天妃物語 〜鬼討伐の条件に天帝の子を身籠ることを要求されて〜
「あなた、苦しいのですね」
「姉さまっ……、ぅっ」

 萌黄がぽろぽろと涙を(こぼ)しました。
 私は萌黄をそっと抱きしめて背中を撫でてあげます。何度も何度もよしよししてあげます。子どもの時から何度もしてあげたように。

「萌黄、泣かないでください。泣いてはいけません。私はあなたのことを決して嫌ったりしませんよ。なにがあってもあなたは私の可愛い妹です」
「姉さまっ、姉さま……!」

 小さく震える萌黄を強く抱きしめました。
 この萌黄の覚悟を前に、私は自分が猛烈に恥ずかしくなりました。
 私はなんて矮小(わいしょう)(みにく)い人間なんでしょうね。浅ましく嫉妬し、役に立とうとすることで黒緋に(すが)りついて。
 初めての恋に翻弄(ほんろう)されて、心が嵐のように荒れて。大切な萌黄のことをなにも考えていなかったのです。萌黄はこんなに胸を痛めて苦しんでいたのに。
 ……ああ、あなたがもっと嫌な人間だったらよかったのに。
 もっと狡猾(こうかつ)で、嫌味で、意地が悪くて、冷淡で、無神経で。あなたがそんな人間なら私は自分の矮小(わいしょう)さに気づかずに済んだのに。
 自分こそが黒緋の特別な人間だと勘違(かんちが)いしたまま、黒緋の側にいることもできたのに。
 でも、それは出来ません。だってあなたは私の可愛い妹だから。
 萌黄が本当の気持ちを殺して天帝に嫁ぐことを覚悟したのに、私が側にいては萌黄を傷つけてしまう。これ以上、萌黄を苦しめたくありませんでした。
 だから私も決意します。
 萌黄の覚悟に恥じぬ決意を。





 夜空に月が昇る刻。
 今夜は三日夜餅(みかよのもちい)の二夜目でした。
 私は萌黄の寝床を整えると、そのまま黒緋の床の間に向かいました。
 黒緋が萌黄を夜這(よば)いする前にどうしても伝えておきたいことがあるのです。

「黒緋様、少しよろしいでしょうか」

 御簾(みす)越しに声をかけると「入れ」と許可されます。
 私は深く呼吸し、御簾(みす)をめくって黒緋のいる床の間に入りました。

「どうした、何かあったのか?」
「はい、話があって参りました」

 居住(いず)まいを正した私に黒緋が眉を上げます。

「そんな(かしこ)まってどうしたんだ」

 黒緋が(いぶか)しみました。
 でも私は床に手をついて頭を下げます。そして。

「――――私は明日、都を出ようと思います」
「……なんだと?」

 黒緋の反応が一瞬遅れました。
 黒緋は顔をしかめ、まるで信じがたいものでも見るように私を見つめます。
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