春が追い付く二拍手前。

第十四章 春が追い付く二拍手前。

 春になった。

 まだまだ、空気は寒い。だけど、境内の桜の芽は、敏感に春の気配を受け取っているのか、日枚に大きくなってきている。


「……柊、お前、また今年もか……」

 どっさりと中身の入った紙袋を、両手に持って、家から出てきた中学生の息子。
 忙しくて忘れていたが、今日はホワイトデー。
 石段を箒で掃いていた俺は、それを思い出すと同時に、ため息をついた。

「お前な、全部のチョコに、律儀にお返しなんてしなくてもいいんだぞ……。しかも手作りなんて。そんなことしてたら、女の子が変な期待をしちゃって、可哀そうだぞ……」

 すると、柊は、「だってえ……」と言った。

「俺さ、貸し借りって言うの嫌いなんだよ……。手作りチョコもらったら、ちゃんと同等のものをあげなきゃ、なんかせっかく一生懸命作ってくれたのに、申し訳ないじゃん?
例え、見返りを求めずにくれたんだとしても、俺はちゃんと、その心に見合ったもんを返したいんだよ……」

「お前、イケメンだな……」

 半分誉め言葉で、半分は呆れである。
 両親の良い所だけを受け継いで、毎日学校で黄色い声を浴びているらしい息子。
 だけど、割り切るところは、割り切らなければ。そのような態度が、逆に女の子に失礼だとは思わないのだろうか。

「じゃあ、早く行かないと、夕方までに配り切れないから。行ってきます」
「はいはい」

 俺は息子の背を見送り、再び石段を掃き始めた。
 すると、すっと、俺に手を出す者があった。

「お父さん、私、変わろうか?」
「いいよ、もう少しで終わりだし。お前も後もう少ししたら、新学期だろ。手伝いなんてもういいから、ゆっくりしてろ」

 俺は、巫女の服を着ている桜の肩を叩く。大学の春休みに、都会から帰ってきている桜は、お守りを授与したり、あちこち剪定や掃除をしたりと、かいがいしく働いてくれた。

「いいから、私がするって」
「はいはい」

 娘はこう言い出したら、聞かない頑固者である。俺は、苦笑いしながら、箒を渡した。
 すると、意外にも体にきていたらしく、腰が痛い。
 ふう、やれやれと、伸びをする。

「まったく、柊の奴、春休みだって言うのに、うちの手伝いなんて全くせずに、今日もお菓子作りよ。パティシエになるって、聞かないのよ。宮司の息子のくせに」
「まあまあ、良いじゃないか。夢は自由だ。お前だって、俺の跡なんて継がずに、好きなことをしてもいいんだぞ」

 自身の大学の、はるか後輩となった自分の娘。
 別に神社なんて継がなくても、女の子のなりたい仕事なんて、いくらでも他にあるだろうに、娘はあえてこの仕事を目指した。

「馬鹿言わないで。お父さんを助けたフユちゃんの、大切な場所だもの。私が守らなくて、誰が守るのよ?」

 桜は、空を見て、言った。目の前の娘は、かつてフユを失い、毎日泣いてばかりいた。
 そんな娘の為、そして自身と家族皆の為、退院してから、毎日、毎日。消えてしまったフユを何とか蘇らせる方法はないかと、探しつづけた。
 代価の決まり事からの抜け道はないかと、フユの記憶のバックアップデータや、設計図をコンピューターから引っ張り出そうとした。だが、ちゃんと保存してあったはずのそれは、すべて壊れていて――何度も開こうとするが開かず――そして、目の前で無情にも、消えた。

 やはり、代価は代価。決まり事は決まり事――。

 当時の俺と家族皆、そのことが身に染みてわかり、絶望していた。

 けれど、今やその娘も、自身と並ぶほどの背の高さとなり――その凛々しい顔は、あの悲しい日々からの立ち直りと、成長を感じさせた。


「あ、」
 その時、ふと桜が、くすっと笑った。

「また来てるわよ。あの子。毎日、何を熱心に祈っているのかしらねえ」

 娘がほほ笑む先には、小学校一、二年生ぐらいだろう、女の子がいた。
 拝殿で、お辞儀をし、手を合わせている。

「本当だ、今日も来たんだな。本当、毎日毎日、何を願っているんだろうな」

 その女の子は、二年程前から、毎日ずっと参拝に来ていた。例え、大雨が降っていても、風が吹いていても、必ず、何かを熱心に祈りに来ていた。

「親御さんが御病気とか、そんな事情があるんだろうな……可哀そうに」

 俺は、そう推測をたてていた。それぐらいしか、あんなに幼い子が、毎日神社に拝みに来る理由がないはずだからである。

「世の中って、不条理だよな……。何か代償がないかぎりは、何も叶わないもんな……」

 俺は、女の子を見た後、空を見て、つぶやいた。
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