春が追い付く二拍手前。
――その夜。

 柾の家から戻ると、彼女はすでに眠っていた。
 いつもなら、私が眠るまで、起きて待ってくれている。
 だから、勝手に家を抜け出したこともとっくにバレていて、きっと怒られると覚悟していた。
 なのに、彼女は先に布団にくるまって眠ってしまっていた。

「……」
 そっと、ベッドによじ登り、彼女の顔を見る。
 彼女は泣いていたのだろう、目じりに乾きかけの涙が光っていた。

「……」
 いつもなら、私は自分の寝床で眠る。けれど、今日はそんな気にならなかった。

「……」
 私は、眠る彼女の胸元へと、潜り込んだ。起こさないように気を付けながら、そっと彼女の寝顔の傍に寄り添った。


――私だけは、何があっても必ず、あなたの傍にいますよ。


 そうささやいた。きっと聞こえてなどいないが、そう誓わずにはいられなかった。

「……」
 私は、そっと彼女の目じりに、触れた。涙を拭きとってあげたかった。柔らかく、温かいとデータが教えてくれる。
 なのに、夢の中でも泣いているのか、またほろりと涙が盛り上がり、こぼれた。
 泣いている彼女は、壊れてしまいそうなほど頼りなく見えた。何だか、放っておけない気持ちが心から湧き上がる。
 そのまま、その感情が湧き上がるがままに、私は、彼女の首にそっと抱き着いた。ふと、涙が口の中に入るが、私に味覚などない。味は何もしなかった。

 当たり前なのに。
 涙の味が分からないのも。
 彼女の温度が、温もりが、すべてが、
 データで現れるというのは、今まで当たり前だったのに。

――なぜか、それが、とてももどかしくて。

 気づけば、私はつい、ギュッと力を入れて、彼女の首に抱き着いていた。
 しまったと、急いで離れる前に、背に彼女の手が回る。どうやら起こしてしまったらしい。慌てる私を、彼女はぐいと両腕で抱きしめ、丸まった。

「……」
 彼女はそのまま、寝息を立てている。どうやら、起きてなどおらず、眠り続けているようだった。
 私は小さくほっと息をつくと、彼女が眠っているのをいいことに、ギュッと彼女の胸に抱き着いた。
 先程の誓いを、確固たるものにする願いを込めて――。

 私は、そのまま眠ることにした。
 寝床で眠らなかったことを、勝手にベッドに上がって寝たことを、明日の朝にこっぴどく叱られるかもしれない。だけど、そんなことがどうでもよくなるぐらい、私は彼女の傍にいてあげたかった。

「お休み、ハル様……。せめて、幸せな夢を……」

 私は彼女の胸に頭をうずめるようにすると、彼女が起きるよりも早い時間に、タイマーを設定し、意識をシャットダウンした。
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