大切にするんだぞ」なんて言っていたけど、今のところ彼女はなんの役にも立っていない。
それどころか、アイリーンが田舎者だから、社交界で浮いてバカにされている。
流行りでないドレスを着て、誰からもダンスに誘われず壁の花になっている姿は、見ているこっちが恥ずかしい。エスコートなんてしたくもない。こんな女、僕に相応しくない。役に立つどころか、僕の足を引っ張っている。
父が本当に僕を愛してくれているのなら、どうしてライラと結婚させてくれなかったのだろう?
優しい父は、いつも僕が好きなようにしていいと言ってくれている。
僕の行動こそが平和の象徴だと。
そんな父を母はよく思っていない。僕にも会う度に小言を言ってくる。
「ディーク。あなたには決定的に足りないものがあります。それは状況を正しく判断する力です。あなたが置かれた環境では、理解するのは難しいでしょうが……」
そう言いながら、母はいつも厳しい表情を僕に向ける。
「しかし、置かれた環境は違えど、カルロスもまた試練の中にいます。だから、腐ることなく、日々学び、博識な者の意見に耳を傾け、感謝の心を持ちなさい。そうすれば、見えてくる真実がありますよ」
そんなことを言いながら、母が兄さんだけを可愛がっていることを僕は知っている。
父だって僕が平和な時代の王に相応しいなんて言っていたのに、結局、優秀な兄さんを王太子に選んだ。
兄さんは、いつだって僕のほしいものをすべて手に入れる。兄さんを恨むこともあった。でも、兄さんはこんな僕にもすごく優しくしてくれる。
だから、王太子は兄さんで問題ない。でも、ライラを悲しませるのは、いくら兄さんでも許せない。
兄さんがライラの涙を拭わないのなら、代わりに僕がライラの涙を止めてあげないと。
僕はライラの手を優しく包み込んだ。
「ライラ。リオのことは僕に任せて! 必ずライラに謝罪させて、もう二度とこんなことが起こらないようにするよ」
「ディーク、ありがとう」
涙目のライラが少しだけ笑ってくれたから、僕の心は温かくなった。
それからの僕は、リオがライラに何をしたかを調べ始めた。
「ライラはリオに乱暴に扱われたと言っていたけど、よく分からないな」
その現場の目撃者は見つからず、医務室でライラの周りにいたメイド達も詳しいことは何も知らないと言っていた。
「私達は、カルロス殿下に聖女様の身なりを整えるように、と言われて来たんです」
「医務室に行くと、聖女様の髪が乱れていて……」
僕が「髪だけ?」と尋ねると「はい」とメイド達は頷く。
リオが乱暴にライラの頭を叩いた、とか?
でも、リオは理由なく暴力を振るうような奴じゃない。でも、僕が知っているリオは子どものころのリオだけだ。今のリオのことは知らない。
セレナという婚約者ができたことを知らなかったくらいだから、成人してからは、それほど交流があったわけではない。
「困ったな……」
何があったかライラに聞くのが一番早い。だけど、明日はいよいよ兄さんとライラの結婚式だ。
そんな大事なときに、リオの話を蒸し返してライラを悲しませるわけにはいかない。
行き詰っている僕の元に、ライラのメイドが尋ねてきた。メイドは胸に紙束を抱えている。
「ライラ様には、決して言わないように言われていたのですが……」
そう言いながら渡された紙束に書かれたことを見た僕は言葉を失った。
そこには、セレナがエルティダ国で『社交界の毒婦』と呼ばれていたことが書かれていた。
「こ、これは?」
「カルロス殿下から渡された書面に書かれていた確かな情報です。でも、お優しいライラ様がこの事実は隠しておくようにと」
メイドは読み終わったら必ず燃やすように僕に伝えて去っていった。
ひとり取り残された僕は、信じられない気持ちで文字を追った。
はしたないドレスを着て、社交界で見境なく多くの男性を誘惑していたセレナ=ファルトン。異母妹を虐げて、挙句にはファルトン伯爵家を滅亡へと導いた稀代の悪女。
「そんな毒婦が、ターチェ伯爵家の養女になり身分を隠して、今はリオの婚約者になっているなんて……」
信じられないという気持ちと同時に、お茶会で見たけばけばしいセレナならやりかねないとも思う。
僕に向けられた冷たい瞳に、きつい態度こそが本当のセレナだったんだ。
そうじゃなければ、親切な言葉をかけてあげた僕に、あんな態度を取る理由がない。
「そうか、僕は毒婦に騙されていたのか」
そして、おそらくリオも。
リオがライラを乱暴に扱ったのだって、セレナの指示かもしれない。
僕は紙束をぐしゃと潰すと、自室の暖炉に放り投げた。寒くなれば誰かが火をつけるから紙束も燃えるだろう。
「そんなことより、今はあの毒婦をどうにかしないと!」