春が追い付く二拍手前。

第二章 弥生

 私たちが出会ってから、時は早いもので、彼女は中学に上がり、二年目を迎えた。

「ハル様、学校に行かなくなってもう二年目ですよ。大丈夫なんですか?」

 私は、朝から部屋で機械をいじっている彼女に、心配そうに言った。

「学校などというものに行かなくても、勉強など、いつでもどんな場所でもできる。
幸い私の家は、あの男の研究と発明のおかげで、得たい知識があれば海外にだって行ける財力を持っている。それに今日日、ネットさえつながっていれば、学びの機会はどこでだって得られる」

「だけど、勉強はできても学校に行かなければ、就職とか結婚とかする時に、学歴という点において困ることがあるのでは……」
「学歴なんてあったところで、狭い日本においては逆に足枷にしかならないよ。君はもっと世界を見てから物を言ったほうが良い」
「……」

 こういう彼女も、小学校を卒業するまでは、風邪でもひかない限りは、おそらく毎日学校に通っていた。
 おそらく、というのは、私たちが出会ったのが彼女が六年生の二月であったから、私はそれ以降のわずか一月(ひとつき)と少しの事しか知らないからだ。
 私もたまに、ランドセルに入れられて、こっそりと連れていかれた。
 彼女は、学校ではいじめられてはいなかったが、明らかに浮いていた。まあ、この性格と物言いでは仕方がないかもしれない。

 それに頭も良すぎたため、わざわざ学校へ行って勉強をする意義を見失ってしまったのかもしれない。
 学校など、勉強と、他者との交流を学ぶための場であり、勉強という片方は必要なく、他者との交流という片方がうまくいかない彼女にとっては、必要のない不毛な場なのかもしれない。

「……まあ、君のいう心配も、理解はできる。私も、高等学校からは真面目に登校するつもりだ。義務教育はしかるべき単位を履修しなくても、勝手に卒業証書をくれるからな。その間は、甘えさせてもらって好きなことをするよ」

 彼女の好きなこと、とは父親に似たのか、機械をいじって何かを作り上げる事である。
 その興味が高じて、私に矛先――ドライバーの先――が向いて、あわや分解されかけたことは、一度や二度のことではない。現在においても三日に一度はその危機にさらされている。

 彼女に作り上げられては、気に入らずに分解されていった同胞たちの死体――残骸の山が、毎日のように積み重ねられていくこの部屋は、ともすれば私にとっては恐怖の部屋でもあった。
 屋敷の使用人たちが、毎日見かねて片付けに来てくれなければ、今頃ここは人の入る余地もなくなってしまっていただろう。

 この間、新入りの使用人が部屋に片付けに来た時には、彼が「ここは、かつての京都の風葬地か……?」とぼそりと突っ込んでいたのには、私も言い得て妙だと納得していた。
 私が彼なら、片付ける前に、残骸の山に一度蝋燭を立てていただろう。


「さて、今日の研究も終わったことだし、出かけようか」

 哀れ同胞だったはずの鉄の塊を放り投げると、彼女は鉄くずだらけの服を払って、そのまま部屋の外へと出ていこうとした。なので、私は慌てて止める。

「ハル様、引きこもっているとはいえ年頃の女の子なんですし、もう少しおめかししませんか?」

 今日、彼女は、古くからの友人に会いに行くと聞いている。だから、そんな機械油にまみれた作業着で会いに行くのはちょっと……と、さすがに人間ではない私でも思う。

「おめかしなんてしたところで、何か利があるのか?」
「利があるか無いかでいえばありません。ですが、そのままの格好でいけば、あなたの人間としての評価がマイナスになります。それを防ぐためと思えば、利はありませんが減点されることはありません」
「なるほど、納得だ。なら、おめかしとやらをしてやるか」

 私も二年供にいて、彼女の扱い方がわかってきたな、と内心で自分をほめる。だが、

「こまったな、おめかしの仕方がわからん」
「はあ……?!」

 そういえばそうだった。私はここへ来てからこの方、彼女が女の子らしい身づくろいをしようとしたところを、見たことがなかった。

 曇り切った鏡台の鏡を、機械油にまみれた布切れで拭く所から始めている彼女をしり目に、私はこっそりとため息をつく。そして、決めた。
 使用人の中で、一番長く働いている女性――彼女はいつも、飾りっ気のないハル様のことを嘆いていた――の所へ、おめかしを頼みにいったのである。

 すると、彼女は涙を流して喜び、部屋でいつか日の目を見る事を願って保管していたのだろう。
 かわいい数々のリボンやらワンピースやらをかき集め、山のように抱えて彼女の元へと走っていったのだった。
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