社交界の毒婦とよばれる私~素敵な辺境伯令息に腕を折られたので、責任とってもらいます~【書籍化+コミカライズ連載中】
05 それは私がずっとほしかった言葉
朝になったら、夢は儚く消えてしまう。
また異母妹マリンの言いなりになって、父からほめられることもなく、メイドたちに見下される生活が私を待っている。
……はずなのに、私が目覚めると、部屋のすみに控えていたメイドが「おはようございます、お嬢様」と微笑みかけてくれた。
え? 私が起きるまで、ずっとそこにいたの?
「お嬢様、ターチェ伯爵様がいつでも良いので、お嬢様にご挨拶をしたいとのことです」
『ターチェ伯爵』という名前を聞いて、私は思わずゴクリとツバを飲み込んだ。
リオ様が私を連れてきたけど、この邸宅の主であるターチェ伯爵の許可はとっていない。伯爵夫人だって、『社交界の毒婦』なんて呼ばれている私をよく思っていないはず。
『今すぐ出ていけ!』と怒鳴られ追い出されても仕方がない。
まだターチェ伯爵から私の悪評を聞いていないのか、メイドは昨日と変わらず丁寧に私の身支度を整えてくれた。その際に、私がケガをしている肩や固定している右腕にふれないように細心の注意を払ってくれているのがわかる。
あとから来た二人目のメイドが申し訳なさそうに、私に白いワンピースを差し出した。
「大変申し訳ありませんが、こちらを着ていただけないでしょうか? オーレリアお嬢様のものです」
「オーレリアお嬢様?」
メイドが『オーレリアお嬢様』というのはターチェ伯爵の一人娘だと教えてくれる。そんなオーレリアお嬢様は、友好国の若き公爵に見染められて嫁いでいったらしい。
言われてみれば、数年前にそんな乙女の夢物語のようなことがあった。私が社交界デビューする前だったので詳しいことはわからないけど。
とにかくターチェ伯爵の娘さんの服をしばらく貸してくれるらしい。
そんなことをしていいのかしら? でもさすがにこれは、ターチェ伯爵の許可を取っているわよね?
私が夜会で着せられていたドレスは、片づけられてしまったようで見当たらない。まぁあんな趣味が悪い下品なドレス、強要されない限り着たいとは思わないけど。
私は有難くその白いワンピースを借りることにした。
ゆったりとした作りなので、右手を動かさなくても着ることができる。
一見シンプルなワンピースに見えるけど、細かくレースがあしらわれていて高級品なのだとわかる。
全身鏡には、懐かしい私が映し出されていた。
まだ母が生きていて、好きに服を選べていたころの私。なんだか久しぶりに、本当の自分に会えたような気がする。
鏡の中の私は、嬉しそうに微笑んでいた。あなたのそんな笑顔を見るのも久しぶりね。
子どものころは、私が笑うたびに母が頬をツンツンと優しくつついてくれた。母に抱きしめられて『あなたの笑顔、とっても素敵よ』と言われるのが大好きだった。
そんな大好きな母に、今の私はよく似ている。それがなんだか嬉しい。
メイドたちが「お似合いです、お嬢様」とほめてくれる。
「ありがとう」
なぜか頬を赤らめてうつむくメイドたち。
嫌われてしまったかしら? と思ったけど、彼女たちから敵意のようなものは感じない。実家のメイドたちのように、蔑むような視線を向けてくるわけでもないので気にしないことにした。
まぁ実家でも、私専属メイドのコニーだけは、私に良くしてくれているけどね。私が夜会に行ったきり帰ってこないから、今ごろ心配しているかも……。どうにかしてコニーにだけでも、私がここにいることを伝えないと。
朝の身支度が終わった。『私が会いに行きます』と伝えていたのに、ターチェ伯爵夫妻は、私が使わせてもらっている客室までわざわざ来てくれた。その後ろには、リオ様の姿もある。
ターチェ伯爵は、口ヒゲをたくわえた穏やかそうな紳士だった。ターチェ伯爵夫人には、昨晩、治療室でも会っているけど、こうして改めて見ると、金髪に紫色の瞳を持ったとても綺麗な女性だった。
リオ様が私に向かって「セレナ嬢、よく眠れましたか?」と声をかけると、ターチェ伯爵夫妻が、そろって大きく目を見開く。
ああ、そうだったわ。夜会に参加するときの私は、けばけばしい化粧に、はしたないドレスを着せられているから、今の落ち着いた姿とだいぶ違う。
そう考えると、私がどんな格好をしていようと、少しも態度が変わらないリオ様は変わっている。
ターチェ伯爵夫人に「あなた……セレナさん、よね? ファルトン伯爵家の」と尋ねられたので、私は「はい」と答えた。
ここには異母妹マリンがいないので、悪役の演技をしなくていいわよね?
リオ様が「ね、だから、昨日のセレナ嬢は、演技だと言ったでしょう?」と夫人に微笑みかけた。
そんなことを言っても、信じてもらえるわけないのに……。
「そうね。リオが正しかったようね。セレナさんが社交界の毒婦というのはウソだわ」
私がどれだけ訴えても信じてくれなかったことを、夫人はなぜかあっさりと信じた。
「ど、どうして、私のことを信じてくれるのですか?」
驚く私に、夫人はいたずらっ子のような笑みを向ける。
「ごめんなさいね。実は昨晩から、あなたをいろいろと試していたのよ」
邸宅に戻ると、夫人はメイド長から、リオ様が『セレナ様』というケガをしたお嬢様を連れてきましたという報告をうけたそうだ。
「夫と一緒に、もうビックリしちゃって! これは絶対に純粋なリオが、悪い女にたぶらかされたと思ったわ」
夫人がいうには、私の本性をリオにわからせるために、わざと若いメイドをつけて、私の身の回りの世話をさせていたらしい。
いくら私がリオ様の前で良い顔をしても、メイドにつらく当たる姿を見せれば目が覚めると思ったのだとか。
「あなたにつけたメイドたち、まだ経験が浅い子たちだから、何をするにも、もたついていたでしょう? それなのに、あなた、少しも怒らないんだもの。『怒るどころか、お礼を言ってもらいました』って、皆、感動していたわよ」
「少しも気がつきませんでした……。すごく良くしていただいたので」
リオ様が「叔母さん、そんなことをしていたんですか?」とあきれている。
「だって、セレナさん、社交界の毒婦なんて呼ばれているんだもの。毒婦よ、毒婦! 何をしたらそんな風に呼ばれるのよ! 警戒して当たり前でしょう!?」
ターチェ伯爵は「まぁまぁ」と言いながら夫人をなだめている。
「私もセレナさんは、ウワサと違うと思うね。だって、私たちが来たら、ケガをしているのにわざわざソファーから立ち上がって迎え入れてくれたもの。それに、本当に悪い女性なら、ケガをさせられたことで、私たちを脅すくらいはしているんじゃないかな?」
信じてもらえてうれしいはずなのに、なんだか今の状況を私のほうが信じられない。
「……それも演技だとは思いませんか? あなた達をだますために、良い人のふりをしているのかも……」
私の問いにターチェ伯爵や夫人、リオ様が顔を見合わせた。
「私たちは、人を見る目はあるほうだよ。社交界はウソが多いからね」
「叔父さん。だから、俺がずっとそうだって言っているじゃないですか」
「はは、そうだね。リオくんの言う通りだった」
「でしょう? セレナ嬢は、社交界の毒婦なんかじゃないって」
――ウワサはすべてウソだ。あなたは、社交界の毒婦なんかじゃない。
それは私がずっと誰かに言ってほしかった言葉。
夫人も「何かいろいろ事情がありそうねぇ。こんな若い娘(こ)が可哀想に。私たちに何かできることはないかしら?」と言ってくれた。
目頭が熱くなり、涙があふれそうになってしまう。私がうつむくと、リオ様がそっと私の左肩にふれた。
「セレナ嬢、泣かないで。あなたは笑っているほうが良い。その……あなたの笑顔は、とても素敵だから」
リオ様の言葉が、亡き母の声と重なる。
――あなたの笑顔、とっても素敵よ。
もう我慢できない。こらえきれずにこぼれた涙が、私の頬を伝っていく。
私が泣いている間、リオ様は大きな手で、ずっと私の背中を優しくなでてくれていた。
また異母妹マリンの言いなりになって、父からほめられることもなく、メイドたちに見下される生活が私を待っている。
……はずなのに、私が目覚めると、部屋のすみに控えていたメイドが「おはようございます、お嬢様」と微笑みかけてくれた。
え? 私が起きるまで、ずっとそこにいたの?
「お嬢様、ターチェ伯爵様がいつでも良いので、お嬢様にご挨拶をしたいとのことです」
『ターチェ伯爵』という名前を聞いて、私は思わずゴクリとツバを飲み込んだ。
リオ様が私を連れてきたけど、この邸宅の主であるターチェ伯爵の許可はとっていない。伯爵夫人だって、『社交界の毒婦』なんて呼ばれている私をよく思っていないはず。
『今すぐ出ていけ!』と怒鳴られ追い出されても仕方がない。
まだターチェ伯爵から私の悪評を聞いていないのか、メイドは昨日と変わらず丁寧に私の身支度を整えてくれた。その際に、私がケガをしている肩や固定している右腕にふれないように細心の注意を払ってくれているのがわかる。
あとから来た二人目のメイドが申し訳なさそうに、私に白いワンピースを差し出した。
「大変申し訳ありませんが、こちらを着ていただけないでしょうか? オーレリアお嬢様のものです」
「オーレリアお嬢様?」
メイドが『オーレリアお嬢様』というのはターチェ伯爵の一人娘だと教えてくれる。そんなオーレリアお嬢様は、友好国の若き公爵に見染められて嫁いでいったらしい。
言われてみれば、数年前にそんな乙女の夢物語のようなことがあった。私が社交界デビューする前だったので詳しいことはわからないけど。
とにかくターチェ伯爵の娘さんの服をしばらく貸してくれるらしい。
そんなことをしていいのかしら? でもさすがにこれは、ターチェ伯爵の許可を取っているわよね?
私が夜会で着せられていたドレスは、片づけられてしまったようで見当たらない。まぁあんな趣味が悪い下品なドレス、強要されない限り着たいとは思わないけど。
私は有難くその白いワンピースを借りることにした。
ゆったりとした作りなので、右手を動かさなくても着ることができる。
一見シンプルなワンピースに見えるけど、細かくレースがあしらわれていて高級品なのだとわかる。
全身鏡には、懐かしい私が映し出されていた。
まだ母が生きていて、好きに服を選べていたころの私。なんだか久しぶりに、本当の自分に会えたような気がする。
鏡の中の私は、嬉しそうに微笑んでいた。あなたのそんな笑顔を見るのも久しぶりね。
子どものころは、私が笑うたびに母が頬をツンツンと優しくつついてくれた。母に抱きしめられて『あなたの笑顔、とっても素敵よ』と言われるのが大好きだった。
そんな大好きな母に、今の私はよく似ている。それがなんだか嬉しい。
メイドたちが「お似合いです、お嬢様」とほめてくれる。
「ありがとう」
なぜか頬を赤らめてうつむくメイドたち。
嫌われてしまったかしら? と思ったけど、彼女たちから敵意のようなものは感じない。実家のメイドたちのように、蔑むような視線を向けてくるわけでもないので気にしないことにした。
まぁ実家でも、私専属メイドのコニーだけは、私に良くしてくれているけどね。私が夜会に行ったきり帰ってこないから、今ごろ心配しているかも……。どうにかしてコニーにだけでも、私がここにいることを伝えないと。
朝の身支度が終わった。『私が会いに行きます』と伝えていたのに、ターチェ伯爵夫妻は、私が使わせてもらっている客室までわざわざ来てくれた。その後ろには、リオ様の姿もある。
ターチェ伯爵は、口ヒゲをたくわえた穏やかそうな紳士だった。ターチェ伯爵夫人には、昨晩、治療室でも会っているけど、こうして改めて見ると、金髪に紫色の瞳を持ったとても綺麗な女性だった。
リオ様が私に向かって「セレナ嬢、よく眠れましたか?」と声をかけると、ターチェ伯爵夫妻が、そろって大きく目を見開く。
ああ、そうだったわ。夜会に参加するときの私は、けばけばしい化粧に、はしたないドレスを着せられているから、今の落ち着いた姿とだいぶ違う。
そう考えると、私がどんな格好をしていようと、少しも態度が変わらないリオ様は変わっている。
ターチェ伯爵夫人に「あなた……セレナさん、よね? ファルトン伯爵家の」と尋ねられたので、私は「はい」と答えた。
ここには異母妹マリンがいないので、悪役の演技をしなくていいわよね?
リオ様が「ね、だから、昨日のセレナ嬢は、演技だと言ったでしょう?」と夫人に微笑みかけた。
そんなことを言っても、信じてもらえるわけないのに……。
「そうね。リオが正しかったようね。セレナさんが社交界の毒婦というのはウソだわ」
私がどれだけ訴えても信じてくれなかったことを、夫人はなぜかあっさりと信じた。
「ど、どうして、私のことを信じてくれるのですか?」
驚く私に、夫人はいたずらっ子のような笑みを向ける。
「ごめんなさいね。実は昨晩から、あなたをいろいろと試していたのよ」
邸宅に戻ると、夫人はメイド長から、リオ様が『セレナ様』というケガをしたお嬢様を連れてきましたという報告をうけたそうだ。
「夫と一緒に、もうビックリしちゃって! これは絶対に純粋なリオが、悪い女にたぶらかされたと思ったわ」
夫人がいうには、私の本性をリオにわからせるために、わざと若いメイドをつけて、私の身の回りの世話をさせていたらしい。
いくら私がリオ様の前で良い顔をしても、メイドにつらく当たる姿を見せれば目が覚めると思ったのだとか。
「あなたにつけたメイドたち、まだ経験が浅い子たちだから、何をするにも、もたついていたでしょう? それなのに、あなた、少しも怒らないんだもの。『怒るどころか、お礼を言ってもらいました』って、皆、感動していたわよ」
「少しも気がつきませんでした……。すごく良くしていただいたので」
リオ様が「叔母さん、そんなことをしていたんですか?」とあきれている。
「だって、セレナさん、社交界の毒婦なんて呼ばれているんだもの。毒婦よ、毒婦! 何をしたらそんな風に呼ばれるのよ! 警戒して当たり前でしょう!?」
ターチェ伯爵は「まぁまぁ」と言いながら夫人をなだめている。
「私もセレナさんは、ウワサと違うと思うね。だって、私たちが来たら、ケガをしているのにわざわざソファーから立ち上がって迎え入れてくれたもの。それに、本当に悪い女性なら、ケガをさせられたことで、私たちを脅すくらいはしているんじゃないかな?」
信じてもらえてうれしいはずなのに、なんだか今の状況を私のほうが信じられない。
「……それも演技だとは思いませんか? あなた達をだますために、良い人のふりをしているのかも……」
私の問いにターチェ伯爵や夫人、リオ様が顔を見合わせた。
「私たちは、人を見る目はあるほうだよ。社交界はウソが多いからね」
「叔父さん。だから、俺がずっとそうだって言っているじゃないですか」
「はは、そうだね。リオくんの言う通りだった」
「でしょう? セレナ嬢は、社交界の毒婦なんかじゃないって」
――ウワサはすべてウソだ。あなたは、社交界の毒婦なんかじゃない。
それは私がずっと誰かに言ってほしかった言葉。
夫人も「何かいろいろ事情がありそうねぇ。こんな若い娘(こ)が可哀想に。私たちに何かできることはないかしら?」と言ってくれた。
目頭が熱くなり、涙があふれそうになってしまう。私がうつむくと、リオ様がそっと私の左肩にふれた。
「セレナ嬢、泣かないで。あなたは笑っているほうが良い。その……あなたの笑顔は、とても素敵だから」
リオ様の言葉が、亡き母の声と重なる。
――あなたの笑顔、とっても素敵よ。
もう我慢できない。こらえきれずにこぼれた涙が、私の頬を伝っていく。
私が泣いている間、リオ様は大きな手で、ずっと私の背中を優しくなでてくれていた。