春が追い付く二拍手前。
第五章 水無月
時は早いもので、彼女は二十三歳となった。
私たちが出会ってから、十年以上がたった。彼女は研究者として、若いながらもその方面で名を上げていっていた。
そんな彼女の功績を、私は自分のことのように誇らしく思っていた。
「……私の研究が認められるのは、素直に言えばうれしいことだが、やっかんだ者たちが親の七光りだとかいうんだよ。
まったく。あの男は、家の中ですら、すがたかたちがないのに、どう光を借りろというんだ」
「ほんとですねえ」
梅雨の中明けの、月の綺麗な夜。私は延々と彼女から愚痴を聞かされた。だが、先程からずっと、彼女の膝の上でブラッシングをしてもらっているので悪い気はしない。
「それにしても、ほんとに月が綺麗ですねえ。梅雨の合間とは思えないほど」
「本当だな。……でも、フユ。そのセリフは色々と誤解されかねない言葉だから、今後は無暗に使うなよ」
訳が分からなくて、首をかしげる私に、彼女は言う。
「『月が綺麗ですね。』というのは、状況が状況であれば、『I love you.』、『あなたを愛しています。』の意味になるからね」
「そういえば、そうでしたね。昔の偉い文豪さんが、そう言ったんでしたっけね」
「そうだ。……まあ、ロボットのお前なら、人間といる時にうっかり使ったところで、勘違いなんてされないから、安心しろ」
「……」
彼女のその口調は、どこか、引っ掛かりがあった。
一方、私は、彼女とは違う種族――人間ではない存在として、壁を作って言われているような気がして、なぜか心が寂しく、切なくなった。
しかし、なぜ彼女も、切なそうな顔をしているのだろうか。
「ああそうだ。フユ、今度の日曜日、庭にもう一本ライラックを植えようと思うんだ。一旦、雨足が弱るらしい。
夏になる前に、根付いてほしいから、梅雨の間に植えたくて。でも仕事が忙しくてな……今日やっと買えたんだ」
「落葉樹は、冬の間に植える方がいいんじゃありませんでしたっけ?」
確か、本にそう書いてあった気がする。すると、彼女は、「……いや、その」と、目をかすかにそらせた。
「……ああ、冬まで待ちきれないということですか」
「……ああ、まあ、そうだな」
こういう、彼女の素直なところが、出会った頃よりも、自分の前だけで増えてくるのは、うれしいものでもある。
何だか、私は嬉しく、得意げな気分になった。
「紫のライラックだけじゃ、面白くないから、桃色を買ってきたんだ」
「桃色ですか。いつも紫だから、どんな花が咲くか楽しみですね」
「ああ」
彼女は、ふふとほほ笑んだ。
「赤色も売ってあったぞ? ……だけど、庭のスペースがあまりにも狭くなるから、どっちかを選ばなければと、究極の選択をしてきた」
「究極って……その言葉は、カレー味のアレと、アレ味のカレーに使うものですよ。にしても、ライラック、本当に好きですね」
「ああ、お母さんの好きだった木だからな」
彼女は、愛おしそうに、しかしどこか寂しそうに、庭を見下ろした。私はなんとなく彼女の気持ちが痛いほど分かって、そっと彼女の体にすり寄った。
「……大事にしていきましょうね。私もお世話のお手伝いをしますから」
私だけは、ずっとお傍にいますよ。
そんな意味と願いを込めたのは、彼女に伝わったのだろう。
「ああ……」
彼女は頷くと、私の頭をそっと撫でた。そして、ぽそりとつぶやく。
「お前は、優しいな」
「……何ですか急に? 今更、私の素晴らしさが身に沁みましたか?」
「……何だか、謙遜されないというのも腹が立つな。前言撤回だ。やっぱりお前はポンコツだ」
「何ですか、それ。ひどい」
私が手を目にやって泣きまねをしてみせると、彼女は「さあ、さっさと寝るぞ」と私を膝から、払い落とした。やっぱり、彼女はひどい。けれど、ちゃんと布団をめくって、私が入るのを待ってくれている。
ふと、ベランダのカギがかかっていないことに気づいて、私は慌てて閉めに行こうとした。だけど、後ろ足を引っ張られて止められる。
「もう眠いんだ。ほっとけ」
「ですが、大変不用心で危ないですよ」
「別にここは三階だから気にしなくてもいいのに」
「三階だろうと、入ってくる泥棒は入ってくるんですよ。それに、あなたもうら若い乙女なんですから、不埒な野郎どもに汚されたりなどしないよう、御自分の身のことも考えてください」
「……」
なんだろう。彼女は、今までに見たことのないような表情で、自分を見てくる。
何の表情だろうと不思議に思っていると、彼女が口を開いた。
「……なあ、フユ。お前には、私ってどう見える?」
「どうって、どういうことです?」
「いや、その、外見というか」
「外見ですか?」
問い返すと、何だか、彼女は緊張した面持ちで、布団の上で正座した。
「……?」
何をそんなに改まっているのだろう。とりあえず、思ったままを言う事にした。
「今まで私が見てきた女性の顔のデータ上では、上の中ですね。要するに、綺麗です。
今まで、まったく無頓着だった割に、何故こうも綺麗に育つかと、泥の中に咲く蓮を見た気分です」
正しくは、機械の残骸部屋――化野か鳥部野の中に咲く蓮ではあるが。
そう正直に言ったら、おそらく殺されるだろう。
「……っ!」
すると、彼女が、ぼっと顔を赤くした。
――へ?
つっこまれるために、嫌みを混ぜたつもりなのに。
「……なあ、お前にとって、私って何?」
何故彼女がそんな顔をしたのか不思議に考えていると、その答えも出ぬ間に、次の質問が来た。
「私って何?」とはどういう意味だろう?
要するに、どういう存在かってこと?
「大切な、ご主人様ですが」
「……」
すると、ちょっと膨れた。何か、気に障らなかったのだろうか?
ちょっとだけ唇を尖らせて、目線をそらしていじけている。
「もういい……寝る。」
彼女は、強引に私を抱き寄せると、掛け布団をひっかぶった。
「……ああっ、だから、鍵っ!」
だけど、彼女がギュッと抱いて離してくれないので、閉めに行くことができない。
彼女が、ベランダに背を向けて寝ながら、言う。
「大丈夫だ。私の部屋に関しては鉄壁にしてあるからな。空き巣か狼藉に入ろうものなら、自動的に人生終了するようにしてある」
「……と言うと?」
すると、彼女はどこか誇らしげに言った。
「この部屋には、隠しカメラが無数にあってな。この部屋に、顔認証登録していない者が入ろうものなら、自動で音声と映像の記録を開始して、自動的に全世界へ中継だ」
「は……?」
訳が分からず首をかしげる私に、彼女は言う。
「顔認証システムに登録してある使用人たちと、私とお前以外が入るとな、自動でランダムなメールアドレスを作成して……後、ネットから適当なメールアドレスを検索して……ちょっとしたからくりを仕掛けたメールを送るようになっている。
そのメールを開いたスマホなりパソコンは、この部屋の中で馬鹿を働くバカを見る事ができるようになる。
そして、さらに。そのパソコンやスマホに登録してあるメールアドレス相手にも、からくりメールのコピーをばらまかせるおまけつきだ。
この部屋を出ていくまで録画と配信は続くし、さらに出て行ってからは、保存した記録をコピーして、再びメールでばらまきつづける。要するに、社会的に抹殺ってことさ」
「……ちょっと私、そんなこと今まで知りませんでしたけど?」
カメラはどこにあったかも知らない。と思った私に、彼女はにやりと笑う。
「カメラもマイクも、そこかしこに在ってだな。様々なアングルから、撮影と配信可能だ。……例えばお前が、いつも昼寝に抱き着いて寝ているクッション。あれもその一つだ」
「……っ、ちょっと、あんた! 人のお気に入りに何仕込んでんですか?!」
これからは、あのクッションを抱いて眠れなくなってしまう。あの柔らかさが絶妙だったのに。ひどいひどいと言う私に、彼女は「知らん」と無慈悲に言った。
「クッションがなければ、こうやって私に抱き着いて寝ていればいいだろう?」
彼女は、ぽんぽんと、私の背をたたいた。
う~ん、確かに悪くないけれどなあ。
「いいんですけれど、なんだか、たまに変な心地がするんですよねえ。なんだか、心がざわざわするというか……妙に癖になりそうな。だから怖いというか」
「……」
すると彼女は、何だか、ちょっと嬉しそうな顔をした。
「どうしたんですか?」
「へっ? い、いや、まあな……」
彼女は、熱帯夜だからなあ、と、手で顔を仰ぐふうをした。データで見ると、今日は、割と過ごしやすい気温と湿度のはずなのだが。
「まあ、とにかく、私の部屋は絶対安心だということだ」
「ある意味、別の危険と隣り合わせの、結局は危険極まりない部屋ですがね」
私は、あきれ混じりのため息をつきながら言った。
「ちなみに、私の父は登録外だ」
「……そうかと思ってましたよ……」
「いつ、あいつの人生終了になるか、楽しみで楽しみで仕方がないんだが、残念ながら奴は、今までこの部屋へ来たことがないんだ」
にやにやと笑うところを見るに、本当は空き巣よりも、それが狙いで仕掛けたのではないだろうかと思う。
「頭脳と技術の無駄遣いだ……」
そうぼやけば、「無駄遣いこそ、発明の母だ」と、開き直られた。
「へいへい」と相槌を打てば、こつんと殴られる。
かと思えば、ギュッと抱きしめて、頬を私の頭にこすりつけてきた。
「……」
そうしてじっとしていると、やがて、寝息が頭の後ろから聞こえてくる。
力の抜けた腕の中、そっと振り返れば、大人になったはずなのに、昔とは変わっていない、間の抜けた寝顔があった。
「こうしていれば、可愛いんですけれどね」
口を開けば、屁理屈嫌みばかりの彼女でも、寝ている時の姿は素直な子供そのものだ。
――これを見られるのも、私だけの特権。
そう思うと、何だか誇らしく、
そして、何だかとてもうれしく、
自身だけが、彼女に選ばれ、
世界で一番、彼女の傍にいられる特別な存在になったかのような気がして――
私は、ふふっと微笑む。
彼女は、なんだかんだ言いつつも、私を大切にしてくれている。
主人と下僕かペットという関係でありつつも、彼女は私を対等な友達とし、
私も彼女をそうであると思ってきた。
そんな彼女との、穏やかな日々。
そんな日々がずっとこれからも続いていくと、信じていた――。
私たちが出会ってから、十年以上がたった。彼女は研究者として、若いながらもその方面で名を上げていっていた。
そんな彼女の功績を、私は自分のことのように誇らしく思っていた。
「……私の研究が認められるのは、素直に言えばうれしいことだが、やっかんだ者たちが親の七光りだとかいうんだよ。
まったく。あの男は、家の中ですら、すがたかたちがないのに、どう光を借りろというんだ」
「ほんとですねえ」
梅雨の中明けの、月の綺麗な夜。私は延々と彼女から愚痴を聞かされた。だが、先程からずっと、彼女の膝の上でブラッシングをしてもらっているので悪い気はしない。
「それにしても、ほんとに月が綺麗ですねえ。梅雨の合間とは思えないほど」
「本当だな。……でも、フユ。そのセリフは色々と誤解されかねない言葉だから、今後は無暗に使うなよ」
訳が分からなくて、首をかしげる私に、彼女は言う。
「『月が綺麗ですね。』というのは、状況が状況であれば、『I love you.』、『あなたを愛しています。』の意味になるからね」
「そういえば、そうでしたね。昔の偉い文豪さんが、そう言ったんでしたっけね」
「そうだ。……まあ、ロボットのお前なら、人間といる時にうっかり使ったところで、勘違いなんてされないから、安心しろ」
「……」
彼女のその口調は、どこか、引っ掛かりがあった。
一方、私は、彼女とは違う種族――人間ではない存在として、壁を作って言われているような気がして、なぜか心が寂しく、切なくなった。
しかし、なぜ彼女も、切なそうな顔をしているのだろうか。
「ああそうだ。フユ、今度の日曜日、庭にもう一本ライラックを植えようと思うんだ。一旦、雨足が弱るらしい。
夏になる前に、根付いてほしいから、梅雨の間に植えたくて。でも仕事が忙しくてな……今日やっと買えたんだ」
「落葉樹は、冬の間に植える方がいいんじゃありませんでしたっけ?」
確か、本にそう書いてあった気がする。すると、彼女は、「……いや、その」と、目をかすかにそらせた。
「……ああ、冬まで待ちきれないということですか」
「……ああ、まあ、そうだな」
こういう、彼女の素直なところが、出会った頃よりも、自分の前だけで増えてくるのは、うれしいものでもある。
何だか、私は嬉しく、得意げな気分になった。
「紫のライラックだけじゃ、面白くないから、桃色を買ってきたんだ」
「桃色ですか。いつも紫だから、どんな花が咲くか楽しみですね」
「ああ」
彼女は、ふふとほほ笑んだ。
「赤色も売ってあったぞ? ……だけど、庭のスペースがあまりにも狭くなるから、どっちかを選ばなければと、究極の選択をしてきた」
「究極って……その言葉は、カレー味のアレと、アレ味のカレーに使うものですよ。にしても、ライラック、本当に好きですね」
「ああ、お母さんの好きだった木だからな」
彼女は、愛おしそうに、しかしどこか寂しそうに、庭を見下ろした。私はなんとなく彼女の気持ちが痛いほど分かって、そっと彼女の体にすり寄った。
「……大事にしていきましょうね。私もお世話のお手伝いをしますから」
私だけは、ずっとお傍にいますよ。
そんな意味と願いを込めたのは、彼女に伝わったのだろう。
「ああ……」
彼女は頷くと、私の頭をそっと撫でた。そして、ぽそりとつぶやく。
「お前は、優しいな」
「……何ですか急に? 今更、私の素晴らしさが身に沁みましたか?」
「……何だか、謙遜されないというのも腹が立つな。前言撤回だ。やっぱりお前はポンコツだ」
「何ですか、それ。ひどい」
私が手を目にやって泣きまねをしてみせると、彼女は「さあ、さっさと寝るぞ」と私を膝から、払い落とした。やっぱり、彼女はひどい。けれど、ちゃんと布団をめくって、私が入るのを待ってくれている。
ふと、ベランダのカギがかかっていないことに気づいて、私は慌てて閉めに行こうとした。だけど、後ろ足を引っ張られて止められる。
「もう眠いんだ。ほっとけ」
「ですが、大変不用心で危ないですよ」
「別にここは三階だから気にしなくてもいいのに」
「三階だろうと、入ってくる泥棒は入ってくるんですよ。それに、あなたもうら若い乙女なんですから、不埒な野郎どもに汚されたりなどしないよう、御自分の身のことも考えてください」
「……」
なんだろう。彼女は、今までに見たことのないような表情で、自分を見てくる。
何の表情だろうと不思議に思っていると、彼女が口を開いた。
「……なあ、フユ。お前には、私ってどう見える?」
「どうって、どういうことです?」
「いや、その、外見というか」
「外見ですか?」
問い返すと、何だか、彼女は緊張した面持ちで、布団の上で正座した。
「……?」
何をそんなに改まっているのだろう。とりあえず、思ったままを言う事にした。
「今まで私が見てきた女性の顔のデータ上では、上の中ですね。要するに、綺麗です。
今まで、まったく無頓着だった割に、何故こうも綺麗に育つかと、泥の中に咲く蓮を見た気分です」
正しくは、機械の残骸部屋――化野か鳥部野の中に咲く蓮ではあるが。
そう正直に言ったら、おそらく殺されるだろう。
「……っ!」
すると、彼女が、ぼっと顔を赤くした。
――へ?
つっこまれるために、嫌みを混ぜたつもりなのに。
「……なあ、お前にとって、私って何?」
何故彼女がそんな顔をしたのか不思議に考えていると、その答えも出ぬ間に、次の質問が来た。
「私って何?」とはどういう意味だろう?
要するに、どういう存在かってこと?
「大切な、ご主人様ですが」
「……」
すると、ちょっと膨れた。何か、気に障らなかったのだろうか?
ちょっとだけ唇を尖らせて、目線をそらしていじけている。
「もういい……寝る。」
彼女は、強引に私を抱き寄せると、掛け布団をひっかぶった。
「……ああっ、だから、鍵っ!」
だけど、彼女がギュッと抱いて離してくれないので、閉めに行くことができない。
彼女が、ベランダに背を向けて寝ながら、言う。
「大丈夫だ。私の部屋に関しては鉄壁にしてあるからな。空き巣か狼藉に入ろうものなら、自動的に人生終了するようにしてある」
「……と言うと?」
すると、彼女はどこか誇らしげに言った。
「この部屋には、隠しカメラが無数にあってな。この部屋に、顔認証登録していない者が入ろうものなら、自動で音声と映像の記録を開始して、自動的に全世界へ中継だ」
「は……?」
訳が分からず首をかしげる私に、彼女は言う。
「顔認証システムに登録してある使用人たちと、私とお前以外が入るとな、自動でランダムなメールアドレスを作成して……後、ネットから適当なメールアドレスを検索して……ちょっとしたからくりを仕掛けたメールを送るようになっている。
そのメールを開いたスマホなりパソコンは、この部屋の中で馬鹿を働くバカを見る事ができるようになる。
そして、さらに。そのパソコンやスマホに登録してあるメールアドレス相手にも、からくりメールのコピーをばらまかせるおまけつきだ。
この部屋を出ていくまで録画と配信は続くし、さらに出て行ってからは、保存した記録をコピーして、再びメールでばらまきつづける。要するに、社会的に抹殺ってことさ」
「……ちょっと私、そんなこと今まで知りませんでしたけど?」
カメラはどこにあったかも知らない。と思った私に、彼女はにやりと笑う。
「カメラもマイクも、そこかしこに在ってだな。様々なアングルから、撮影と配信可能だ。……例えばお前が、いつも昼寝に抱き着いて寝ているクッション。あれもその一つだ」
「……っ、ちょっと、あんた! 人のお気に入りに何仕込んでんですか?!」
これからは、あのクッションを抱いて眠れなくなってしまう。あの柔らかさが絶妙だったのに。ひどいひどいと言う私に、彼女は「知らん」と無慈悲に言った。
「クッションがなければ、こうやって私に抱き着いて寝ていればいいだろう?」
彼女は、ぽんぽんと、私の背をたたいた。
う~ん、確かに悪くないけれどなあ。
「いいんですけれど、なんだか、たまに変な心地がするんですよねえ。なんだか、心がざわざわするというか……妙に癖になりそうな。だから怖いというか」
「……」
すると彼女は、何だか、ちょっと嬉しそうな顔をした。
「どうしたんですか?」
「へっ? い、いや、まあな……」
彼女は、熱帯夜だからなあ、と、手で顔を仰ぐふうをした。データで見ると、今日は、割と過ごしやすい気温と湿度のはずなのだが。
「まあ、とにかく、私の部屋は絶対安心だということだ」
「ある意味、別の危険と隣り合わせの、結局は危険極まりない部屋ですがね」
私は、あきれ混じりのため息をつきながら言った。
「ちなみに、私の父は登録外だ」
「……そうかと思ってましたよ……」
「いつ、あいつの人生終了になるか、楽しみで楽しみで仕方がないんだが、残念ながら奴は、今までこの部屋へ来たことがないんだ」
にやにやと笑うところを見るに、本当は空き巣よりも、それが狙いで仕掛けたのではないだろうかと思う。
「頭脳と技術の無駄遣いだ……」
そうぼやけば、「無駄遣いこそ、発明の母だ」と、開き直られた。
「へいへい」と相槌を打てば、こつんと殴られる。
かと思えば、ギュッと抱きしめて、頬を私の頭にこすりつけてきた。
「……」
そうしてじっとしていると、やがて、寝息が頭の後ろから聞こえてくる。
力の抜けた腕の中、そっと振り返れば、大人になったはずなのに、昔とは変わっていない、間の抜けた寝顔があった。
「こうしていれば、可愛いんですけれどね」
口を開けば、屁理屈嫌みばかりの彼女でも、寝ている時の姿は素直な子供そのものだ。
――これを見られるのも、私だけの特権。
そう思うと、何だか誇らしく、
そして、何だかとてもうれしく、
自身だけが、彼女に選ばれ、
世界で一番、彼女の傍にいられる特別な存在になったかのような気がして――
私は、ふふっと微笑む。
彼女は、なんだかんだ言いつつも、私を大切にしてくれている。
主人と下僕かペットという関係でありつつも、彼女は私を対等な友達とし、
私も彼女をそうであると思ってきた。
そんな彼女との、穏やかな日々。
そんな日々がずっとこれからも続いていくと、信じていた――。