春が追い付く二拍手前。
その日の、深夜だった。
電話が鳴った。
私はたまたまその日、起きていた。桜さんの寝相がひどいので蹴とばされ、『異常振動あり』と自動起動――起きてしまったのだ。そして、仕方なく布団を直していた時だった。
電話には柾が出たらしかった。遠くでぼそぼそと何かを話しているが、真剣な声音を聞いていると、おそらく良い話ではないだろう。そうこうしているうちに、電話を終えた柾の足音がもみ路さんの部屋のほうに向かい――そして、私のいる部屋に向かっていることに気づいた。
「フユ、起きてるか」
「……はい。」
ドアが開くと、柾ともみ路さんがいた。
柾は、桜さんを起こさないようにか、落ち着き払っていた。しかし、抑えきれない焦燥が言動に表れている。
桜さんの部屋のドアを閉じると、柾は、私を自身の部屋へと連れて行った。そして、「落ち着いて聞いてほしい」と言った。
「ハルが、事故にあった。横断歩道を渡っていたところをはねられたらしい。あいつの実家の使用人さんから連絡があった」
「……!」
驚いて声も出せない私に、柾は「時間がない」と服を着替え始めた。
「今、ここから一時間ほどかかる所の病院にいる。急がないと、間に合わない」
「……」
――『間に合わない』?
――何が?
そう思いながらも、私には分かっていた。ただ、信じたくなかっただけだ。
「すまない、こんな大事な時に。後を頼む」
「フユちゃんの為ですもの。私は大丈夫。気をつけてね、柾さん」
もみ路さんがそう言うと、私をひっつかむかのようにして連れて、柾は玄関を出た。
扉が閉まる直前、お腹の膨らんだもみ路さんが、私をとても悲しそうな目で見ていた。
その目で確信した。信じたくなくても、理解してしまった。
ああ、彼女は、もう
「……柾、スピード落としてください」
私は、無言で車を飛ばす柾に、やっとのことで口を開いた。
しかし、柾は前を見たまま、何も言わない。
「……このままだと、事故を起こしますよ。もみ路さんが大事な時に、あなたに何かあれば、私はもみ路さんや桜さんに合わせる顔がありません」
「……大丈夫だ。ちゃんと、信号は守ってる」
「スピードは違反じゃないですか。信号も点滅しているだけで。
柾、落ち着いてください。死んでいく人間より、自分の家族――これから生まれる人間のことを思ってください」
そう言いつつも、私は思う。自身の大切な人がいなくなるというのに、こんなにも冷静である自分が嫌だ。
彼女は大事だ。だけど、柾も大事だ。そして、もみ路さんと桜さんと、新たに生まれてくる赤ちゃんも、大事だ。
だけど、彼女は、もう助からない。ならば、失われる命より、これからを生きる命を優先しなければならない。
こう思うのも自身がロボットであるからか。
不安におののく心臓がないから、混乱する脳がないから、体がないから、
彼女に対して、こんな時にこうも冷酷で在れるのか。
いや、そもそも私には、感情だって――
「お前は……」
すると、ちょうど赤信号で止まった柾は、泣きそうな顔でこちらを見た。
「なんで……なんで、こんな時まで、お前はそんなにできた人間なんだよ……」
――人間?
―私が、人間……?
柾は、ハンドルに殴り掛かるかのようにして、突っ伏した。
「あいつに早く会いたいから、俺にもっと飛ばせって言えるのに。あいつが死んじゃうって、わあわあ泣き叫んでも、我を失って暴れても、誰も文句は言えないのに……なんでお前はッ……そんなに優しい人間なんだ。
なんでお前は人間なのに、人間じゃないんだ。なんで神様は、お前を人間で生まれさせてくれなかったんだ。なんでハルは、お前にもっと早く出会えなかったんだ。なんで。なんで。なんで」
「……」
「神様は……、本当に、いないのか?」
「……」
私は、何も、言えなかった。
「いないだったら、いないでいいさ」
柾は、前を睨みつけるように見ると、アクセルを踏んだ。信号はまだ変わってはいない。
「俺らはそれでも、生きるしかない」
電話が鳴った。
私はたまたまその日、起きていた。桜さんの寝相がひどいので蹴とばされ、『異常振動あり』と自動起動――起きてしまったのだ。そして、仕方なく布団を直していた時だった。
電話には柾が出たらしかった。遠くでぼそぼそと何かを話しているが、真剣な声音を聞いていると、おそらく良い話ではないだろう。そうこうしているうちに、電話を終えた柾の足音がもみ路さんの部屋のほうに向かい――そして、私のいる部屋に向かっていることに気づいた。
「フユ、起きてるか」
「……はい。」
ドアが開くと、柾ともみ路さんがいた。
柾は、桜さんを起こさないようにか、落ち着き払っていた。しかし、抑えきれない焦燥が言動に表れている。
桜さんの部屋のドアを閉じると、柾は、私を自身の部屋へと連れて行った。そして、「落ち着いて聞いてほしい」と言った。
「ハルが、事故にあった。横断歩道を渡っていたところをはねられたらしい。あいつの実家の使用人さんから連絡があった」
「……!」
驚いて声も出せない私に、柾は「時間がない」と服を着替え始めた。
「今、ここから一時間ほどかかる所の病院にいる。急がないと、間に合わない」
「……」
――『間に合わない』?
――何が?
そう思いながらも、私には分かっていた。ただ、信じたくなかっただけだ。
「すまない、こんな大事な時に。後を頼む」
「フユちゃんの為ですもの。私は大丈夫。気をつけてね、柾さん」
もみ路さんがそう言うと、私をひっつかむかのようにして連れて、柾は玄関を出た。
扉が閉まる直前、お腹の膨らんだもみ路さんが、私をとても悲しそうな目で見ていた。
その目で確信した。信じたくなくても、理解してしまった。
ああ、彼女は、もう
「……柾、スピード落としてください」
私は、無言で車を飛ばす柾に、やっとのことで口を開いた。
しかし、柾は前を見たまま、何も言わない。
「……このままだと、事故を起こしますよ。もみ路さんが大事な時に、あなたに何かあれば、私はもみ路さんや桜さんに合わせる顔がありません」
「……大丈夫だ。ちゃんと、信号は守ってる」
「スピードは違反じゃないですか。信号も点滅しているだけで。
柾、落ち着いてください。死んでいく人間より、自分の家族――これから生まれる人間のことを思ってください」
そう言いつつも、私は思う。自身の大切な人がいなくなるというのに、こんなにも冷静である自分が嫌だ。
彼女は大事だ。だけど、柾も大事だ。そして、もみ路さんと桜さんと、新たに生まれてくる赤ちゃんも、大事だ。
だけど、彼女は、もう助からない。ならば、失われる命より、これからを生きる命を優先しなければならない。
こう思うのも自身がロボットであるからか。
不安におののく心臓がないから、混乱する脳がないから、体がないから、
彼女に対して、こんな時にこうも冷酷で在れるのか。
いや、そもそも私には、感情だって――
「お前は……」
すると、ちょうど赤信号で止まった柾は、泣きそうな顔でこちらを見た。
「なんで……なんで、こんな時まで、お前はそんなにできた人間なんだよ……」
――人間?
―私が、人間……?
柾は、ハンドルに殴り掛かるかのようにして、突っ伏した。
「あいつに早く会いたいから、俺にもっと飛ばせって言えるのに。あいつが死んじゃうって、わあわあ泣き叫んでも、我を失って暴れても、誰も文句は言えないのに……なんでお前はッ……そんなに優しい人間なんだ。
なんでお前は人間なのに、人間じゃないんだ。なんで神様は、お前を人間で生まれさせてくれなかったんだ。なんでハルは、お前にもっと早く出会えなかったんだ。なんで。なんで。なんで」
「……」
「神様は……、本当に、いないのか?」
「……」
私は、何も、言えなかった。
「いないだったら、いないでいいさ」
柾は、前を睨みつけるように見ると、アクセルを踏んだ。信号はまだ変わってはいない。
「俺らはそれでも、生きるしかない」